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十六夜_'10 [和歌・俳句]

今年は本当に暑い夏だったが、昨夜の雨で、全国的に気温が下がり、秋らしくなるらしい。
当地は9月に入ってからも「真夏日」が続き、9/15,16を除き、20日間も「真夏日」 !!!
よく此処まで頑張った(耐え凌いだ)ものだと感心する。暑いのもほどほどが良い!

今夜は、十六夜の月であるが、またも月見はできないかもしれないと思っていた。
昨夜来の雨は止んだが、雲はまだ厚かった。午後4時頃いつの間にか青空が覗いていた。
今日の生活パターンは変調で、夕食を早めに済ませて、18時前に散歩に出た。そうしたら
東の地平線の近くに、今出たばかりの大きなお月様がみえるではないか!空は一面に晴れ
大きなお月様が、微笑んでいるようにみえた。東に向かういつもの散歩コースをとった。

◎ いま出たて 大きな月の輪 散歩道
◎ 十六夜の月 家並みのかげに 見え隠れ
◎ 月光に コウモリ飛び交う 二羽三羽
コウモリの数え方は間違っているかもしれないが、月光に照らし出された田園地帯を飛び交う
コウモリに、頭や匹は似合わないと思った。月光とコウモリといえば吸血鬼を連想する。
しかし、我が田園地帯は、まったくその気配なし。平和そのものである。
今日は旧暦の8月16日、従って今宵は、“十六夜(いざよい)”だが、月齢は14.7・満月だ。
でも、こころなしか、少しはかけているところがあるような気がする。気のせいだろうか?

芭蕉は、更科紀行で、観月の名句を残している。
名月の夜
◎ 俤(おもかげ)や 姨(をば)ひとりなく 月の友  芭蕉(45歳・貞享5年:1688)
十六夜
◎ いざよいも まださらしなの 郡(こおり)かな  芭蕉(同上)

二つの観月の句は能狂言・謡曲の「姨捨」の物語に引かれて遠路、訪ねて出来たものである。
能では、名月の夜に、捨てられた「姨」が旅人の夢に現れて、白い衣で月光の中を舞う。
月のことを大勢至(阿弥陀如来の右の脇侍・大勢至菩薩)といういわれなどが語られる。
幻想的な「姨(をば)」の面影を抱き、遠路はるばると訪ねて、夢を適えた芭蕉のよろこびが
しみじみと伝わってくるような気がする。如何なものか。
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