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カーネーション:善作と糸子 [大家族]

連続TV小説「カーネーション」の糸子(尾野真千子)と善作(小林薫)という親子関係について
一度、時代背景なども踏まえて、考察してみたいと思っていた。物語を十分細かく観察して
いないので、間違いも多いと思うが、サラリと見た直感的な感想を書き止めておく。

糸子は大正時代の生まれ。昭和8年で19歳というから大正3年生れ?物語は大正13年(1924)
糸子・10歳の時から始まる。糸子の夢は最初だんじりの大屋根に乗る事、次は洋服、そして
ミシンを使うことと変遷しているが、それは全て、善作の反対によって妨げられた。
そんな時に幼友達・勘助(尾上寛之)を助けようとして勘助に助けられ、絶望する。
その話を聞いて、善作は、勉強のために、パッチ屋に行くことを許可したのである。
善作は、西洋化に流れる世間に不満を持つ保守的な人間と思われるかも知れないが、まだ
糸子が女学生になる前の大正末期の地方都市では、それ程オカシイ考え方ではなかった?
モガ・モボと騒がれた大正ロマン時代も、都会の一部の金持や文壇・ジャーナリズムによる
宣伝が大きかったのではないか?大正12年(1923)の関東大震災は現代の東日本大震災の
影響を考えると、首都圏を襲った事により当時の被害・影響は甚大だったと想像出来る。
大正ロマンが喧伝されたのは、社会不安の隠蔽、経済復興等の為であったとも考えられる。

当時の社会は、現代のように東京一極集中ではなく、まだまだ地方都市に経済力があり
危険分散されていたから、何とか、関東大震災による壊滅的危機を回避したのだと思う。
それでも、じわじわとその影響があった?善作が、女学校を半年(昭和2年)で辞めさせ
糸子の希望を入れてパッチ屋に行く許可を出したのも小原呉服店の経営難で、経費節減を
するという面も濃厚にあったのだと思う。昭和2年3月には、金融大恐慌が勃発している。

昭和5年(1930年)のだんじり祭りの最中に、パッチ屋の主・桝谷幸吉(トミーズ雅)は、
不況とはいえ、糸子をクビにした事を善作に謝った。その時に、幸吉から糸子の事を
「腕もある頭もある先も読める・・云々」と言われ、善作は小原家の将来を糸子に託す決心
をしたのである。ご承知の様に、その後も百貨店の制服、100枚のパッチ受注、駒子の
洋服代金などに関して糸子と、善作との葛藤は続く。此処では、それらの詳細を省くが、
善作からすれば糸子を大きく育てるために「壁」となる父親の勤めを果たしているのだ。

しかし駒子の代金回収問題以来、善作は酒におぼれ、老け込んでゆく。現代から見れば
善作の行動は、健気な糸子の生き方にもかかわらず、糸子のセイにして世を拗ねている?
しかし昭和初期の平均寿命は、45歳という統計データもある。
糸子19歳。善作は40歳を越えている?親と子の本音での付合い時間は束の間なのだ。



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