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小春日和2012 [和歌・俳句]

この処、気温が下がって冷たい風が吹きすさび、冬の到来を実感していたが、
今日は、風もなく、暖かいお日様に恵まれて、実に気持の良い散歩だった。
◎ 小春日や 見慣れし景色も 輝けり (愚作)
路傍の花々も、何だか眩しいばかりに美しかった。
真っ青な空には寒げなホウキ雲などではなく、ふんわり綿菓子の様な雲が浮かんでいた。

可愛い歌声が聞こえたと思ったら、お婆さんの自転車に同乗していた女の子の声。
十字路で私が追いついたとき、「こんにちは!」と、その可愛い子に挨拶された。
すぐに挨拶を返すと共に、「挨拶上手にできるね!」と一言付け加えた。
互いにバイバイ!と手を振って別れたが、こんな楽しいひと時も小春日のお陰か?

“小春”、“小春日”、“小春日和”などは、俳句では今頃(立冬を過ぎた初冬)の
春めいた日和を意味する冬の「季語」となっているが、芭蕉の時代の季語にはない?
少なくとも私は、芭蕉の作った俳句で、この季語を使っている俳句を知らない。

初冬の芭蕉の句で、こういう春めいた日のチョッと明るい句を探して見たが
なかなか見つからなかった。やっと、それに近いのを見つけたのが次の句である。
◎ 水仙や 白き障子の とも映り 元禄四年(1691) 芭蕉48才
 初冬の日差しが明るく水仙と白い障子を照らして、それらが映え合っているとの意。
 初冬の明るい室内を詠んだ何気ない句であるが、小春日の喜びが伝わってくる?

初冬から暮(立春の前)にかけては、寒い冬を越さなくてはならず、当時の栄養状態や
暖房資源、家屋の構造などを考えると、庶民感覚として、小春を楽しむ暇などなかった
のでは?小春日は、皆、懸命に仕事に励んでいた?従って俳人も、庶民感覚にあわせた
句作を心がけ、時期的に気楽な句は謹んでいたのではなかろうか?
従って初冬の句は、以下の様な、冬に向かっての厳しい心持を詠ったものが多い?
◎ 初しぐれ 猿も小蓑を ほしげなり 元禄二年(1689) 芭蕉46才
 冬はよく時雨れる。初しぐれの時には、特に冷え込みを実感する。散歩の時にも、
 傘を持たないで歩いていて、急に降り出しそうになるとドキドキする。旅なれた
 芭蕉は、冬の厳しさをよく理解しており、この句で、猿に暖かい心情を示したが
 それはなお一層、読者に向かって示されている。読者は、それに癒されるのである。
現代は、小春日をお気楽に存分に楽しむことができる。善い時代か?如何なものか
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