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独立と建国 [社会]

今日はアメリカの独立記念日。トマス・ジェファソン起草の独立宣言を、採択した日を
独立記念日にしたのはアメリカ人らしさだろう。昨年の同じ日に独立宣言内容を振返った。
そして今年の2.11の建国記念日には、“日々、人民の人民による人民のための建国を心がけよう”と書いた。独立は、独立か、従属かの二者択一的な状態といってよい。一過性のもの。
しかし、建国は大昔の大君の国から、武家の国、そして明治維新後の四民(士農工商)の国
と、様々な変遷を経て、常に、新たなる国を目指して、日々、建国しているともいえる。
建国とは、継続的状態ともいえる。大きな時間の流れを感じながら、世相を概観すると、「人民の人民による人民のための建国」 という事は、今のご時世、重要な視点ではないかと思う。

今朝のテレビで、辛坊治郎の「ウェークアップ!ぷらす」というのを観ていて、その感慨も
一入であった。H知事は、1人で改革を背負って立っている様なことを言っていた。彼は
小泉元首相やその閣僚達が心血を注いで成し遂げた、骨太の基本方針や、郵政民営化が、現在
道半ばで、混迷している状況をどのように見ているのだろうか?

小泉改革をなし崩しにしようとしている既得権者とつるんだ政治家たち、官僚たちを、
水戸黄門の印籠で片付けるというわけにも行かないだろう。既得権者や官僚も人民の一部だ。
いろいろ面倒だが、公正な選挙で問題解決を図っていくしかない。
「ウェークアップ!ぷらす」で、辛坊治郎が、鳩山代表の問題や、首相の不人気で
国民は自民にも民主にも、魅力を感じないことこそ、大きな問題だと言っていた。
長い歴史の一こまでは、そういう瞬間もあるかもしれない。しかし大きな流れを感じていれば
「人民の人民による人民のための建国」 は、キッと見えてくるに違いない。

“木を見て、森を見ない”事のないように、大局感を見失わないことである。
政治家諸氏は人民を基本に据えた日々の建国を!イランのように、選挙結果まで疑うようになったら、建国ではなく壊国になってしまう。法治国家が検察を疑うというのは民主国家が選挙委員会を疑うのに似ている。もし、本当にそんな検察ならば、嫌疑に対する反論などではなく、党を挙げ議会を挙げて真剣に取組まなければならない。今回の国政選挙や地方選挙でも争点になるのではなかろうか。そうでない限り軽々に口にすべきではない。
良識ある人民こそが、民主政治の基本にあるのだから。如何なものか。

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