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逝く人を思う [和歌・俳句]

今日は、連日の寒さも和らいで暖かな一日だった。
しかし昨日、今日と連日の訃報に、心は深い悲しみに包まれた。
今日のご葬儀は、我家と同じ浄土真宗により執り行われたが、年のセイか?
“ご文章”の言葉が、いっそう身に沁みる思いだった。

「・・・おおよそはかなきものは、この世の始中終(少年・壮年・老年)
 まぼろしのごとくなる一期なり。されば万歳の人身を受けたりという事を聴かず
 ・・・我やさき人やさき、今日とも知らず明日とも知らず、遅れ先立つ人は
 もとの雫、末の露よりもしげしといえり。されば朝(あした)には紅顔あって
 夕べには白骨となれる身なり。・・・・・」

新古今集・哀傷歌の最初の句(757)は
◎ 末の露 もとの雫や 世の中の おくれ先立つ ためしなるらむ
  僧正遍昭(816(弘仁7年) - 890(寛平)
解釈するまでもないが、
 葉っぱの元のしずくも、先っぽの露も、早い遅いの違いこそあれ
 地に落ち消えてなくなる。人の死も、またそれと同じである。
新古今集の成立は、1205(元久2年)、親鸞聖人は、1173年生れ - 1262年寂滅
聖人は、民衆の情(宗教性)に訴えるべく、遍昭僧正の和歌を使ったと思える?

新古今集・哀傷歌の次の句(758)は
◎ あはれなり 我が身の果てや あさ緑 つひには野べの霞と思へば 
  小野小町(生没年不詳)
解釈:悲しいかな 我が身の最後はあさ緑のけむりとなり、最後には
   野辺の霞になってしまうのかと思えば

 浅緑というのが、火葬によって立ち上るけむりの表現として誠にリアルで
 深い悲しみを、より一層深く感じてしまうのは、感傷的な今の心境のためか?
如何なものか
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小春日和2012 [和歌・俳句]

この処、気温が下がって冷たい風が吹きすさび、冬の到来を実感していたが、
今日は、風もなく、暖かいお日様に恵まれて、実に気持の良い散歩だった。
◎ 小春日や 見慣れし景色も 輝けり (愚作)
路傍の花々も、何だか眩しいばかりに美しかった。
真っ青な空には寒げなホウキ雲などではなく、ふんわり綿菓子の様な雲が浮かんでいた。

可愛い歌声が聞こえたと思ったら、お婆さんの自転車に同乗していた女の子の声。
十字路で私が追いついたとき、「こんにちは!」と、その可愛い子に挨拶された。
すぐに挨拶を返すと共に、「挨拶上手にできるね!」と一言付け加えた。
互いにバイバイ!と手を振って別れたが、こんな楽しいひと時も小春日のお陰か?

“小春”、“小春日”、“小春日和”などは、俳句では今頃(立冬を過ぎた初冬)の
春めいた日和を意味する冬の「季語」となっているが、芭蕉の時代の季語にはない?
少なくとも私は、芭蕉の作った俳句で、この季語を使っている俳句を知らない。

初冬の芭蕉の句で、こういう春めいた日のチョッと明るい句を探して見たが
なかなか見つからなかった。やっと、それに近いのを見つけたのが次の句である。
◎ 水仙や 白き障子の とも映り 元禄四年(1691) 芭蕉48才
 初冬の日差しが明るく水仙と白い障子を照らして、それらが映え合っているとの意。
 初冬の明るい室内を詠んだ何気ない句であるが、小春日の喜びが伝わってくる?

初冬から暮(立春の前)にかけては、寒い冬を越さなくてはならず、当時の栄養状態や
暖房資源、家屋の構造などを考えると、庶民感覚として、小春を楽しむ暇などなかった
のでは?小春日は、皆、懸命に仕事に励んでいた?従って俳人も、庶民感覚にあわせた
句作を心がけ、時期的に気楽な句は謹んでいたのではなかろうか?
従って初冬の句は、以下の様な、冬に向かっての厳しい心持を詠ったものが多い?
◎ 初しぐれ 猿も小蓑を ほしげなり 元禄二年(1689) 芭蕉46才
 冬はよく時雨れる。初しぐれの時には、特に冷え込みを実感する。散歩の時にも、
 傘を持たないで歩いていて、急に降り出しそうになるとドキドキする。旅なれた
 芭蕉は、冬の厳しさをよく理解しており、この句で、猿に暖かい心情を示したが
 それはなお一層、読者に向かって示されている。読者は、それに癒されるのである。
現代は、小春日をお気楽に存分に楽しむことができる。善い時代か?如何なものか
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2012春分の日・雑感 [和歌・俳句]

