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「ゲゲゲの女房」23週 [物語]

物語は、昭和56年(1981)になった。私は、その頃一番ゴルフに打ち込んでいた時期である。
アレ以来、ゴルフの実力は下降線をたどり続けているが、ゼロに近づくに連れて退歩速度も
低下していく。永遠にゼロに近づくが、ゼロにはならないということなのだろう。

ゲゲ夫婦の子ども達も長女・藍子(青谷優衣)は大学生、次女の喜子(荒井萌)は中学三年生で
配役も代わった。茂(向井理)は仕事のスランプに陥り、「鬼太郎達のでる幕などないのかも知れ
ない。子供たちはロボットアニメに夢中で、大人たちは金儲けで忙しい。古臭い妖怪の相手など
しとられんのだろう。妖怪なんてもの本当にあると思うか?」と、布美枝(松下奈緒)に聴く始末。
布美枝は、結婚直前に父親(大杉漣)から聴いた「40年、50年連れ添っていれば良い時も
あれば悪い時もある。悪い時に人間の値打ちが出る」という話を思い出す。
布美枝の夫に対する信頼は、もう微動だにしない。深い思いをもって見守るのである。

茂は、「貧乏神につかまらんように逃げ続けてきたが、とうとう追い付かれてしまいそう」と弱音を
吐いていた。しかし久しぶりに訪ねてきた日本一小さいマンガ出版の戌井(梶原善)や学校の
先生になっている河合はるこ(南明奈)と話していて、突然悟る。「俺は何を見失っているんだ?
マンガが受けるか受けらんかと、俺も点数レースに追われとった。」、「拍手の多い方に顔を
向けとる内に妖怪を見失ったのかも知れん。」と。茂はまた自分を取り戻したのだ。

マンガ「私はゲゲゲ 神秘家水木しげる伝」の中で、水木しげるは、
“日本中が明るくなり過ぎたのに加え、世の中自体が百鬼夜行の様相になったのにおびえ、
本物の妖怪たちが姿を消しつつある。”と書いている。

昔は「見えないものを信じるという事」≒「自分の良心にウソはつかないという事」、だった。
現代の様相は、自分の良心などというものを持ち合わせていない人々がゴロゴロしている。
正に百鬼夜行。良心を持たず、平気でウソをつき、悪行を重ねる世の中が、合理的であるはず
もない。科学が進歩し、合理主義がはびこって、合理的でない事は悪と決め付ける風潮が出てき
たが、昔の妖怪を否定するだけで、実在する現代の妖怪の不合理な行動に何らなす術もない。
医療・防犯など、金ばかり掛けて表面をつくろっても、人間の心の闇を知らずしては、ザルに
水を注ぐようなもの。徒労という。ザルの目にあわせた程度でいいのでは?如何なものか。
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