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散歩つれづれ'11.11_(3) [閑話]

今週から冷え込むという話もあったが、今日も相変わらず晴天で昼間は、暖かだった。
立冬を過ぎて約一週間、まだまだ秋の雰囲気である。今みたいに季節的に微妙な時期に
昔の人は、どんな感想を持っていたのだろうか?
古今和歌集などの秋の歌を少し読んでみた。
季節の歌を上下で分けるのは、秋分や春分で分けていると勝手に解釈した。
秋歌・上は、虫の声、月、萩などが、主なテーマである。
◎ 秋の夜は 露こそことに寒からし 草むらごとに虫のわぶれば (よみびとしらず)
<自己流解釈> 秋の夜は、露が降りると殊更に寒かろう 草むらの虫が辛くて鳴いている
この歌の時期は、勝手な解釈では二十四節気の「白露」(9/8)から「秋分」(9/23)の間。
現代の季節感とは、だいぶ異なるように思う。

秋歌・下のテーマは、もみじ・菊などが、メインの様である。
「旧暦九月末日(昔は秋の最後の日)に詠んだ句」という題名がある歌
 (ちなみに、旧暦九月末日を今年の新暦に当てはめると、10月26日)
◎ 道知らば 尋ねもゆかむ もみぢ葉を ぬさと手向けて 秋はいにけり (みつね)
<自己流解釈> 秋の去り行く道を知っていれば尋ねて行きたい、という。
しみじみと去り行く秋を惜しむ、秋歌を締め括るにふさわしい一句だと思う。
ぬさは神への捧げもの。秋が、もみぢをぬさに見立てて、神に捧げて、行ってしまった。
今年の旧暦九月末日(10月26日)は、まだまだ行く秋を惜しむという感じではなかった。

余談だが清原深養父(きよはらのふかやぶ)という人にももみぢをぬさに見立てた句がある。
和歌の世界では、本歌取りという風習もあり、西洋的な字面のオリジナリティは問題にしない。
それでも、私は、どちらが先か気になった。古今集のみつねの三句前に掲載されている。
みつね(凡河内躬恒)は、古今集の撰者の一人で、ふかやぶよりも年長で、知人でもある。
そこで、私は、みつねのオリジナルと、勝手に解釈した。その理由はこうだ。
本歌取りは現代の論文でいえば、参考文献として参考にされた事に匹敵するのではないか?
論文の評価の一つには、参考文献として、どの位多く参考にされたか?というのがある。
しかし、師匠が弟子の論文を参考文献にしないのではないか?
同様に、本歌取りも、先輩が後輩の歌を参考にする事は無いのではなかろうか?

この時期は、季節の変わり目の微妙な時期だから、少し冬の歌も見てみたが、ほとんどの
冬歌は、雪がテーマである。現代の今の微妙な時期は、昔の人が感じる冬の季節感と違う。
旧暦や温暖化現象の問題もある?今の微妙な時期、和歌にもし辛い? 如何なものか
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