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古今集の愛と恋? [和歌・俳句]

昨日は、秋の季節感と無常や愛についての古今集の歌を味わった。
今日は古今集の分類に拘らず、古今集では、愛や恋をどの様に詠っているのかを見てみた。
◎ 唐衣 着つつ慣れにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思う 在原業平
唐衣を着慣れる様に馴染んだ妻を都に置いて続けている長旅こそ、妻の有り難味がわかる。
直訳すれば、長旅を煩わしく或は恨めしく思うという事だろうが、一箇所にゆっくり出来ない
旅先では一夜の恋も儘ならない(昔の恋は現代の援助交際の様な訳には行かぬ)。
こんな時に妻がいてくれたなら、と思うのが勝手な男の愛情というものか?
ちなみに、この歌は、羇旅歌 即ち、旅行中の歌という事である。

◎ 知る知らぬ 何かあや無く分きて言わん 思いのみこそしるべなりけれ よみ人知らず
この歌は、在原業平が、車すだれの中の女性を見初めて出した歌の返し。(恋歌一)
歌の意は:見たかどうか、知るか知らぬか、そんな事に拘ってうじうじ何を言いたいの?
思いこそが、恋の道しるべでしょうに! と、天下の色男にピシリと言っている。
実に小気味よい。まあ現代の様にストーカー等居ない礼儀正しい人ばかりだったから良かった。
古今集時代は、現代の屈折した女性上位ではなく、素直な女性上位だったのではないか?
それにしても、この歌の作者、さぞかし才色兼備であったろう。会って見たかった!
在原業平は、この女性に会えたのだろうか?会えなかったような気がする。

◎ 長しとも思いぞ果てぬ 昔より会う人からの秋の夜なれば 凡河内みつね
歌の意:秋の夜は長いとは言え、思い合って果てもなく過ごしたい人には、短く感じられる。
会う人によって、それぞれ長さが違って感じられる?これは義理チョコならぬ義理恋愛も有り?
それなら、夏の夜は、誰でも短いと感じるのだろうか?冬の夜はどうなんだ?
冬は、秋よりももっと長いぜよ。まあ理屈では無いんですね。春の夜もそうだが
秋の夜も、季候的に絶好の恋のシーズンなのですね。(恋歌三)

◎ 君や来む我や行かんの十六夜に 槙の板戸も差さず寝にけり よみ人知らず(恋歌四)
歌の意:貴方が来てくれるか私が行こうかと迷って戸締りをしないでつい寝てしまった。
歌に出てくる「十六夜」は、断りがないから仲秋の名月の翌日であろう。やはり
満月と、その前後の明るい秋の夜は、恋人たちの「絶好の恋の活動期」なのである。
この句は、女性が詠んだものの様である。性的に変な人間の居ない実に良い時代だ。
男女共に真っ直ぐな心で、穢れを知らない素晴らしい人間性がしのばれる。如何なものか
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雑談・季節感と無常or恋 [閑話]

古今集に、次ぎの様な歌がある。古代の季節感に関する面白い情報だ。
◎ 神無月 時雨もいまだ降らなくに かねて移ろう 神なびの森 よみ人しらず
意は、旧暦10月(冬)に降る時雨が紅葉させると言うが、既に神なびの森は紅葉している
という。この歌によれば、奈良・平安前期以前、紅葉は冬になってから、という事になる。
現代は、紅葉が遅れ気味?で、季節の移ろいも、奈良・平安前期以前に戻っているのか?
季候は長期間で大きく変動しているのだから、現代の温暖化現象が、不可逆的な変化か?
また寒冷化に向かう循環的な変化か?我々人間には、簡単にわからないだろう。

◎ 秋の菊 匂う限りはかざしてむ 花より先と 知らぬ我が身を つらゆき
DSC09061野菊.JPGこの句も古今集。意は、花より先に死ぬかも知れない我が身を、
菊で飾ろう、という。菊は不老長寿に効くという。だから、菊に
あやかって延命を願うということか?現代の人は、菊の命よりも
自分の命の方が、何の根拠もなく長いと確信するから、菊に
あやかるという心境は生まれない?紀貫之は「無常」という事を
知っていた?だから、心の平安を得るために、
菊の気高い香りを身近に感じて居たかったのだろう。

