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文化資本の伝授 [大家族]

幸田露伴の娘・幸田文の「幸田文しつけ帳」(青木玉・編)という本を読んでいると、
“格物致知(かくぶつちち)”という言葉が出てくる。大意は、「物に接し体験して得た個人的・個別的知見から法則を解き明かすことによって、普遍的な知を拡張・深化すること」
格物:我(個別的自己)が、個人的体験を通して、物の個別的な格(法則)を知った上で、
致知:吾(一般的な自己)の知識、即ち、普遍的な真理を汲み取るに至る、という事である。
幸田家は幕臣で明治維新には貧しかった。露伴は兄弟の多い貧困家庭に育って、朝夕の掃除、米とぎ、洗濯など家事全般、何でもやらされた。そのような経験の中で、“格物致知”を実践し、若くして成功者となった。露伴の6人の兄弟姉妹は、全員“格物致知”を含む文化資本をしっかりと譲り受けて、名を成しただけでなく、子供にも文化資本を伝授した。
「幸田文しつけ帳」には、文が露伴から、厳しく家事について伝授された経緯が書かれている。

私は、日本に於ける“文化資本”の中の珠玉の1つが、この“格物致知(かくぶつちち)”であると、常々、思っている。何せ、親が身につけた知的資産を子供に譲るのに、税金もお金も要らない。
子供が真剣に自ら学ぶ心構えを、愛情をもって伝え、取組む要領を教えればよい。
“格物致知(かくぶつちち)”をどのようにしたら子供たちに伝授できるのかは、それぞれ日本家庭の個別的なノウハウになっているが、“格物致知”の法則に則れば、ノウハウの開放によって、さらに“格物致知”を、民衆全般の文化資本として有効利用できるのではないかと考える。

現代の学校教育におけるゆとり教育、体験学習等の“格物致知”教育がうまく行かなかった理由には課題設定が画一的で生徒の興味を引く内容になっていない事、生徒の指導ノウハウの欠如等がある。企業等における「体験学習」も同じで、実習生が真面目に取組む課題と指導ノウハウがなければならない。こういった大切なポイントをなおざりにして、方針をころころ変えるところが教育における基本理念の欠如を物語っているのではないか?

官僚を一足飛びに改革することは難しいが、官僚を上手に使いこなす、個性的・独創的で優秀な政治家を育成するために、官僚を超える“格物致知”・自己学習能力を備えた人材育成こそ喫緊の課題である。そしてまた、まやかしのマニフェストに騙されない民衆の育成のためにも“格物致知”の能力開発が重要課題である。 “格物致知”による能力開発は、事実から学ぶが故に真の倫理観を学びとることができる。倫理観のない人間は“格物致知”失格。如何なものか。

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