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お仕着せ選挙・2 [社会]

一昨日のブログ「お仕着せ選挙」で、何故、日本の選挙を“お仕着せ”と言ったか?
「選挙権」とは、権力者を選ぶ権利である。それを、いとも簡単に放棄する発言が
一般市民というより、地域行政の責任者・管理者の間から出た事を私は奇妙に思った。
勿論、地域行政の人々は、一般市民の意を汲んで発言したのかも知れない。
しかし、発言の仕方が、「選挙なんかやっている場合ではない」という風であった。
何だか、「選挙をしてやっている」という恩着せがましい言い方に思えたのである。
だから、日本の選挙は、権力者からの“お仕着せ”ではないか?と言ったのである。
“お仕着せ”とは、町家の大店や、豪農が、使用人に着せる「はっぴ」の様なもの。
ご主人の権勢を他人に誇示するためのものである。日本の選挙権なども、日本国家の
権勢を諸外国に見せびらかすためのお飾りなのだろうか?それならば、権力者が勝手に
実施を左右する事も可能であろう。

もう1つ“お仕着せ”で言いたかった事は、多くの日本人は、「話合いで解決することが
民主主義の本質だ」と、思っているということである。だから大連合などの国民不在の
与野党間の談合も、この緊急時だから仕方がないと思っているのではないか?
こういう考え方をしてしまうのは、民主主義を“お仕着せ”でやっているからでは?
民主主義は、話し合いで解決できない問題を平和的に解決する方法に過ぎない。
だから、何の後腐れもなく、話合いで解決できるなら、それに越したことはない。
日本人は、今も、昔からの談合体質を懐かしく思っているのではなかろうか?しかし
思い出してもらいたい。政治的談合に、後腐れのない談合などあるのだろうか?
日本人は、危急存亡の時、理性(左脳)を捨てて、感性(右脳)で生きようとする?

一般市民が「選挙権」の獲得を、長い歴史の多くの人々の血と汗と涙による闘いの成果
として感謝するならば、権力者への安易な妥協はオカシイ? この様な厳しい時だから
民主主義の本質を弁え、理性(左脳)と感性(右脳)をバランスよく働かせるべきだ。
国政選挙まで、地方選挙並みに、大震災を理由に延期するのは、本末転倒ではないか?

政治の先進国・イギリスやアメリカでも、民主主義だけでは、うまく行かない?
単純で飽きっぽい性格の日本人が、民主主義に感謝せず、飽き飽きするのもわかる。
だからと言って、他に何もないから、先祖帰りするのも支離滅裂ではないか?
明治維新、第二次世界大戦敗戦を経験し、道徳は頽廃し、ますます権力者は自己本位で、
偽善的言葉や観念を駆使して止まない。庶民は「快楽」にふけるしかない?如何なものか
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