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適度な刺激 [思い出]

高校時代の卒業50周年記念同窓会があった。最初に物故者への黙祷があったが、この一年で
また新たに鬼籍の仲間入りをした人々の中に、Y君の名前もあった。
高校時代、柔道部に所属していた元気モノだったけれど、病には勝てなかったのだろうか?
卒業以来、初めて会ったという人々も沢山いた。いろんな思い出話に花が咲いたが、当時の事で「君はあぁだった、こうだった、それに俺はこう感じた。」と、詳細な情景を含めて、話してくれた中には、私自身、全く覚えていないこともあった。自分に都合の悪い事は覚えていない習癖をもつ私だが、今となっては、そう都合の悪い話とも思えないのに、何故、記憶から欠落しているのだろう?そんな事も、日常、平凡な生活をしている私には、新鮮な経験だった。

50年ぶりに憧れのマドンナにも会えた。私にとってマドンナは何人もいたが、その一人である。
全部で190人の出席者の中で、女性は70人弱、在学当時は、男・400人、女・200人、全部で
600人、クラスは11組、1クラス約55名と言われていた。今回は若干、女性の出席率が良かった
のか?マドンナは、旧姓・MNといったが、会場を眺め回した限り気付かなかった。高一の時に
一緒のクラス(MN嬢も同じ)のK君が、わざわざ会わせてくれた。当時、K君がMN嬢に
憧れているとは知らなかったが、彼は、私が憧れていたことを覚えてくれていたのだろう。
本人曰く普通の“おばさん”となったMNさんは開口一番、「ごめんなさいね!こんなおばちゃんになって夢を壊してしまって。」といわれてしまった。高校時代の小柄で華奢な体格からは想像も
出来ない大柄でガッチリした体格に、会った瞬間には少し、そんな印象も無いではなかった。

50年ぶりの再会と書いたが、大学時代に、東京駅周辺でMN嬢を見かけたことを思い出した。
高校時代と違い、背が伸びてまるで別人の様になっていた。そのことをズッと忘れていたが、あれはやっぱり本人だったのだ。二次会は卒業時のクラス有志と繰り出したが偶然にもまたMNさんと再会。20名弱が、互いに自己紹介という形で、思い出を語り合った。一次会二次会で話を聴いて分かったのだが、高校卒業と同時に、カナダ、続いて米国と留学していた由。そういえば、当時、そんな噂を聞いたことがあったという記憶が、時をおいて薄っすらと甦ってきた。1つの出会いから、後になって色んな古い記憶が掘り起こされる。人間の頭はどうなっているのだろうか?

MNさんに限らず、50年という歳月を越えて、互いの濃密な人生を、淡々と語りあう中で、刺激が言い知れぬ心地よさを伴って、脳へ、心へ、全身へと拡がってゆく。同窓会は、このような適度な刺激が如何に大切かを教えてくれているように感じた。如何なものか。
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「ゲゲゲの女房」23週 [物語]

物語は、昭和56年(1981)になった。私は、その頃一番ゴルフに打ち込んでいた時期である。
アレ以来、ゴルフの実力は下降線をたどり続けているが、ゼロに近づくに連れて退歩速度も
低下していく。永遠にゼロに近づくが、ゼロにはならないということなのだろう。

ゲゲ夫婦の子ども達も長女・藍子(青谷優衣)は大学生、次女の喜子(荒井萌)は中学三年生で
配役も代わった。茂(向井理)は仕事のスランプに陥り、「鬼太郎達のでる幕などないのかも知れ
ない。子供たちはロボットアニメに夢中で、大人たちは金儲けで忙しい。古臭い妖怪の相手など
しとられんのだろう。妖怪なんてもの本当にあると思うか?」と、布美枝(松下奈緒)に聴く始末。
布美枝は、結婚直前に父親(大杉漣)から聴いた「40年、50年連れ添っていれば良い時も
あれば悪い時もある。悪い時に人間の値打ちが出る」という話を思い出す。
布美枝の夫に対する信頼は、もう微動だにしない。深い思いをもって見守るのである。

茂は、「貧乏神につかまらんように逃げ続けてきたが、とうとう追い付かれてしまいそう」と弱音を
吐いていた。しかし久しぶりに訪ねてきた日本一小さいマンガ出版の戌井(梶原善)や学校の
先生になっている河合はるこ(南明奈)と話していて、突然悟る。「俺は何を見失っているんだ?
マンガが受けるか受けらんかと、俺も点数レースに追われとった。」、「拍手の多い方に顔を
向けとる内に妖怪を見失ったのかも知れん。」と。茂はまた自分を取り戻したのだ。

マンガ「私はゲゲゲ 神秘家水木しげる伝」の中で、水木しげるは、
“日本中が明るくなり過ぎたのに加え、世の中自体が百鬼夜行の様相になったのにおびえ、
本物の妖怪たちが姿を消しつつある。”と書いている。

昔は「見えないものを信じるという事」≒「自分の良心にウソはつかないという事」、だった。
現代の様相は、自分の良心などというものを持ち合わせていない人々がゴロゴロしている。
正に百鬼夜行。良心を持たず、平気でウソをつき、悪行を重ねる世の中が、合理的であるはず
もない。科学が進歩し、合理主義がはびこって、合理的でない事は悪と決め付ける風潮が出てき
たが、昔の妖怪を否定するだけで、実在する現代の妖怪の不合理な行動に何らなす術もない。
医療・防犯など、金ばかり掛けて表面をつくろっても、人間の心の闇を知らずしては、ザルに
水を注ぐようなもの。徒労という。ザルの目にあわせた程度でいいのでは?如何なものか。
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小沢一郎の決断 [物語]

小沢一郎が、昨日、正式に代表選出馬を表明し、菅・小の全面対決となった。
昨日の共同記者会見の様子をニュースで断片的に見た限りでは、小沢の態度、表現が菅を
はるかに凌いでいた。やはり、修羅場をかいくぐってきた経験の違いという事か?

