SSブログ

聖・俗 御伽噺 [閑話]

私は、日本の「聖(僧)」と「俗」に関して、「理性(左脳)」と「感性(右脳)」という
視点から、歴史的時代を追って、大雑把な「おとぎ話」として整理してみようと思う。

日本では、古代に仏教が伝来した事になっている。それまでは土着の修験道や、神道など
呪術的要素の宗教であった。古代以前は、「呪術」という神秘的技を使う「聖」集団が、
権力を握るという構造だった。
古事記・日本書紀(略して記紀)を読んでいると、その権力抗争の基が良くわからない。
何事もない権力継承のケースと、決められた皇太子ではない別の後継者になるケースに
理屈はあるのか?後世の歴史解釈ではなく、同時代的な視点では、恐らく当事者にも良く
分っていなかったのではないか?
そこで、私は、古代社会の「聖」・「俗」は、「感性(右脳)」主体であったと考える。

仏教伝来によって、新たな「聖」社会が、奈良・平安時代に形成された?奈良・平安時代
当時の「聖」社会は、「理性(左脳)」の力を信じて「俗」世間から超越していた?
古代以前の権力者集団(貴族)は、今や精神的に、「俗」世間と変わりなくなった。
「俗」世間は、相変わらず「感性(右脳)」主体で混乱した。「俗」の権力者は、「聖」に
すがって救済を求めた。古代が「聖」と「俗」という社会構造の完成時期ではなかったか?

「俗」世間から「武士団」が台頭し、貴族を棚上げし、実質的な支配者になった。この事は
古代以前の「呪術」による支配が形骸化していたとは言え、現場に密着した支配の始まりで
参政権の拡張と言う画期的な出来事だった。しかし、それが社会的な混乱と経済成長という
複雑な歴史的発展をとげ、「聖」にも「俗」にも、大きな変革をもたらした。

法然・親鸞の口称念仏思想は、「理性(左脳)」を絶対的に信じる従来の「聖」社会の
信念を打破する画期的なものだった。画期的なものには、必ず善悪の両面がある。
誤った解釈をすると、謙虚さを失い、傲慢になってしまう。そして素晴らしい点は、
「聖」と「俗」という二項対立的ではなく、常に物事を柔軟に捉える様な考え方である。
中世社会以降、「聖(僧)」社会も、「俗」世間も、幾多の経験をした後に、鎖国して
日本の「聖」・「俗」は、「理性(左脳)」と「感性(右脳)」の均衡がとれていた?

明治維新で「僧」社会が壊され「感性(右脳)」のシャーマニズムが国家宗教となった。
第二次世界大戦の敗戦後、「聖」社会も「俗」世間も精神的に漂流? 



平安時代に、古代国家として、「聖(僧)」、「俗」という精神的な構造は一応完成した?
武士集団の台頭、蒙古襲来、生産性向上等が絡まり、下克上の戦国時代(全国的内乱戦争)
百余年を経て徳川幕府・約260年の鎖国時代に、日本人の精神面は中世の完成を成した?
近代に入った時に、大きな過ちを犯したのではないか?

何故、中世を飛び越え、古代にまで遡り、尚且つ、支配の手法としては、既に形骸化した
「呪術」の系譜である神道を、国家宗教に祭り上げたのか?
中世を否定すると言う事は、日本人の精神的成長を否定するという事ではないのか?

西洋のルネサンスを真似たのだろうが、猿真似以下と言うべきではないか?
本家・西洋のルネサンスについて詳しいわけではないが、その活動は、単なる中世否定
ではない。私の解釈では、古代ギリシャ・ローマ時代をキリスト教的視点から再解釈し
近代につなげるという壮大な試みだったと思う。

明治維新の木っ端志士は、武士道精神の様式的精神のみを尊重し、日本の一般庶民の
中に育っていたバランスの取れた感性(右脳)と理性(左脳)を尊重しなかった。
廃仏毀釈という法令は、「僧」集団の精神的な権威を打ち壊しただけではなく、
日本人の精神的支柱であった「家庭仏教」の背骨を折ってしまった。その事によって
日本人は、「僧」でも「俗」でもない親鸞のいう「愚禿」な生き方を見失ってしまった。
現代日本政治の迷走は、政治家の問題もさることながら、政治家を選ぶ庶民の側に
確固たる精神的な背骨が通っていないことが、大きな原因ではなかろうか?
如何なものか
nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。