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続・TV小説「てっぱん」5週 [物語]

今週の「お母ちゃんの味」最終日は、かつお節会社社長・浜野(趙珉和)と事務員・小夜子
(川中美幸)とのかりそめの母子関係が始まるキッカケとなった“不味いお好み焼き”の味
で締め括った。「お母ちゃんの味」は思い出の味。そして、“思い出の味”は「愛」の味。
味覚と共に「愛」を感じるとき、その味は、不味くとも“思い出の味”として残る?
それを味わう時、「愛」が甦るのである。浜野と小夜子のもめごとは丸く治まった。

私は、味覚は思い出によって形成されると思っている。
会食や喫茶を楽しみながら、「愛」を感じるとき、楽しさやよろこびを分かち合う時、
その味覚は、その人にとって忘れえぬ味覚となる。その味覚に出会った時、その当時の
情景や感情が甦ってきて、嬉しくなるし、感動する場合もあるだろう。
逆に嫌な、侘しい、詰らぬ体験と共にした味覚は、どんなに美味しい飲食物も、良い印象
は無いのでは?その当時の味覚に出会っても、恐らく余り美味しいとは思わないだろう。
だから味覚には、客観的な尺度は無いと思う。
人々の人生が、様々な経験によって多彩なように、人々の味覚も多様だと思う。

今日の浜野が作ったグチャグチャのお好み焼きは“不味い”という事になっているが、
私は、そこそこの味だと思う。「思い出として残る味」は、その本人にとっては
忘れえぬ味覚であり、世界一の味であっても、赤の他人には、普通なのである。
それが、あかり(瀧本美織)の育ての母・真知子(安田成美)のダシ巻卵の味なのだ。
あかりにとっては世界最高でも、社会科見学に来た小学生にとっては普通の味だった。
それでも前回の見学時には捨てて帰った“かつおダシの素”を、その日は全部持ち帰った
というのだから、普通というのは素人としては高いレベルということではないか?

初音(富司純子)が、あかりのダシ巻卵が、冷えた時のダシの滲み方まで計算に入れた
ダシの取り方のことを言っていたが、その辺が、素人とプロとの境界なのではないか?
あかりが、後でそのことを何故教えてくれなかったかと、初音をなじったが、初音は
「お母ちゃんの味」を信じ込んでいるあかりに言っても、受入れないことを知っていた。
プロは、思い出の味、それも世界で一番と思っている「お母ちゃんの味」に勝てないこと
を良く知っているのだ。高価な料理や、贅沢な余暇が、人生にどれだけの意味を持つか?
人生の意味を探し、独自の人生を創造する為に、多くのお金は不要では?如何なものか。
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TV小説「てっぱん」5週 [物語]

第5週のお題は、「お母ちゃんの味」。このおかあちゃんの味はチト複雑な味である。
注意深く味合わないと、ちっとも面白味がなくなる。なかなか小難しい物語だ。
別の言い方をするならば、こなれていない。まだ、機が熟していないとも言えるかも?
しかし、荒削りではあるが、その表現手法は何か素晴らしいものを秘めているような。

作者の今井雅子はどういう人か、初めて興味を持った。ネットで調べたら、今年40歳
出身・大阪府堺市、京都大学教育学部卒業。何とNHKTV小説「つばさ」に関わっていた。
「つばさ」は、NHKTV小説中の歴代最下位視聴率だったという。余りに斬新過ぎて我々の
様な年代にはそぐわなかったのだろう。何だ!新人類の脚本か?であるならば、今後
余り期待できないのではないか?そんな不安がよぎった。

まあそういう事で見当違いかも知れないが、それを承知の上でチト複雑なお母ちゃんの
味について、考察してみたい。今週のお母ちゃんの味は、四種類の味が隠されているのだ。
最初は、あかり(瀧本美織)の育ての母・真知子(安田成美)のダシ巻卵の味。
第二は、かつお節会社社長・浜野(趙珉和)と、事務員・小夜子(川中美幸)との
世間的には見えない、かりそめの母子関係における共通体験の味わい。
第三は、ベッチャー・初音(富司純子)と娘・千春との葛藤が、少し姿を表わす。
それは、小夜子に向かって「何で?音楽かぶれの放蕩息子、背負い込む事なかったやろ」
「あんたにとって(浜野は)もう社長やない。いうたら、あんた等は母子や」
「社長の事となったらむきになってしもうてる。ダメなお母ちゃんの典型や」と言いながら
自分が、娘・千春について、ダメなおかあちゃんであった事に向き合うのである。
千春にとって、“お母ちゃんの味”は、どんなだったろうか?考えさせられる。
そして、あかりと千春の母子関係が、第四の隠し味となっているのである。