古今集・秋歌・下に並んで掲載されている次の2つの歌は、対になっているように見える。
A)秋は来ぬ 紅葉は宿に降り敷きぬ 道踏み分けて 訪う人もなし よみ人しらず
B)踏み分けて さらにや訪わむもみぢ葉の 降り隠してし 道と見ながら よみ人しらず
秋が訪れ、紅葉が我が家に降り敷いてわが家への道がわからなくなり、道を探しながら
訪れる人もない。というのに対して、もみぢ葉で隠されてしまった道と知っているから
紅葉を踏み分けて、きっとお訪ねしたいものです。と返している、と読める。

A)は、秋という憂愁の「季節感」と人生における「無常観」とを旨く歌い込んだ。
何か悟りすました感じがあるが、私は、これは一種の恋歌ではないかと思う。B)の様な歌を
返したくなる不思議な色気があるからだ。A)の作者は、男性でも女性でも良いのである。
気心の通じる異性の友人に送ったと仮定するとなかなか興味深い。
古代人の平均寿命は短かったとはいえ、30代、40代以降でも魅力的な人は多かったと思う。
世の中の風潮にあわせて、悟りすましても、親しい人には見え見えではないか?
恋の手練手管には、様々な手法がある?古代の方が洗練されている? 如何なものか
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雑談・恋と月(古今集より) [閑話]

今日の朝は快晴だったが、10時頃には曇天となり、午後にはまた日差しが戻ってきた。
「小春日和」というのは、今頃使う言葉だろうが、そう感じる頃には、冬なのか?
旧暦ではもう冬なのに、昨日に続けて古今集の秋歌について、読んでみた。
そこで気付いたのが、「月」に関する歌が少ない事である。特に、「仲秋の名月」の句が
見当たらないのである。その理由を考えてみた結果、それは古今集の古さにあると思う。

何が言いたいかといえば、古今集成立時の人を我々は、なかなか想像できないという事。
古今集成立は、平安遷都(794)から111年後の905年であり、源氏物語成立は、100年以上も
古今集の後の事である。古今集の歌は内容的に、奈良時代の感覚に近いのではなかろうか?

昔の夜空は満天の星空で、月は夜の照明として大変貴重な光源だったと考える。
だからどうしても夜に用事がある場合などは、満月や満月に近い日に用を足したのでは。
それと、庶民は昼間の重労働で、夜の帳と共に、寝ていたのではないか?
一部の金持、貴族たちの宴会に月見をしたかも知れないが、それにしては歌が少ない。

そこで、私の発想は、満月の夜こそ、恋人達の活動時期。古今集の歌の種類も
恋歌が最大であることが、何よりも雄弁に物語っていると思う。
古今集の作者達の平均寿命は、若い(30歳代)? 「仲秋の名月」を楽しむには
いわゆる林住期や遊行期(遁世期)といった晩年にならないと余裕がないのでは?
古今集の作者達は、満月には、恋の季節で忙しかったのではなかろうか?
特に、「仲秋の名月」は、夏の疲れも取れて、最も恋の盛り上がる時期ではないか?

古今集の秋歌で月を読み込んでいる歌の例を挙げておく。
◎ つき見れば ちぢにものこそ かなしけれ 我が身一つの秋にはあらねど 大江千里
<自己流解釈> 秋の月を見ると限りない悲しみが襲ってくるよ。自分一人の秋ではないが。
作者は、儒者(学者)であったから、この歌は、哲学的な感情表現かも知れない。
しかし先ほどの古今集時代人の事を考えた後に、この歌を読むと、皆が恋に浮れているのに
自分は一人寝(お堅いからか?持てないからか?)の夜を送り、落胆しているとも取れる。
この歌は、すでに老境に入った時期の作なのか?若いのに、お堅い考えの人だったのか?
それとも持てないで、悩み多き学者さんだったのか? どの様にも解釈できる。そこに
この歌が「百人一首」にも選ばれ、人口に膾炙する歌になった原因が在るのではないか?
如何なものか
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散歩つれづれ'11.11_(3) [閑話]