今日は春分の日。風は少し冷たかったが、いよいよ、桜の季節の足音が聞こえてきた。
ふと春分の歌が、昔の和歌や俳句にないかと思い、少し探索してみたが見当たらなかった。
私の探索不徹底の為かも知れないが、二十四節気に関して調べた結果を基に、その理由を
少しばかり推測してみた。非常に雑な考えであるが、昔の人の気持を思い描くのも一興?

古今集には、立春や立秋の歌がある。例えば立春では
◎ 春立てど 花も匂わぬ山里は ものうかる音に鶯ぞなく 在原棟梁<卷一・春歌上>
歌意:春が来たのに梅の香もせぬ山里では鶯も、もの憂そうな声で鳴いている
更に、俳句では、
◎ 春立つや 新年古き米五升 ばせを 天和4年(1684)芭蕉41歳
また、立秋では、「秋立つ日読める」という題で、有名な歌がある。
◎ 秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる 藤原敏行<卷四・秋歌上>

この様な結果から、二十四節気は、古代より日本で知られ、江戸時代前期17世紀には、
一部の支配階級のみならず、庶民階級にもそれなりに普及していたと思われる。しかし
立春・立夏・立秋・立冬など季節の始期による区分の方が、春分・夏至・秋分・冬至など
季節の中間点による季節区分よりも、日本人の体質に合っていたのではないか?
私の考えでは、日本人の季節感は、季節の変わり目というものに繊細に働くのだと思う。
季節の中間点(盛り)はその季節の様々な物事で充満しており、季節用語を使う動機不足?
よみ人知らずで、次のような和歌を見つけた。
◎ 春ごとに花の盛りはありなめど あい見む事は 命なりけり 古今集<卷一・春歌上>
歌意:春の花の盛りは毎年あるだろうが、その花盛りに出会うのは一期一会、命がけ。
春の盛りと出会う事は、命がけであり、もはや時の移ろいとは異なる次元である。

季節の変わり目における繊細な情感は、棟梁の和歌で言えば、絵に書いた様な「梅に鶯」
ではなく、花もない梅の木と鶯の間延びした鳴き声の組合せが、在原棟梁の心の中で、
立春と、わびしい山里とを対比させた心象風景を、見事に結実させたのだ。
立春(新年)を迎える慶びは、死を予感する冬を越した慶びでもある。そういう慶びは、
冷暖房完備で、衣食に何の苦労も感じぬ人々には分からないだろう。芭蕉の句で言えば、
昨年から蓄えの米が五升あるという何とささやかな事に感謝する芭蕉の「唯足るを知る」
心や、そういう生き方から湧き出てくる悦びであると思う。素晴らしい和歌や俳句を創造
する人々は、物質的充足よりも精神的充足を常に優先していると思うが?如何なものか
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春日和 [和歌・俳句]

今日は久しぶりの快晴だった。雲は北西の地平線に近い所に隠れる様に少し浮かぶだけ。
午前中は風もなく、暖かな日差しにうっとりしてしまった。とは言え、いまだ早春である。
春霞にけぶる陽春とは異なり、凛とした気迫の様なものを感じる。感謝!感謝!である。
啓蟄と春分に挟まれた微妙なこの時期を、昔の人はどんな思いで過ごしたのだろうか?
ふとそんな事が頭をよぎった。

芭蕉の俳句に次のような句がある。
◎ 藻にすだく 白魚やとらば消えぬべき  桃青 延宝9年(1691) 芭蕉38歳
歌意:藻に群がり集まる白魚は、清らかに透きとおって、はかなく美しい。しかしそれを
   手にすくい取ろうとしたら、たちまち消え失せてしまうであろう。
この句は、美しいものを、我がものに独り占めしようとする俗な心を戒めている?
私は、この句の白魚に、今日という非常に微妙な春の季節感との共通点を見た気がする。
芭蕉のこの句には、類似の作品が多くあるようだ。例えば、古今集・巻第4 秋歌上
◎ 折りてみば 落ちぞしぬべき 秋萩の 枝もたわわに 置ける白露 (読人知らず)
歌意:秋萩の枝に、たわむほど美しい白露が置かれているが、枝を折ろうとすれば白露は
   アッという間に落ちてしまうに違いない(だから、そのまま愛でるのですよ)

