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雑談・恋と月(古今集より) [閑話]

今日の朝は快晴だったが、10時頃には曇天となり、午後にはまた日差しが戻ってきた。
「小春日和」というのは、今頃使う言葉だろうが、そう感じる頃には、冬なのか?
旧暦ではもう冬なのに、昨日に続けて古今集の秋歌について、読んでみた。
そこで気付いたのが、「月」に関する歌が少ない事である。特に、「仲秋の名月」の句が
見当たらないのである。その理由を考えてみた結果、それは古今集の古さにあると思う。

何が言いたいかといえば、古今集成立時の人を我々は、なかなか想像できないという事。
古今集成立は、平安遷都(794)から111年後の905年であり、源氏物語成立は、100年以上も
古今集の後の事である。古今集の歌は内容的に、奈良時代の感覚に近いのではなかろうか?

昔の夜空は満天の星空で、月は夜の照明として大変貴重な光源だったと考える。
だからどうしても夜に用事がある場合などは、満月や満月に近い日に用を足したのでは。
それと、庶民は昼間の重労働で、夜の帳と共に、寝ていたのではないか?
一部の金持、貴族たちの宴会に月見をしたかも知れないが、それにしては歌が少ない。

そこで、私の発想は、満月の夜こそ、恋人達の活動時期。古今集の歌の種類も
恋歌が最大であることが、何よりも雄弁に物語っていると思う。
古今集の作者達の平均寿命は、若い(30歳代)? 「仲秋の名月」を楽しむには
いわゆる林住期や遊行期(遁世期)といった晩年にならないと余裕がないのでは?
古今集の作者達は、満月には、恋の季節で忙しかったのではなかろうか?
特に、「仲秋の名月」は、夏の疲れも取れて、最も恋の盛り上がる時期ではないか?

古今集の秋歌で月を読み込んでいる歌の例を挙げておく。
◎ つき見れば ちぢにものこそ かなしけれ 我が身一つの秋にはあらねど 大江千里
<自己流解釈> 秋の月を見ると限りない悲しみが襲ってくるよ。自分一人の秋ではないが。
作者は、儒者(学者)であったから、この歌は、哲学的な感情表現かも知れない。
しかし先ほどの古今集時代人の事を考えた後に、この歌を読むと、皆が恋に浮れているのに
自分は一人寝(お堅いからか?持てないからか?)の夜を送り、落胆しているとも取れる。
この歌は、すでに老境に入った時期の作なのか?若いのに、お堅い考えの人だったのか?
それとも持てないで、悩み多き学者さんだったのか? どの様にも解釈できる。そこに
この歌が「百人一首」にも選ばれ、人口に膾炙する歌になった原因が在るのではないか?
如何なものか
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