今週から冷え込むという話もあったが、今日も相変わらず晴天で昼間は、暖かだった。
立冬を過ぎて約一週間、まだまだ秋の雰囲気である。今みたいに季節的に微妙な時期に
昔の人は、どんな感想を持っていたのだろうか?
古今和歌集などの秋の歌を少し読んでみた。
季節の歌を上下で分けるのは、秋分や春分で分けていると勝手に解釈した。
秋歌・上は、虫の声、月、萩などが、主なテーマである。
◎ 秋の夜は 露こそことに寒からし 草むらごとに虫のわぶれば (よみびとしらず)
<自己流解釈> 秋の夜は、露が降りると殊更に寒かろう 草むらの虫が辛くて鳴いている
この歌の時期は、勝手な解釈では二十四節気の「白露」(9/8)から「秋分」(9/23)の間。
現代の季節感とは、だいぶ異なるように思う。

秋歌・下のテーマは、もみじ・菊などが、メインの様である。
「旧暦九月末日(昔は秋の最後の日)に詠んだ句」という題名がある歌
 (ちなみに、旧暦九月末日を今年の新暦に当てはめると、10月26日)
◎ 道知らば 尋ねもゆかむ もみぢ葉を ぬさと手向けて 秋はいにけり (みつね)
<自己流解釈> 秋の去り行く道を知っていれば尋ねて行きたい、という。
しみじみと去り行く秋を惜しむ、秋歌を締め括るにふさわしい一句だと思う。
ぬさは神への捧げもの。秋が、もみぢをぬさに見立てて、神に捧げて、行ってしまった。
今年の旧暦九月末日(10月26日)は、まだまだ行く秋を惜しむという感じではなかった。

余談だが清原深養父(きよはらのふかやぶ)という人にももみぢをぬさに見立てた句がある。
和歌の世界では、本歌取りという風習もあり、西洋的な字面のオリジナリティは問題にしない。
それでも、私は、どちらが先か気になった。古今集のみつねの三句前に掲載されている。
みつね(凡河内躬恒)は、古今集の撰者の一人で、ふかやぶよりも年長で、知人でもある。
そこで、私は、みつねのオリジナルと、勝手に解釈した。その理由はこうだ。
本歌取りは現代の論文でいえば、参考文献として参考にされた事に匹敵するのではないか?
論文の評価の一つには、参考文献として、どの位多く参考にされたか?というのがある。
しかし、師匠が弟子の論文を参考文献にしないのではないか?
同様に、本歌取りも、先輩が後輩の歌を参考にする事は無いのではなかろうか?

この時期は、季節の変わり目の微妙な時期だから、少し冬の歌も見てみたが、ほとんどの
冬歌は、雪がテーマである。現代の今の微妙な時期は、昔の人が感じる冬の季節感と違う。
旧暦や温暖化現象の問題もある?今の微妙な時期、和歌にもし辛い? 如何なものか
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「カーネーション」第6週・雑感 [閑話]

今日のカーネーションは、糸子(尾野真千子)の啖呵を魂で受け止めたサエ(黒谷友香)が
再び洋服店「ロイヤル」を訪れて糸子と仲直りして、最高のイブニングドレスを誂えた。
話は、それで目出度し目出度しとは納まらず、意外な方向に展開していく。
サエが尊敬していた一流の人物というのが、歌舞伎役者の春太郎(小泉孝太郎)だった。
春太郎は、女の噂の絶えない色事師。奈津(栗山千明)も毒牙にかかりそうだった。
サエが、最高のイブニングドレスで着飾って春太郎と踊り、ホールの華となっていた頃
奈津の父親が、この世を去った。人生は、なかなか意のままにはならないものである。