古今集の和歌は、秋の歌であるが、季節を通しての日本人の美意識があると思う。
日本は紙と木の文化であり、西欧は鉄と石の文化、というたとえ話があるが、日本人には
上述した様な日本の美意識が、古代(奈良・平安時代)以前の遠い昔から、強くあった。
鈴木大拙は、芭蕉の句と、テニスンの分析的説明的な花の詩を比べて東洋と西洋の違いを
論じている(『禅と精神分析』)。芭蕉の句とは、
◎ よく見れば なずな花咲くかきねかな 芭蕉 貞享3年(1686) 芭蕉43歳
路傍の雑草の花に着目する時、芭蕉と咲いたなずなとは一体となって、命を感じ取る。
それに対して、テニスンの詩は、花と観察者は切断され、従って命を共有できない。
まるで、白魚をすくい取り、萩の枝を折る行為そのものの様にみえる。

西洋が蓄積した文化は、科学を媒介としてきたが、それは、本来基督教を抜きにしたら
科学による間接的な解釈となって、命を汲み取る認識にはたどり着かないのである。
日本(や東洋)では、認識の間接性の問題に古くから気づいていた。そこで上述の和歌や
俳句の事例、鈴木大拙の事例の様に「直接体験」の重要性を、日本人の美意識という中で
無意識の領域を活用し、追求・指導してきたのである。如何なものか
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初時雨散歩と時期遅れ藤袴 [和歌・俳句]

今週、曇天散歩が続いたが、時雨に会えず、やっと僅か数分だが、めぐり会えた。
◎ 初時雨 会えてうれしい 散歩かな  本日の自作

時雨は、実に変化に富む。変幻自在、千変万化である。この時雨を楽しまなければ損!
そんな気分でなければ、冬、戸外を楽しめないと思う。私の好きな芭蕉の句
◎ 旅人と 我が名呼ばれん 初時雨   貞享四年(1687)初冬 芭蕉44歳の作
 昔の旅は今と違い、わが身を自然に曝して歩く。心から初時雨を楽しむ気分だから
 寒さが募る初冬に旅に出られるのだ。昔の人が如何に時雨を友としていたかが伺える。
◎ 初時雨 猿も小蓑を 欲しげなり   元禄二年(1689)初冬 芭蕉46歳の作
 この句も、旅の途上、時雨の風情を楽しみながら歩いている楽しげな芭蕉の雰囲気が
 まるで隣にいるように感じられる。落葉した枝にいる猿なのだろうか?
 旅慣れた芭蕉が、この時期の旅に、蓑や傘を忘れるはずはなかろう。芭蕉の蓑を
 猿が、欲しがっているように読み取れる。芭蕉は、チョッと得意げにさえ思える。

時雨に関して、新古今集でも、なかなか味わいのある和歌を見つけた。
◎ 晴れ曇り 時雨は定めなきものを ふりはてぬるは 我が身なりけり 動因法師
 意味:ほぼ文字通りであるが、「ふりはてる」を雨が降ると年をとるという意味にかけて
 時雨は、晴れたり曇ったり降ったりと千変万化だが、我が身は年取るばかりで情けない!
 という様な意味だろう。
動因法師は、藤原敦頼(あつより)という中流貴族で、没年寿永元年(1182)頃?
当時としては珍しく90歳を越える長寿だったというから、謙譲の美徳というところか。
それにしても時雨と我が身を引き比べるとは、なかなかのアイデアマンか。ともかく、
昔の人は、平安時代から江戸時代まで(いやつい最近まで)時雨を身近に感じていた。
DSC09095藤袴.JPG
写真は、先日の散歩中に撮った秋の七草・藤袴である。
◎ 秋風にほころびぬらし 藤袴 つづりさせてふキリギリス鳴く
 作・在原棟梁(むねやな)
 意味:藤袴の花の姿がほころびに見える所から、袴のほころびに
 かけて、キリギリスが“つづりさせ”(擬音)と鳴いている、即ち
 “縫い合わせよ”と鳴いているから、秋風で袴がほころびたのだろう、という。
これは古今集の誹諧歌(滑稽味のあるもの)に分類されている。どういう点が滑稽なのか?
わかり辛いが、西暦800年代後半の人たちと現代人は、滑稽感が異なる?如何なものか
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古今集の愛と恋? [和歌・俳句]