その序曲は、尾道の兄・欽也(遠藤要)が突然、訪ねてきて、初音があかりの祖母である事を
下宿の人たちや近所の伝さん(竜雷太)に知られてしまったところから始まるのだ。
ドタバタ騒ぎの最中に、民男(前田航基)が質問したあかりの父親のことを初音に訪ねる。
自分の生れてきた意味は何か?聞きたいという。それに答えた初音の言葉が素晴らしい?
「自分の生れた意味なんちゅうもんは人に聞くもんやない。自分で探すもんやないか?」
「お母ちゃんの味」も同じ事。あかりは千春の味を探すしかないのでは?如何なものか。
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あきれる民主党の本質・3 [社会]

あきれる民主党の本質については、尖閣諸島沖衝突ビデオの公開に関するゴタゴタ、
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)でのゴタゴタからも明らかである。
TPP交渉参加は、菅首相が参院選後の民主党代表再選後、国会の所信表明演説で発表した。
しかし新聞によると昨日、民主党の衆参両院の議員65人が国会内に集まって反対論をぶった
という。この様な大切な国際的経済協定に関しては、少なくとも党内での流れを作ってから
公表すべきではないのか?民主党のマニフェストと同じで、所信表明も単なる美辞麗句?
民主党や民主党首相の、口からでまかせという羽毛のごとく軽い言葉には飽き飽きした。

仙石官房長官が実権を握って方向を決めているのか?しかし党としての基本的な路線が
明確でないまま個人プレーが横行したのでは、「船頭多くして舟山に登る」。増々あてどない
方向へと漂っていく事になるだろう。事業仕分けというスタンドプレーだけを頼りにして
“柳の下の泥鰌”を何度も追い掛け回して、体裁を整えると言っても限度がある。しかし
このどうしようもない体たらく政権も、国民が支持している限り(NHKの内閣支持率の最新
調査では菅内閣支持:48%、不支持:35%)、継続するわけである。そこで、昨日の最後に
“民主党の足掻きを冷静に見極めるしかない”、“政治家、官僚組織、国家の役割について
国民一人一人が考えよう!”と締め括った。しかし本当にそれで良いのだろうか?

暦の用語を調べるために「平成21年高島暦」(今年分は無い)を眺めていたら、時運占断
の“日本の政治について”という項に、非常に興味深い事が書いてあった。以下、略記。
「平成21年の日本の政治は政治本来の使命感を忘れ、本筋に戻ろうとする事に迷っている」
「日本国民の利益を忘れて、派閥的集団で能力がないリーダを立て、政治を操ろうとする」
「将来の大計を立てる時期であるのに、気が熟さないまま実行するから失敗に終わる」
「これは明らかに人災で、天災が追い討ちをかけてくる兆候である」、「この損失を回復
するのに、十年という長い歳月が必要」、という占いだった。

この暦本は、発行日が2008年8月20日であるから、民主党の政権奪取、鳩山内閣、菅内閣
について、何の情報もなかった。しかし、現在の日本の惨状をよく言い当てているのでは?
ただこの占いの中で、回復のためには十年の歳月が必要というのは、これからの事なので
当たって欲しくない。そのためにも日本国民の一人一人が、人間関係の重要性を再認識し
目先の欲に囚われず大局的な観点に立って、政治を真剣に考えて欲しい。如何なものか。
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あきれる民主党の本質・2 [社会]

今日は、札幌の初雪・平年日だが、今年は昨日初雪で、日本列島は一気に冬模様になった。
当地・倉敷でも昨夜、急に冷えんで、まるで、夏から即、冬になったような感じだった。
気候変動の異常がいわれだしてから春と秋が短くなったように思うのは、僻みだろうか?
札幌の初雪は、最近の5年間は11月に入ってからだったという。夏長い年は冬も長い?

