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冬の寒さも優りける [大家族]

立冬過ぎも、まだまだ暖かく軽装で散歩を楽しんでいたが、一段と厳しい冷込みとなった。
◎ 山里は 冬ぞさみしさまさりける 人めも草も枯れぬと思えば 源宗干朝臣(古今集)
意味:山里は冬になって、人も見かけなくなり、草も枯れて、尚更さびしくなったなあ!
◎ わが里の 冬の寒さもまさりける ジョギングしても風に冷え込む 自作
スロージョギングをすれば、体が温まり、歩きに切替えた時、軽装でも冷え込まなかったが、
今日は昨日と違い、厚めのパーカを着用したにも関わらず、徒歩では風の冷たさに冷込み
スロージョギング後も、ほとんど、小走り(早足)で、なんだか忙しい散歩になった。
つい先日まで妻は、夕餉の支度に火を使うから暑いと言っていたが、今日は涼しい顔で、
部屋を暖房しながら火を使っていた。まさに、冬の寒さも本格化してきた。

しかし、この季節の変わり目の、気温の変化に対する体感温度は、相対感覚である。
私は、春から夏への気温変化は、暖かくなるのは余り気にならないが、三寒四温などで
一旦暖かくなってからまた寒さが戻るのは、非常にこたえる体質である。
秋から冬の場合も、気温変化が冷え込む時には、非常にこたえる体質である。
絶対気温的には、これからまだまだ寒くなるが、寒くなったら寒くなったで何とかなる。
人間の体は、変化には弱くとも、安定すれば、結構、適応範囲は広いのだろう。
仮に、厳寒と酷暑の気温を日々繰り返すような場合だと、私の場合、酷暑→厳寒・時期に
耐えられるか?が心配である。いずれにしても、そんな過酷な環境変化に体が持たない?
それは老人が思う事であって、若い人には、過酷な環境が人を育てるという側面もある。

幸福論の難しさは、常に幸福量が多ければ良い、と割切れないところにある。
私が幸福感を大切だと思うのは、幸福量調査だけでは、本当の幸福の追求にはならない
と、思うからである。幸福感は、幸福量が少なくとも、幸福を感じられる能力だ。

今日は余り書く事を思いつかなかったので、いつもの様に暦をみた。
今日は、「OL」と「ハイビジョン」の日だそうである。この二つを一緒にすると
「ハイビジョンOLの日」となる。ハイビジョンは、絶世の美女、という意味にもとれる?従って
今日は、「絶世の美人OLの日」と、解釈できるのでは?と、私設記念日を考案した。
そこで、この二つの記念日が揃った時期を調べてみた。「OLの日」は、1963年制定
「ハイビジョンの日」は、1987年制定、従って「絶世の美人OLの日」となったのは1987年。
私の娘達が、世間に出て働き出す少し前だ。娘達が絶世の美人か否か?
まあ親ばかとして、私設記念日・「絶世の美人OLの日」を、娘達のために祝おう!
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