昨日は、秋の季節感と無常や愛についての古今集の歌を味わった。
今日は古今集の分類に拘らず、古今集では、愛や恋をどの様に詠っているのかを見てみた。
◎ 唐衣 着つつ慣れにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思う 在原業平
唐衣を着慣れる様に馴染んだ妻を都に置いて続けている長旅こそ、妻の有り難味がわかる。
直訳すれば、長旅を煩わしく或は恨めしく思うという事だろうが、一箇所にゆっくり出来ない
旅先では一夜の恋も儘ならない(昔の恋は現代の援助交際の様な訳には行かぬ)。
こんな時に妻がいてくれたなら、と思うのが勝手な男の愛情というものか?
ちなみに、この歌は、羇旅歌 即ち、旅行中の歌という事である。

◎ 知る知らぬ 何かあや無く分きて言わん 思いのみこそしるべなりけれ よみ人知らず
この歌は、在原業平が、車すだれの中の女性を見初めて出した歌の返し。(恋歌一)
歌の意は:見たかどうか、知るか知らぬか、そんな事に拘ってうじうじ何を言いたいの?
思いこそが、恋の道しるべでしょうに! と、天下の色男にピシリと言っている。
実に小気味よい。まあ現代の様にストーカー等居ない礼儀正しい人ばかりだったから良かった。
古今集時代は、現代の屈折した女性上位ではなく、素直な女性上位だったのではないか?
それにしても、この歌の作者、さぞかし才色兼備であったろう。会って見たかった!
在原業平は、この女性に会えたのだろうか?会えなかったような気がする。

◎ 長しとも思いぞ果てぬ 昔より会う人からの秋の夜なれば 凡河内みつね
歌の意:秋の夜は長いとは言え、思い合って果てもなく過ごしたい人には、短く感じられる。
会う人によって、それぞれ長さが違って感じられる?これは義理チョコならぬ義理恋愛も有り?
それなら、夏の夜は、誰でも短いと感じるのだろうか?冬の夜はどうなんだ?
冬は、秋よりももっと長いぜよ。まあ理屈では無いんですね。春の夜もそうだが
秋の夜も、季候的に絶好の恋のシーズンなのですね。(恋歌三)

◎ 君や来む我や行かんの十六夜に 槙の板戸も差さず寝にけり よみ人知らず(恋歌四)
歌の意:貴方が来てくれるか私が行こうかと迷って戸締りをしないでつい寝てしまった。
歌に出てくる「十六夜」は、断りがないから仲秋の名月の翌日であろう。やはり
満月と、その前後の明るい秋の夜は、恋人たちの「絶好の恋の活動期」なのである。
この句は、女性が詠んだものの様である。性的に変な人間の居ない実に良い時代だ。
男女共に真っ直ぐな心で、穢れを知らない素晴らしい人間性がしのばれる。如何なものか
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雨中散歩とチビ蛙 [和歌・俳句]

今日は二十四節気の1つ・処暑である。残暑も峠を越える頃である。
テレビを見ていて東北地方などで大雨になると聞き、近隣の天気予報を確認したら
やはり雨が降るとなっていた。しかし昨日同様の曇天。大した事はないと思っていた。

午後、雨が降りそうなので慌てて散歩に出たが、既にポツリポツリ降ってきていた。
その内止むだろうと傘差しスロージョギング(SJ)。25分で土砂降りの中、公園着。雨宿り。
一時の激しさは納まったとはいえ、土砂降りの中、また散歩(SJ)を再開。
年に何度もある経験ではない。

散歩(SJ)再開後、今度は、路上にチビ蛙が、無数にいた。
田圃と用水路間のあぜ道(簡易舗装)になったからだろう。
小さな石ころ程度の大きさで、ジッとしていると石ころと間違えて踏み潰しそう。
色も、グレーか濃い茶色で見分け困難? 何という種類か?今頃、子ども蛙でもあるまい。
幸い、私の足音が雨脚の音と違うのか?大体は近づくと、ピョンピョン飛び跳ねてくれる。

路上のチビ蛙は、田圃から出てきたのか?用水路から出てきたのか?
何処へ行こうとしているのか? 私が近づくと、おおむね田圃側に跳ねたようだ。
ならば用水路から現れたのか? しかし用水路から飛び出すのは難しかろう?