民主党が、凍結していた企業・団体献金の受け入れ再開を、昨日決めたそうである。
企業・団体献金の凍結は、民主党が政権を盗って、小沢一郎が幹事長に就任した時に
「政治と金」問題の批判をかわすために行った、単なる政治的スタンドプレーである。
政権交代を賭けた2009.8.30衆院選挙時のマニフェストには、3年後禁止を謳っていた。
いわゆる小沢一郎の「政治と金」問題の批判をかわすための口からでまかせであった。
心ある人はそんなことを信じる事はなかったが、それを信じて民主党に投票した人も
あって、政権交代はなされた?恥知らずにも、口から出まかせのマニフェストや方策で
国民を騙し、何の有効な政策も作れないくせに、金だけは欲しがって変節?情けない!

お粗末政策の見本のような話が今日の新聞に出ていた。片山総務相が、就任直前に
継続審議中の地域主権改革関連3法案について、「本当にお粗末な法案」と、月刊雑誌
「世界」8月号で評している事が、自民党議員から指摘された。片山氏は、前国会で
この法案が成立しなかったことを評価しているという。
民主党という政党、或いは内閣は、この様に、専門家から見るとお粗末な政策を無限に
垂れ流している?このような状況で、大臣だけ替えただけで状況が好転するはずがない。
普天間問題でも、一から出直しのような議論であり、菅首相は、自己の面子にばかり
こだわっている。日本は閉塞状態と言うが、民主党政治が全くの閉塞状態なのだから
日本の閉塞状態を打開する事は難しいだろう。

こうなったら、トコトン、民主党の足掻きを冷静に見極めるしかないだろう。
野党の中から連立を組むところも出てくるかもしれない。それも含めて、冷静に、冷静に
与党、政府、そして野党の行く末を見つめることが大切ではなかろうか?
その様な状況の中で、日本の本質的な問題、問題を解決するための大きな骨太の方向に
国民が気付くことである。幸せとは何か?どのような人間を育てなければならないか?
政治家や官僚組織の役割は?国家の役割は?一人一人が考えよう! 如何なものか。
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あきれる民主党の本質 [社会]

最近の政界の動きを見ていると、小沢一郎の「政治と金」が、またまた政局になってきた。
北海道5区の小林千代美氏が、違法献金事件や選対幹部の選挙違反で辞任した後の補欠選挙
(24日投開票)で、自民党の町村信孝氏(66)が当選したことが引金になった。しかし
野党は、どうも問題をすり替えているというか、問題の本質には向かっていない様に思う。

小沢一郎の「政治と金」の問題は、昨年の8.30衆院選挙前から大々的に報じられていた。
にも拘らず、自・公連立与党は大敗し政権交代したではないか?強制起訴が決まった事は
当時と状況は変わったが、基本的には何の具体的な証拠も明らかにされていない。
村木厚子女史の冤罪事件で検察の強引な捜査が問題になっているが、強制起訴の制度も
反検察勢力の“小沢一郎憎し”に凝り固まった一部の人々の思い込みかも知れないのだ。

私は、野党の連中が、民主党の問題点を、小沢一郎の「政治と金」の問題に帰納するという
考え方に問題があると考えている。日本は大切な本質に迫らず取りあえずの実用部分だけを
つまみ食いする傾向にある。日本の民主主義政治は、欧米のつまみ食いである事が問題だ。
だから問題点が明確にならない。小沢一郎の「政治と金」の問題も大切かもしれないが
民主党への批判の本質は、もっと別のところにあるのではなかろうか?

今日の新聞によると、鳩山前首相が「議員引退宣言」を撤回したという。
野田正彰・関西学院大教授(精神病理学)は、“恵まれた環境に育ち、優柔不断の性格で政治
をやってきた。”という。しかし優柔不断のそんな人間を誰が首相にしたのか?民主党であり
政権交代に投票した国民なのである。鳩山が首相であった10ヶ月余り、どんな惨めな政治を
してきた事か?そして、菅内閣になっても、その迷走ぶりは一向に変わらない。

