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平和を愛するDNA [歴史]

平凡社新書522「全体主義」を読み終えた。発行は、原書2002年。日本語版は2010.05。
難しい本だった。著者はエンツォ・トラヴェルソ。訳者・柱本元彦のあとがきによると
著者は、フランス在住のイタリア人で、ドイツを専攻しユダヤ問題に取組み続けており、
六ヶ国語をあやつるポリグロット(多言語話者)で、論文はフランス語で書くそうな。
著作の内容が、多様な資料を渉猟して、実に多岐にわたって検討されているのも頷ける。
内容の話に入る前に、ポリグロットという言葉から、チョッと寄り道をしようと思う。

最近、「国民総幸福量(GNH)」で話題のブータン王国の言語はどうなっている?
ブータン王国は、やはり多言語国家であった。公用語はゾンカ語(国語)のほか英語、
ネパール語、多数のブータン語方言があるという。様々な民族の集合体?
ブータン王国の人口は、70万人弱。国土の面積は九州より少し大きい程度という。
ブータンにも、明治維新期と同様の、国家アイデンティティ問題があるようだ。
チベット系(ブータン北部)とネパール系(ブータン南部)の南北問題もある様子。
英語の公用語化は最近始まったため、中年以上の世代にはあまり通じない。逆に
英語教育を受けた若い世代は、ゾンカ語で話せても、読み書きができないものもいる?
インド製娯楽映画やテレビ番組が浸透しているために、ブータンで通用性が高い言語は
ヒンディー語やそれに類するネパール語であるという。

ブータンの超簡略概要を紹介したが、我々がブータンに親近感をもつ理由が見えてきた。
恐らく、ブータンも日本と同様に平和を愛する国だと思う。ブータンは山の中、日本は
海の中だけれど、国を構成する人々は、殺戮を繰返す世界にうんざりして、ささやかな
平和を求めてたどり着いた場所なのだと思う。ただ、世界と出会うタイミングが違った?

「全体主義」を読んで、民族のDNAに平和を愛するDNAの多寡があるという事を、
深く考えさせられた。本書の様に、問題を分析しなければ、ナチズムやスターリニズムの
悪行を防止し得ないならば、中々、歴史から学びとる事ができず、噴火、地震、津波等
自然災害と同様に、これからも、次々と、世界を揺るがす大事件が起こるだろう。
それでも我々、平和を愛するDNAをもつ人間は、そのような悪魔の所業に惑わされず
自分たち本来の責務を果たして雄々しく生きて行くべきだと思う。絶対の安全や安心等、
物理的には何処にもない。それを求め続け、戦い続けてきたのが人間の歴史ではないか?
そしてその要求が性急に過ぎるから殺戮が起こる。平和を愛するDNAは急がないのだ。
あくせくせず穏やかに物事を進めるのである。それが日本の保守本流。如何なものか
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