幅の狭いあぜ道で、用水路に近いチビ蛙が、断続して二匹、用水路にジャンプするのを見た。
私が近づいたから、驚いて発作的に飛び込んだ?
やはり、田圃で生れて、雨に浮かれて路上に飛び出してきたのか?
広い世界が見たかったのか?
狭い蛙社会に嫌気がさしたのか?
仲間はまた戻ったやつも多いのに、お前達は、二度と戻れぬ旅に出たのか?
私は、迷っていたお前達の運命を変えてしまったのか?
それとも、決断ができたと、感謝してもらえるのか?

◎ チビ蛙 旅路の無事を 祈ります
◎ 大宇宙 どれだけ感じる チビ蛙
◎ 人生に 悔いを残すな チビ蛙
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古今・新古今の季節感 [和歌・俳句]

前回・2011-08-15のブログ「8月の秋歌」で、古今集の季節感に何か違和感を持った。
それは旧暦と新暦といった違いだけではなく、何か「認識度」と言った漠然とした違いを
感じたので、その原因を、いろいろと探求してみたが、なかなか答が見えてこない。
とりあえず、今日の所は、少し調べた結果をまとめておきたいと思う。

古今集は延喜5年(905)成立。新古今集は元久2年(1205)成立。300年の歳月の違いを
古今・新古今の序文に着目して、「季節感という認識の仕方」の違いを直接に捉えたい。
◎ 最初に、古今集の序文に見える季節に関連する言葉である。
1.花に鳴くうぐいす、水にすむかはづ(蛙)の声=歌の源流として引用。
  真名序では、“春の鶯、花の中で囀り、秋の蝉(せみ)の樹上に吟う”
2.花をめで、鳥をうらやみ、霞に趣きを感じ、露をいとしく思う。=歌を詠む心情。
3.柿本人麻呂(660年頃 - 720年頃)と山部 赤人(生年不詳 - 天平8年(736年)?)を
  二歌聖として記述している部分にも、もみじや梅、すみれの和歌が引用されている。
 * 立田川紅葉乱れて流るめり 渡らば錦なかや絶えなむ 古今283 作者諸説あり
 * 梅の花それとも見えず久方の あまぎる雪のなべて降れれば 古今334 柿本作?
 * 春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ 野を懐かしみ一夜寝にける 万葉1424
  この和歌は、山部宿禰赤人の歌四首の一首として記述されているから山部赤人の作。

◎ 次に、新古今集の序文に見える季節に関連する言葉。=歌を詠む心情。
  春霞立田の山に初花をしのぶより、夏は妻恋ひする神なびの郭公、
  秋は風にちる葛城の 紅葉、冬は白たへの富士の高嶺に雪つもる年の暮
これら、四季に事寄せた言葉のすべては、和歌から取り出して連ねたもの。

春:行かむ人来む人しのべ春霞 立田の山のはつざくら花 中納言家持 新古今85
 行き交う人たちに伝えたいという、立田の山のさくら花に感動した気持が溢れている。
 大伴家持(養老2年(718年)頃 - 延暦4年(785))は奈良時代の貴族・歌人。
夏:神なびの石瀬の森のほととぎす 毛無しの丘に何時か来鳴かむ 志貴皇子 万葉1466
 神の住まうという石瀬の森のほととぎすが来るのを待つという本当の意味は?
 志貴皇子(668年? - 716)は、飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての皇族。
秋:飛鳥川もみぢばながる葛城の 山の秋風吹きぞ敷くらし 柿本人麻呂 新古今541
 万葉集は、明日香河もみぢ葉ながる葛城の 山の木の葉は今し散るらし 万葉2210
冬:田子の浦に打ちいでてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ 赤人 新古今675
 万葉集は、田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ 富士の高嶺に雪は降りける 万葉318


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8月の秋歌 [和歌・俳句]

