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苦痛・悩み・苦労とは何か? [大家族]

今日もまた小春日という時間帯もあったが、午後から冷たい風が吹き出した。
話は変わるが、「東日本大震災」などの例を出すまでもなく、人間には遺伝性の病気、
災難、凶作、交通事故、火災等で、謂れのない苦痛・苦悩が降り懸り苦労が絶えない。
従って人々は、そういう災難や災害の被害者を援助する助け合いの活動が盛んである。
災害保険なども一種の助け合いの活動である。

問題は、助け合いによって被害者の“苦痛・苦悩・苦労”は解消するか?である。
この問題に関して、適当な事例かどうか分からないが、稲盛和夫著「ど真剣に生きる」
の中に書いてある事例を挙げて考えてみたい。問題とは、稲盛氏の会社が「人工関節」
の開発上でのものだった。股関節で成功した技術(製品認可済)を、応用して膝関節に
適用した製品(認可前)を、医者や患者が是非と要望するので提供した事が、認可前と
いう理由で世間から袋叩きにされたのである。

稲盛氏は、「世のため人の為にやった」という思いが強く、非常に悩み苦しんだ。
それで稲盛氏の師匠である臨済宗妙心寺派の管長猊下の所に行って胸の内を訴えた。
すると猊下は、期待した慰めの言葉ではなく、「苦労するのは生きている証拠・・中略・・
災難に遭うのは、過去の業が消える時・・中略・・その程度なら赤飯炊いてお祝い云々」と
仰ったという。稲盛氏は“前を向いて生きる元気を取り戻した”という。

稲盛氏には、臨済宗妙心寺派の管長猊下という飛び切り上等のサポーターがいた。
だから被害者の“苦痛・苦悩・苦労”は解消したという事は言えるかもしれない。
しかし考えてみて欲しい。この種のアドバイスなら、書物や様々な物語を通して
我々一般庶民にも入手可能である。心して目を見開き、耳を傾ければ無数の上等な
サポーターが、“苦痛・苦悩・苦労”を解消するアドバイスをしてくれている。

最後に最近、この問題を考えていて思い出した、私の断末魔の苦痛体験を書いておく。
あれは11年前の11月の事だった。11/5:ERCP検査、検査後不調で一晩、病院泊り
11/6:一旦帰宅後、不調で再度入院。以後の日記空白。11/12:"おもゆ"の三文字。
以下は、11/9の夜、11/8の事を高熱下でメモした、“断末魔の苦痛体験”である。
「何晩も続く腹痛と絶食で、苦しくて苦しくて、何か善い事を考えようと思った。」
その続きは11/9には書き続けられず、その続きを11/11に書きついでいた。
「激痛の中から、突然稲妻が走った。痛みに耐えることのできる思い出。
妻(メモでは愛称)との出会いと交際、結婚、家族との生活。」
そしてその続きとして、11/9の夜に思った事。
「耐えられない痛みのある事。即ち、死を思った。」

私は、11年ぶりにこのメモを読み返してみて、一つだけ成長した点を書いておく。
「耐えられない痛みのある事。即ち、死を思った。」は、間違いだということ。
断末魔の苦しみというけれど、私には、あの時の「急性膵炎」以上の苦しみはない!
と固く信じる。「苦労するのは生きている証拠」という猊下の言葉だけでなく
もっと沢山の人々から、「耐えられない痛みなどない!」、“苦痛・苦悩・苦労”は
生きるためのものだと教えられたから。 如何なものか

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