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生と死の重み [希望]

今日は朝から雨が降り続き午後もやまない。散歩にも出られないので何となくテレビを見た。
最近の私のテレビ趣味は“サスペンス”。再放送で 「弁護士迫まり子の遺言作成ファイル4」 を
やっていた。殺人事件に絡む悲しい話だったが、なかなか物思わせる話でもあった。

あらすじ: 沢田(大地康雄)は殺人罪で無期懲役になり、14年間の服役後に仮釈放となった。
沢田には服役中に離婚した妻と娘・みゆき(奥貫薫)がいるが、一人娘に、せめてもの償いを
したいと、遺言状専門の弁護士・迫まり子(斉藤慶子)に依頼に来る。
娘には婚約者・中谷(林泰文)がいるが、これが実は、沢田に殺された被害者の息子だった。
沢田への復讐のために、みゆきに近づき騙して婚約までしていた。このことを知ったみゆきは
計り知れない精神的な苦痛を受ける。そのことを知った沢田は、中谷に謝罪するも許されず
死のうとするが、迫まり子たちに止められる。其処に現れた中谷は、沢田が何処までも自分本位であると詰り、“あんたは結局「人が死ぬ」ということがどう言う事か分っていない!”と
殴り続ける。そして「あんたは生きて償うべきだ」 といった。

中谷は、父親を殺された上に、母親もそのショックから亡くなり両親を奪われてしまう。
少年の頃に両親を失うことの辛さを身に沁みて知っているから、沢田が“「人が死ぬ」ことの
意味”を理解していないことを責める資格があるのかもしれない。
しかし、身に沁みて“「人が死ぬ」ことの意味” を理解している人がどれほどいるのだろう?
“死ぬことの意味”とは、“生きることの意味”でもある。私のような愚か者は、この年に
なってはじめて、様々な“生きることの意味”を身に沁みて思うことがある。
もっと若い時に、そのような“生きることの意味”を理解していればもっと有意義な人生を
送れたのではないかと悔やむことも多い。

“生きている”人間は、“生きている”ことに慣れ親しみすぎると、“生きている”ことが
見えなくなってしまう。ましてや、“死ぬこと”など見えようはずもない。
ドラマの中で、中谷が、分っていないと沢田を責めた“死ぬことの意味”、それは
“生きている”ことに慣れ親しみすぎて、“生きている”ことの重要性が見えなくなっている
人々すべてに当てはまる警告である。“生きていることの意味”とは、自分本位の抑制
“真・義・愛”の敬慕、尊重、実践という方向性への努力ではなかろうか?如何なものか。

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