8月の秋歌で有名なのは、藤原敏行朝臣の「秋きぬと目にはさやかにみえねども・・・」と
立秋の日に詠った作品であるが、その他に、8月の秋歌として余り知られた歌はない。
今日は、66回目の終戦記念日であるが、ふと、8月の秋歌を読みたくなった。
一番身近にある「古今和歌集」の秋歌・上を紐解いて、8月の秋歌であることが確実と
思われるものを調べたが、七夕に関係するものが多かった。

七夕は、奈良時代に伝わった中国の伝統行事が、日本の棚機津女(たなばたつめ)という
伝説と習合して生まれた言葉である。日本では旧暦の7月7日に行われた。
因みに、この四年間の旧暦の7月7日が、新暦(太陽暦)の何月何日に当るか?
2008年:8月7日(立秋と同日) 2009年:8月26日 2010年:8月16日 2011年:8月6日

「古今和歌集」の8月の秋歌には、例えば、以下のような七夕に因む和歌がある。
◎ 秋風の吹きにし日より久方の あまの川原にたたぬ日はなし (よみびとしらず)
◎ 久方の天の川原の渡し守 君渡りなば楫(かぢ)隠してよ (よみびとしらず)
◎ 恋ひ恋ひて会う夜は今宵天の川 霧立ちわたり明けずもあらなむ (よみびとしらず)
 これらの3句は織女の気持を詠った。但し、旧暦7月7日は、立秋の前に来る事もある。
従って最初の句は、今年の様に織女が川原に立たぬ内に七夕になってしまう年もある。
第二句 織女の牽牛を帰したくない気持は分るが、七夕の伝説では、渡し守は出てこない?
伝説では、カササギが、もみぢを橋にして渡る事ができるというストーリーになっている。
しかし仮に渡し守が渡してくれるのなら、これも天帝の命令でしてくれるのだろう。ならば
渡し守に泣きつくストーリーも頷ける気がする。楫(かぢ)隠したら渡し守も帰れぬが。
第三句 恋焦がれ、今宵は逢瀬の天の河。折りしも天の河に雲がかかる。それを作者は
河霧に見立て霧が立ち込めて夜が明けないで欲しい織女の気持を詠った?“やらずの霧”

◎ 天の河もみぢを橋に渡せばや たなばたつめの秋をしもまつ (よみびとしらず)
  カササギの作る橋に使うという紅葉。その紅葉が散り敷くのを織女は待っているのか?
◎ 天の河浅瀬しら浪たどりつつ 渡り果てねば明けぞしにける (紀 友則)
 この紀友則の句から、宮廷の殿上人も七夕に深い関心があった事がわかる。
寛平年間(889-895)宇多天皇の御代・菅原道真の健在な時代の七夕の夜に、殿上人が
和歌を献上しなければならなかったので、代理で詠んだ句だという前書きがある。
 この歌の意味は、白浪の立つ浅瀬を辿って天の河を渡ろうとした牽牛が、渡切らぬ内に
夜が明けて織女と会えなかったという。この歌には後世長文の批評あり。その解釈によれば
待つ時間と逢瀬の時間の対比で実際は会っていても会わないに等しいという意味だという。

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羊日(ようじつ)・2011 [和歌・俳句]

毎年一月四日は俳句の季語で羊日というが、昨年のブログでも取上げたので解説は省略する。
仕事始めということだから、昨日迄の正月気分から少し抜け出そうと、午前中は仕事をした。
といっても、寝坊したために3時間足らずであった。

◎ 羊日や 仕事始めも 形ばかり (一応、俳句のつもり)

午後は、散歩&スロージョギング。
今年は、野焼き(畑や田んぼの雑草などを焼く)で、異臭に出会ってしまった。推定では
肥料、或いは家庭ごみなどの包装紙(プラスチック製)の燃焼に伴うもののようだった。
折角の農作業の風物詩も、イメージが崩れてしまった。

◎ 野焼きでも 決まりを守って 欲しいもの (標語?川柳?)

とはいうものの、我が家の近郊の田園風景は、のどかで素晴らしい。
そういえば、今年はじめて、松飾りに使われている稲穂が、スズメ?に荒らされた。
良い兆候なのだろうか?悪い兆候なのだろうか?
あまり悪い兆しとは考えたくない。生類に施しをしたのだから、良い兆しとしよう!

◎ スズメ来て ついばむ稲穂の 松飾り (一応、俳句のつもり)

いかがなものか



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