「人生が意のままにはならない」とは、どういう意味か?字面の意味は当り前の事だ。
自分の意志で世間や他人を意のままにする事など、本気で考えている人間は、詐欺師や
色事師、政治家、あるいは、心理のあやをつく宣伝考案者くらいのものではないか?
イヤイヤ、最近の人間は、相当多数の人が、本気で考えているのかも知れないな?
少し前までは、一般の真ともな人間なら、そんな事を考えてもみなかったと思う。

「人生が意のままにはならない」という言葉で、私が言いたかった事は、
現在進行中の事態さえ人間は、その実態を的確には捉えられないという事である。
サエも、春太郎の良い面はわかっても、問題のある裏側までは見通せない。
糸子も、春太郎の色事師という噂は知っていても、良い所や、真実の姿はわからない。
例えば、今時のホットな政治問題である「TPP」にしても、良い所を知っている人、
悪い所を知っている人は居ても、その両方に精通し、的確に判断できる人はいない。
こういう「群盲、象を撫ぜる」という現実を弁えず、自分の考えが正しいと思っていると
そうでない状況になった時に、慌てふためき、運命を呪う事になるのではないか?

DSC09055KT.JPG今日の予告編を見ると、糸子は父・善作(小林薫)が巻起こす嵐に
またまた吹き曝される様だ。しかし糸子は決して怯まない?
そういういう予感が、私にはある。当るか否か?責任は持てないが。
この世は瞬時も止まらぬ「無常」であると心得、
自分も「群盲」の一人と割り切れば怖いものなし。
如何なものか
(画像上、クリックで拡大できます)
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カーネーション:糸子の啖呵 [大家族]

今日は、糸子(尾野真千子)の胸のすく啖呵で終わった。踊り子・サエ(黒谷友香)が
安物の生地で作った試作品を気に入ってしまう。「そんな安物を高う売るわけにいかない」と
洋裁師のプロを自任する糸子は、サエも同様に踊り子のプロとして遇したのである。
しかしサエは、自分はそんな大層な踊り子ではないと、自嘲気味に言ってしまう。
それを聞いて糸子がガツンとかます。「ほな帰り!そんな女の着るドレスを作りたくない・・」
「・・・・・さっさと着替えて帰って!」と言い捨てて、糸子は試着室を出て行ってしまった。

私は、この啖呵は決して糸子の我儘・気儘から出たものではない、と思う。では何処から
出てきたのか? 相手・サエに対する気遣い、思い遣りから出たとも言いづらい。そこで
私は一連の出来事を、「心の自由」という観点から少し、考えて見たいと思う。

子どもの頃は皆、自由な心を持っていた。だんじりの大屋根に乗りたい、洋服を着たい等の
糸子の思いは、自由な発想から生まれた。しかし父・善作の反対にあって制約される。
これらが社会と個人との対立の始まりである。人間は成長するに従って制約が増えるために
個人の自由を束縛されていると感じる様になる。現に糸子も、それを認識している。例えば
パッチ屋時代、神戸の祖父・松坂清三郎(宝田明)が、心斎橋の喫茶店でご馳走してくれた
時に、祖父の美味しい話を断って喋った話が、祖父を唸らせた。その時の糸子のセリフが、
「お祖父ちゃんウチに甘いさかいな。すぐ甘えてまうと思う。そしたら勉強にならへん」
「・・・・一生懸命に勉強して、一人前になったら、お祖父ちゃんの所へ行くわ。」である。
これはパッチ屋に行くのを許可された時に、善作(小林薫)から100回も「勉強」を繰返し
聞かされた結果、祖父の美味しい話を選択する自由を奪われたと解釈する事も可能である。
人間が成長するという事は、選択を伴い、選択は制約を伴う。自己責任で選択しないと
結果的に、選択に伴う制約が、自由を奪い始めるが、選択に責任を持てば、その制約は
自分の成長であって制約ではなく、自由は一向に奪われないのである。
DSC09059椿.JPG
糸子は善作の話を、悪意即ち束縛として受取らず、善意に
自己の成長に役立つ様に聴くという選択をし、糸子の心の自由も
保たれているのだ。そしてそこに祖父は感心しのである。今日の
糸子のサエに対する啖呵も「自由な心」から発していると思う。
「自由な心」から発する言葉は、世俗的な利害を超えた魂から
発する言葉であり、キッと良い結果を生み出すだろう。
如何なものか
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カーネーション:善作と糸子 [大家族]

