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幸福感と幸福度(2) [閑話]

繰返しになるが、私は、幸福感を「音感」と同様の感覚として考えたいと思う。
西洋音楽の音感の基本は音階という特定の波長の音を聞き分ける能力である。
同様に「幸福感」は「幸福」を視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、直感等の六感を通じて、
幸福度という幸福の基本要素を認識する能力、幸福感=幸福認知力だと考えるのである。

素晴らしい音感がないと素晴らしい作曲や演奏を創造出来ない様に、素晴らしい幸福感が
ないと素晴らしい幸福を創出する事はできないと思うのである。何かを創造する才能を
磨きたいならば、その何かの基本となる要素を認識する感覚、感受性、能力を磨くべきだ。
そういう幸福感=幸福認知力という風に捉え、その対象となる要素=幸福度と考えるのと
ブータン王国の国民総幸福量(GNH)と、その72の調査項目とは、だいぶ隔たりがある?

ブータン王国の国民総幸福量(GNH)の72項目の調査項目を調べてみた。
その詳細はわからなかったが、9つの構成要素からなっているという。それらは、
1.心理的幸福、2.健康、3.教育、4.文化、5.環境、6.コミュニティー、7.良い統治、
8.生活水準、9.自分の時間の使い方、という事であった。
これは国民が生活、環境、政治等に、どの程度満足しているか?というアンケート調査である。
詳細は不明だが、商業主義のアンケート調査の様に、お客様は神様として調査するのではなく
国民の「幸福」に関する認知力、素養・経験のバラツキを考慮し、絶対幸福感を育成する
基本要素の開発に役立ててもらいたいものである。しかし道は遠そうである。

そこで、もう一度、音楽に立ち返った時に、何故、西洋音楽が世界を席巻しているのか?
民族音楽の復活も、西洋音楽の基本要素を取り入れる事によって成し遂げられている。
これは、商業主義のみでなされたのではなかろう。西洋音楽の基本要素が世界中の人々の
「音感」を磨き、音楽に慣れ親しみ、音楽を学習しやすく、感覚を大きく成長させるから
ではないか。人類にとって音楽の歴史は長く、あらゆる民族に音楽の歴史はあった。
その中で、西洋音楽の強みは、学びやすさにあったのである。

だから私は、幸福感を感覚として、幸福を認知・識別する感覚を学びやすくする基本要素を
幸福度として開発すべきであると思うのである。古今東西の権力者をはじめ政治家、そして
商業主義にまみれた悪徳商人らは、何時の時代も民衆を搾取し続けている。民衆の幸福等
誰も本気で考えてはくれない。民衆自身が、幸福認知力を学びやすくして、搾取する人間に
騙されない絶対幸福感を身につけない限り、永遠の泥沼でしかない?如何なものか
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