私は、当初、小沢の出馬は無いと思っていた。確たる理由があるわけではなかったが、
菅氏が首相になってまだ3ヶ月ということで、此処は大人しくしているだろうと考えた。
しかし、小沢氏としては、そんなに安易に引き下がるわけには行かなかったのだ。

考えてみれば、民主党が政権を執れた原動力は、小沢氏の選挙戦術ノウハウにあった。
見方によっては、彼は、人の嫌がる仕事、目立たない仕事を支えて、民主党を此処までに
してきた第一人者だった。政治と金の問題で躓いて、衆院選には大勝したものの、油揚げは
鳩山に持っていかれ、本来なら首相の座に着くはずだったのに、幹事長になって鳩山政権を
民主党の立場からサポートした。普天間問題や、子ども手当も何処まで相談に預かったのか
定かではない。

鳩山政権が、普天間問題で挫折して、参院選をうまく乗り切るためと称して、小沢下ろしが
益々表面化し、世間一般も、それが当たり前と感じたようだが、私の考えはすこし違う。

民主党の人々は、大きな勘違いをしている。民主党が政権をとれたのは、小沢一郎あってこそ
なのなのである。その証拠に、鳩山、菅と続く民主党政権は、1年以上経っても何の見通しも
ないではないか?小沢外しの民主党政権は、担当能力がない事は、すでに明らかである。

此処からは、私の物語だ。小沢一郎はこう考えた。
鳩山や、菅などの無能な人間でも首相になれた。この際、私も首相の列に加わっておこう!
自民党や旧与党の連中と、民主党の政治は何処が違うのか?はっきりと国民に示しておこう。
現在の民主党において、その独自性を明確化する事は、将来あるかも知れない政界再編に
おいても重要な問題であるからだ。
思えば、自民党離党以来17年間。この辺りで、自分の政治家としての道筋にケジメをつける
べきだと考えた。今の民主党をもう一度鍛えなおすためにも、代表選に勝ち、首相になって
正々堂々と全軍を指揮すべき時だと考えたのである。 如何なものか。
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2010-08健康月報 [大家族]

8月の私の健康管理状況をまとめた。目標達成には不十分な部分あり。結果は以下の通り。
1.万歩記録。合計・426千歩。1日平均・13728歩。1週間平均・96096歩。前月から漸増。
2.筋トレ。実施日・11日で 実施率:0.355と目標の50%に大きく届かなかった。
  原因は酷暑? 我が私設ジムは劣悪で熱暑にできない運動があったため、意欲減退?
3.スロージョギング。実施日・20日 実施率:0.645。目標50%は達成するも大幅ダウン。
  1日平均時間・31.8分 (1ヵ月間のスロージョギング実施時間/31日)、これも大幅ダウン。
  酷暑の中、まあよく頑張ったというべきか?昨年の様な中断宣言はまだよ(^-^)g"
4.ゴルフ素振り、アプローチ、練習場等。18日実施で0.581。先月よりも若干増えた。
  盆休みの息子とのゴルフ対決、そして今月上旬の高校同窓記念コンペなどで、結構
  真剣にトレーニングに励んだ成果だろうか?記念コンペの結果や如何に?

今年の記録的な暑さそれを記念して、気象庁の2010.07月、08月のデータをもとに、
熱帯夜、猛暑日などを、東京、大阪、神戸、岡山、倉敷について記録として残しておきたい。
熱帯夜:日の最低気温が25℃以上
 7月 東京=17日、 大阪=13日、 神戸=12日、 岡山=13日、 倉敷=7日
 8月 東京=30日、 大阪=29日、 神戸=31日、 岡山=29日、 倉敷=28日
猛暑日:日の最高気温が35℃以上
 7月 東京=4日、 大阪=6日、 神戸=2日、 岡山=5日 、 倉敷=1日
 8月 東京=6日、 大阪=20日、 神戸=4日、 岡山=16日、 倉敷=7日
真夏日:日の最高気温が30℃以上
 7月 東京=18日、大阪=17日、 神戸=18日、 岡山=19日 、 倉敷=22日
 8月 東京=24日、 大阪=11日、 神戸=27日、 岡山=15日、 倉敷=24日
夏日:日の最高気温が25℃以上
 7月 東京=9日、 大阪=8日、 神戸=11日、 岡山=6日 、 倉敷=7日 
 8月 東京=1日、 大阪=0日、 神戸=0日、 岡山=0日 、 倉敷=0日
その他:日の最高気温が25℃以下
 7月 東京=0日、 大阪=0日、 神戸=0日、 岡山=1日、 倉敷=1日
 8月 東京=0日、 大阪=0日、 神戸=0日、 岡山=0日、 倉敷=0日
岡山と倉敷が、7月にそれぞれ、最高気温25℃以下の日があったのが印象的だった。
日本中の町が、亜熱帯的な都市ジャングルにならないことを願いたい。如何なものか。
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