連続TV小説「カーネーション」の糸子(尾野真千子)と善作(小林薫)という親子関係について
一度、時代背景なども踏まえて、考察してみたいと思っていた。物語を十分細かく観察して
いないので、間違いも多いと思うが、サラリと見た直感的な感想を書き止めておく。

糸子は大正時代の生まれ。昭和8年で19歳というから大正3年生れ?物語は大正13年(1924)
糸子・10歳の時から始まる。糸子の夢は最初だんじりの大屋根に乗る事、次は洋服、そして
ミシンを使うことと変遷しているが、それは全て、善作の反対によって妨げられた。
そんな時に幼友達・勘助(尾上寛之)を助けようとして勘助に助けられ、絶望する。
その話を聞いて、善作は、勉強のために、パッチ屋に行くことを許可したのである。
善作は、西洋化に流れる世間に不満を持つ保守的な人間と思われるかも知れないが、まだ
糸子が女学生になる前の大正末期の地方都市では、それ程オカシイ考え方ではなかった?
モガ・モボと騒がれた大正ロマン時代も、都会の一部の金持や文壇・ジャーナリズムによる
宣伝が大きかったのではないか?大正12年(1923)の関東大震災は現代の東日本大震災の
影響を考えると、首都圏を襲った事により当時の被害・影響は甚大だったと想像出来る。
大正ロマンが喧伝されたのは、社会不安の隠蔽、経済復興等の為であったとも考えられる。

当時の社会は、現代のように東京一極集中ではなく、まだまだ地方都市に経済力があり
危険分散されていたから、何とか、関東大震災による壊滅的危機を回避したのだと思う。
それでも、じわじわとその影響があった?善作が、女学校を半年(昭和2年)で辞めさせ
糸子の希望を入れてパッチ屋に行く許可を出したのも小原呉服店の経営難で、経費節減を
するという面も濃厚にあったのだと思う。昭和2年3月には、金融大恐慌が勃発している。

昭和5年(1930年)のだんじり祭りの最中に、パッチ屋の主・桝谷幸吉(トミーズ雅)は、
不況とはいえ、糸子をクビにした事を善作に謝った。その時に、幸吉から糸子の事を
「腕もある頭もある先も読める・・云々」と言われ、善作は小原家の将来を糸子に託す決心
をしたのである。ご承知の様に、その後も百貨店の制服、100枚のパッチ受注、駒子の
洋服代金などに関して糸子と、善作との葛藤は続く。此処では、それらの詳細を省くが、
善作からすれば糸子を大きく育てるために「壁」となる父親の勤めを果たしているのだ。

しかし駒子の代金回収問題以来、善作は酒におぼれ、老け込んでゆく。現代から見れば
善作の行動は、健気な糸子の生き方にもかかわらず、糸子のセイにして世を拗ねている?
しかし昭和初期の平均寿命は、45歳という統計データもある。
糸子19歳。善作は40歳を越えている?親と子の本音での付合い時間は束の間なのだ。



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日々是休日? [閑話]

今日は最初薄日が差していたが、ほぼ曇天で一時は雨の心配もしたという日和の散歩だった。
チョッとでも疑わしい時には傘を携帯し、洗濯物は家に入れて散歩に出るのだが、このところ
好天続きで、傘も洗濯物も忘れて出かけてしまった。最後まで降られなくてよかった (^^)/

今日は太陽暦採用記念日という事らしい。日々是休日?ならぬ日々是記念日?
太陽暦の採用を決めた記念日らしいが、11/09は、当時の旧暦の日付。
新暦では1872年12月9日にあたるという。今年の旧暦の11/09は、2011.12.3にあたる。
現代の我々は、太陽暦採用記念日を今日とすべきなのか?12/3にするべきなのか?
いずれにしても今年の太陽暦採用記念日は、なんと139周年記念日にあたる。

139年を経過した今もなお、日本人の日常には旧暦や尺貫法が息づき、生き残っている。
我々日本人は、西洋文化を旨く飼いならし、こういう状況を旨く扱っていると思っている?
しかし本当にそうだろうか?我々日本人は、異質な文化に引き裂かれてはいないか?
日本の国民の休日が、全く文化的統一を欠いて定められていることが、象徴するように、
日本の文化は個別的・分散的に丸で古美術愛好家の「何でも鑑定団」の様に、銭金によって
量り売りされる代物になってしまっているのではないか?

