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民主主義の拡張 [社会]

Kijuro_Shidehara_diplomat.jpg民主主義の拡張とは、様々な地域や国の人々に求められ受け入れられて
いくという意味である。ルース・ベネディクト著「菊と刀」の最終章“敗戦後の
日本人”の中の一節に、戦後初の首相・幣原喜重郎(明治5年(1872)-
昭和26年(1951):写真は外交官時代)が組閣時に述べた内容を披瀝し
それは日本国民の考え方を的確に代弁したもの、と書いている。幣原首相
の発言(昭和20年(1945))は、 “新生日本の政府は、国民の意思を
尊重する民主主義的形態を備えている。(中略)天皇陛下はその御意思を国民の意思としてこられた。これこそが明治憲法の精神である(後略)”。

60有余年を経た今日、この引用文のみを読むと、日清・日露戦争、世界金融恐慌、日華事変そして第二次世界大戦へと、怒涛のごとく破滅に突っ込んでいった歴史から、明治憲法の精神が民主主義?そんなバカな!と思うかもしれない。しかし冷静に考えれば、明治時代は封建時代に比べて格段に民主的になったといえる。幣原首相は自らの経験に基づき、民主主義は日本に受け入れられ、不十分ながら成長してきたことを実感していたと思われる。敗戦後日本の歩みは、まさに民主主義の拡張への歩みであった。ベネディクトは、当時の日本人の気持を民族・文化を超えて理解しようと努め、そして的確に読み取っていたといえる。この引用がその証しである。
民主主義の拡張とは、民主的思考の相互理解の輪が広がることでもある。

民主主義は理想ではない。現実の社会を良くして行く為の考え方である。
幸福な人が更に幸福になると言うよりは、不幸な人々を少なくしていくための現実的な方法論
なのだ。そこで大切なのが、民主的思考の相互理解の輪である。日本では党派にたよって党や
派閥の考え方を絶対として、相互理解の輪が拡張されないために、財源の枯渇と共に、
財の分捕り合戦に陥り、民主主義の拡張が頭打ちとなってしまうのではなかろうか?

今回の衆院選は自民党や民主党の集団主義的政権争奪戦としてだけでなく、民主政治の恩恵が
拡張される方向なのか、縮小される方向なのか、という視点も大切だろう。第二次世界大戦前のように、或いはブッシュ政権の時のように、民主的相互理解についての努力に問題はないか?
民主主義の輪が狭まっていく兆候が現れていないか?注意して貰いたい。如何なものか。

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