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生き方と命 [物語]

昨日、“ためしてがってん”、「認知症!介護の新技で症状が劇的に改善する」は大変に
タメになった。以前のブログ「2009-03-06認知笑or認知症」でも認知症の事を取り上げた事が
あるが、その時につくった、川柳とも俳句ともいえない一句は的を射ていたと思う。
◎  アラエイティ 認知症より 認知笑

私は私の子どもの頃、周りの人々がお年寄りと、どの様に接していたかを、よく覚えている。
多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛している事が、自然に滲み出ていた。だから
接する人々は、今でいうところの「バリデーション」と呼ばれるようなコミュニケーション法
が自然に身についていた。老人が多少ボケても親身になって耳を傾け、意味がよくわからなく
とも、ユーモアとして笑顔で答えていた。実際、当時の老人は洒落や冗談がうまかった。
周りの人たちが、シャレを即、分からず間をおいて爆笑を誘う事もしばしばだった。
いまでは「バリデーション」も外国の老婦人を先生として、有難く日本人は拝聴していた。
こういう手法だけを逆輸入して、表面だけ取り繕う福祉で、税金をつぎ込んでやる事が
これからの日本の進む正しい道なのか?よく考えるべきではないか。

Dr.コトー診療所の第8話「救えない命」の物語を、「終末医療」といった、型通りの医療の
問題としてではなく、人間の一生がどうあるべきかという面から見るべきではないか。
この物語が、藁草履作りを子ども達に教えている明おじこと・山下明夫(今福將雄)の所に
Dr.コトーが訪ねてくる場面から始まるのが象徴的である。明夫の息子・山下一夫(納谷真大)
が、父親の様子がおかしいとコトーを呼んだのだ。明夫は末期がんとわかり、本土での手術を
コトーは奨めるが、明夫はコトーの執刀を望む理由を、「もし、わしが死んでもあんたの手に
かかって死ねるなら本望じゃ!」という。明夫がコトー(吉岡秀隆)のことをどれだけ知って
いるだろう。信頼関係というのは、疑えばキリがない。明夫は見知らぬ人よりも島で懸命に
働いているコトーを信頼するに足ると思ったのだ。だから、明夫が亡くなったときに、一夫と
妻の道子(森上千絵)から、明夫の遺品を手渡される。それは、藁草履と一通の手紙、そこに
「コトー様 夏涼しくて冬暖かい わしの自慢は 西瓜と藁草履 あきおじ」と書いてあった。
冒頭の場面で、明おじは、コトーに藁草履を作ってやる約束をしていたのだ。

老後こそ、生命維持よりも心をさらに豊かにすることだ。そのためには、若い頃から人々との
心からの「バリデーション」会話法や、信頼と笑顔が大切ではないか?如何なものか。
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