日々是休日?の我々のような閑人の議論かもしれないが、日本人が本当に引き裂かれるのは
これからが本番ではないかと思う。しっかりと地に足をつけて考えねばならないのでは?
無意識の分裂症ほど恐ろしいものはない? 如何なものか

紙幅が余ったので今日訪れた当地・市役所の菊花展の写真を掲載した。(画像クリックで拡大)
DSC09045菊.JPGDSC09047菊.JPG
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'11立冬の日 [閑話]

SJ(スロージョギング)で汗を出すから、まだまだ、軽装で過ごせるのはありがたい事である。
SJをしながら、つい先日に、昔、私の住んでいた摩耶山の麓を訪れた時の事を思い出した。
摩耶ケーブル行きで、終点に着き、坂を下った時、急な事に驚いた。
急な山道を下る感じで、身体の重心を後ろに置かないと、前のめりに、のめりそうになる。
住んでいた頃は、常時、歩いていた道である。上りも下りも何の苦も無く歩いたものだ。
登りも下りも、人に追い抜かれるのがシャクで、競争になると駆け上がり、駆け下りた。

考えて見れば常時住んでいたのは10代迄で、親元を離れて生活するようになってからは
そんな急な坂道と、短期的に付き合っても、日常的、長期的には、ついぞご縁が無かった。
だから、もう、そんな急な坂道の事を、私の体は、忘れてしまっていたのであろう。

最近、SJも余り話題にならないが、SJに合う体質、合わない体質があるのだと思う。
私が一昨年の6月以来、継続できているのは、この急坂の町で育ったからではないか?
私は、生来、蒲柳の質で、病弱だったから、身体も弱く、骨も細く、筋肉もないが、
あの神戸の急な坂道が、骨も筋肉も貧しくとも、幼児から慣れ親しんだお陰で、普通では
柔弱な私の身体に到底、創りえない強靭な関節を、神様が与えてくれたのだと思う。
勿論、強靭と言っても、普通一般のレベルに比べたら、何ほどのものでもないだろう。
しかし柔弱な他の部分と比較して、関節等が相対的に強い事に感謝しても、し尽くせない。
NEC_0073 (2)aTV中橋.jpgDSC09043中橋.JPG
写真は今日の「カーネーション」で、吉田屋出入りの芸妓駒子(宮嶋麻衣)が糸子(尾野真千子)に、
橋上で、作ってもらった洋服の代金を渡そうとする場面である。右は先日、撮影した我が家の
近所にある石橋である。角度が違うが、明らかに同じ橋であることがわかるだろう。ドラマは
糸子が洋服の代金を受取らずに帰宅して父親(小林薫)に怒られたが、怒った父親も深夜、娘の
不甲斐なさに男泣きに泣くシーンで終わった。傾いた家産の全てを娘に託し、懸命に応援し、
早く成長して欲しいと願う親心も、糸子の心意気も、痛いほどよくわかる。如何なものか
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'11晩秋散歩の写真 [散歩]

今日は雨のち曇の予報で、午前中に雨が止んだので散歩に出たが、少し降られた。
新渓園を通りかかったら、写真グループに出会った。その人々の撮影の視点から刺激を受け
急に写真を撮りたくなり晩秋の新渓園界隈を撮影した。(写真上でクリックすると拡大できます)
DSC09026狛犬T.JPGDSC09036秋.JPG
DSC09015秋.JPGDSC09016秋.JPG
DSC09018秋.JPGDSC09020鯉.JPG





























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