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生きる歓び・命の大切さ [物語]

以前のブログを読み返していて、書き足りなかった2011-06-18の記事を見つけた。
「おひさま」第11週、陽子(井上真央)が、生徒たちに「命の大切さ、生きることの歓び」
を教えてやれない、と悔やむ話だ。私が、この記事で言いたかった事は、
「教師が、国家の教育方針を批判することと、子どもに対する接し方とは別だ」という事。
例えば“教師から「生きる歓びや命の大切さ」を教えてもらわないのは可哀相”というのは
自分の意見を過大評価した尊大で、自己中心的な考え方だと思うからである。
本来、子どもは「生きる歓びや命の大切さ」の多くを、自然観察、家族(両親、兄弟姉妹、
或いは、祖父母)、近所や親戚のおじさん、おばさん、友人等から多角的に学びとる。

陽子の心構えを、そういう考え方では「子どもが可哀想だ」と、正した徳子(樋口可南子)の
導きは、生きることの本質を抑えた素晴らしい指摘だった。こういう指導は中々得がたい。
陽子はめぐり合わせの良い人であり、そしてまた、それを受入れた陽子は賢明な人である。

これ以降は、全くのよた話である。
昨日、湯けむりサスペンス【旅行作家・茶屋次郎】シリーズの2001/07/25放送分
梓川清流殺人事件!一つの殺人と二つの水死!三代にわたる悲劇の謎?飛騨の郷に
旅行作家・茶屋次郎(橋爪功)の推理がさえる! というドラマを、再放送の録画で見た。

このドラマに出てくる悲劇の人・橋戸ユウ(三条美紀)が、大正11年(1922)生れ。何と
陽子と同年の生まれなのだ。しかも生れや生活圏も安曇野や松本の近くだったと思う。
しかし陽子と違い、ユウの人生は茨の道! 13歳で、野麦峠を越えて岡谷の製糸工場に。
二十歳過ぎに工場の検番・浅沼与吉の子どもを宿し、私生児は、産婆の仲介で
戸籍に入れないまま他人に譲る。それからも苦労の連続。まるで、女工哀史そのまま。
昭和40年(1965)7月にユウ→与吉、平成1年(1981)に、ユウの子→与吉の子、そして
2001年、ユウ・79歳で、ユウの孫→与吉の孫、という三代続いた殺人連鎖の幕は閉じた。

「おひさま」もサスペンスドラマも、単なる物語に過ぎないが、「おひさま」第15週は、
陽子が妊娠し、周囲の人々から祝福を受けた。こういう時に、こうして映像で見ると、
その運命の違い、生き様の違いをまざまざと見せ付けられる。「生きる歓び・命の大切さ」
を学ぶとは、本当に難しい。命がけで生きる時に、他人の命は見えなくなる?
命がけで生きるとはどういうことか?命がけで守るものとは何か?共生の道とは?
「命」、「生」にまつわる事柄は、大変におくが深い? 如何なものか
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