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「ゲゲゲ」から「てっぱん」 [物語]

NHKの連続TV小説も、今週から「ゲゲゲの女房」→「てっぱん」へと切替った。
だいぶ前宣伝をしていたが、話の筋が何となく気に入らず見るつもりはなかったが、
月曜日は、いつもの習慣で、切替りに気付かず、「てっぱん」を見てしまった。
ドラマ制作者もさる者、イントロが、意表を突き、何となく見ている内に、村上あかり
(瀧本美織)が、海に飛び込むシーンがあり、その思いっきりの良さに感服した。しかも
再度、飛び込むのには驚いた。防波堤の近くには、消波ブロックなどもあるだろうに?

今日まで見続ける事になった理由には、あかりのあの勢いの他に、「ベッチャー」がある。
今の私にとって、尾道は隣町と言っても良いご近所であるにも拘らず、「ベッチャー」?
調べてみると、「鬼」の一種らしい。そこで、「ゲゲゲの女房」と妖怪でつながった。
「ベッチャー」が、このドラマで、どんな働きをするのか?あるいは、働かないのか?
そこをある程度、確かめるまで見てみようかな?と思ったのである。

「ゲゲゲの女房」において、妖怪は、表だった働きではないが、全編を通じて、見えない
存在感があった。行灯の光の中で元気だった妖怪が、科学技術が進み、電気の光が皓々と
輝くにつれ、日本列島が不夜城になるにつれて、姿を消し、人々は忘れてしまった。
妖怪を忘れるにつれて、人間としての大切なこころも忘れてきているのではないか?
「ゲゲゲの女房」の物語は、そのように問い続けていたのではなかろうか?
それは、2003年製作の「Dr.コトー診療所」の五島健助(吉岡秀隆)が、病院激務のために
忘れていた事とも深く関係していた。

「てっぱん」において、村上あかり(瀧本美織)はトランペットを二度までも海に投込んだ
田中初音(富司純子)のことを、祖母とは知らず「ベッチャー」(尾道の子どもらには祭り
で恐ろしい存在)と名付ける。その命名が、田中初音(67歳)の年齢に似合わぬ、無作法で
礼儀知らずな態度で、決定的になった。初音は、家を訪ね、あかりの過去を暴き、その心を
恐ろしいまでに傷付けてしまった。少なくとも私は、同年代という設定の初音に怒りを覚えた。
もっと、何とかもののいいようもあるだろう。自分は10数年もほったらかしにしている事を
棚に上げて、娘がお世話になっていた家庭(父・錠(遠藤憲一)、母・真知子(安田成美))に
あの態度は無いだろう!いま思い出しても腹が立つ。あかりの父母は本当に出来た人である。
「ベッチャー」は本来、良い妖怪?果たして初音・ベッチャーはどうなのか?如何なものか。
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