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同窓会余話 [閑話]

同窓会の翌日は、記念ゴルフコンペを開催。48名が参加した。表彰パーティの後は解散。
但し連泊する遠方から参加した連中(東京、海外、その他)は、中華屋に集合して二次会。
20名ばかりのこの集会も流れ解散で、21時頃にホテルに着いたが、4名だけで隣の居酒屋へ。
中華屋からホテルまで10~20分ばかり歩いた喉の乾きを少し潤しながら「深いぃ~話」を
しようという寸法である。チョッと酔った頭で、素晴らしい話が出来たと思っていたが、
今思い出そうとしても、キーとなる部分が、なかなか思い出せない。

話題は、政治・時事問題から、歴史、哲学、宗教、そして社会問題へとなかなか尽きない。
我々の年代が集まると、病気の話題が必ず出ると言うが、ほとんど出てこない。そういえば
元気者のINが“整体師”のことを話題にしたが、あまり他のものが乗って来ないのでそれきりに
なってしまった。私など、実生活の中で“整体師”との接点が皆無で、話の穂の継ぎようもない。
恐らく、もっともっと身体を鍛えてゆくと、“整体師”との接点もでてくるのか?そう考えてみると、
病気は不健康の成れの果てではなく、健康追求の果てにもあり得るのだろう。

此処からは同窓会との関係は全く無い、私の勝手な記述であることをお断りしておく。
現在、押尾被告の裁判が、保護責任者遺棄致死罪で争われている。
この裁判のポイントは、争点となっている女性(KT)が、健康者から病人になってから死に
至るまでの経緯、時間が大切だと思うが、その点を明らかにされていない?

押尾被告は、今回と同様の麻薬を使った女性関係を繰返していたようだが、
このような行為が、男・女ともに健康者→病者になる確率は低いのだろうか?
次に、この様な行為によって、男・女の内、どちらかが、健康者→病者になった場合、相手に
保護責任者足りえる資格(すなわち、正常な判断力を持った成人)があるのだろうか?
KT嬢の病者→死者の経過時間内に、押尾被告が正常な判断力を取り戻せたのか?

私の考えでは、検察は押尾被告に保護責任者遺棄致死罪を課して見せしめにしたいのだろう。
私は情としては分からなくないが、日本の倫理観を全て法律で決しようという考えには違和感
を覚える。押尾被告の独善性、利己主義は明らかであり、昔の日本では法律ではなく倫理観で
裁かれた。しかし現代日本では微罪ならば、堂々と生延びられる可能性大である。
今回の根本問題は、日本の倫理観の崩壊をあからさまにしているのでは?如何なものか。
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