子ども手当を、2011年度は現金で1人当たり2~3千円上乗せするという。年間4~6千億円
予算が膨れる。いま、問題になっている医療保険料は、厚労省の最新試算では、これからの
15年間で、保険料負担が5兆4千億円増えるといって騒がれている。これを年間に換算すると
3.6千億円。子ども手当の2千円上乗せにも満たない金額である。金持ちにも全員に配る
「子ども手当」という政策が、如何に愚かな政策かと言う事は、誰にでもわかることだ。
民主党の政治は一部の政治家だけでやっている官僚束縛政治。野党が極めるべきは、国民に
本質を示すことでは?一部の人間だけの自己満足政治ではどうにもならぬ?如何なものか。
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オペラ「椿姫」etc. [閑話]

昨日に続いて今日も雨降りである。二日続くとチョッと気になる位、当地は雨が少ない。
秋雨前線か?と思ったら、tenki.jp(下記URL)で既に9月19日に発生とあった。
http://tenki.jp/forecaster/diary/detail-2566.html
当地では余り秋雨前線を感じなかったが、関東に住む娘が、当時、雨が多いと言っていた。
秋雨前線は、梅雨前線の反対で、北から下がってくるが、途中で消えたのだろうか?

昨日は、オペラ「椿姫」を見に行った。それですぐ思い出すのが、マツコ・デラックス風の
体格をした椿姫のことである。映像として記憶に残っているのだが、当時(小or中学生)は
まだTVはなかったし、映画で見たのか?或いは少し後のTV時代の事なのかは定かでは無い。
その歌声には記憶がないのだが年配の知人が私と同じ映像体験をしたのだろう。「結核の
病人が、あんなに元気な声で歌っていて死ぬのは不自然だ。」というのを聞いた事がある。
これも、小or中学生の頃の記憶だと思っている。

それは兎も角、今回の「椿姫」はグルジア生まれの小柄な均整のとれた体格で好感が持てた。
しかし、病身での元気な歌声はまだしも、死ぬ間際まで豊かな声量で歌うのには恐れ入る。
オペラに関する知識があり、この辺の事が理解できないと、オペラには馴染めないのだろう。
生憎、私の育成環境はオペラに縁がなかったが、歌舞伎と類比すればある程度理解できる。
大きな声、発声法、大げさな身振りは、照明も音響設備も不十分な時代の工夫であろう。

そんな私だが、昨日のオペラは、日頃の付き合いのしがらみで行かざるを得なかった。
しかし行って見ると大変楽しく鑑賞出来た。合唱仲間も沢山出ていて頑張っていた。
立派な衣装(世界の一流歌劇場で使用されているもの)に身を包むと誰だか分からないと
いう人も何人もいた。孫にも衣装というと怒られるだろうが、衣装も大きな要素だと納得。
オペラ「椿姫」の原題は「道を踏みたがえた女」というらしい。いろいろな意味に解釈
されるようだが、「道ならぬ恋」への挑戦=旧体質の革新、という社会派物語ともいえる。
ヴェルディの時代はアメリカ独立戦争、フランス革命の後で、マルクスの社会主義思想の
誕生・発展と同時代であり古い過去から新しい理想的な時代を夢見ていた。オペラ「椿姫」
ではヒロインのヴィオレッタは死の直前とはいえ恋を成就し革新を起した、ともいえる?
ヴェルディは貧しい音楽家のための老人ホーム「憩いの家」を建設した心優しい左翼?
ともあれヴェルディと妻は、「憩いの家」に仲良く眠っているという。如何なものか。
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TV小説「てっぱん」4週 [物語]

今週の題は、「上を向いて食べよう」。そこで、替え歌を作成した。
“上を向いて食べよう 涙がこぼれないように 泣きながら食べる 一人ぼっちの夜”
初音(富司純子)の下宿に住む小学生・中岡民男(前田航基)は、この歌詞と同じ状態だった。
転校間なしのため学校でいじめに会っている。父親の中岡徹(松尾諭)は仕事で帰宅が遅い。
食事に付き合う人も居ない。1人ぼっちで淋しい思いをしているのだ。
民男に相手してもらっているという山下清画伯のようなおじさん・笹井拓朗(神戸浩)が民男
の一番の理解者で、あかりに今度の日曜日が民男の誕生日である事を告げた。笹井は自分の
事を、“民男に何もしてやれないダメな男だ”と言っていたが、彼の民男への熱い思いが
大きな起爆剤となり、あかり(瀧本美織)の体当たり活動と相まって素晴らしい誕生会になる。

駅伝君・滝沢薫(長田成哉)を誕生会に参加させるために、あかりが冬美(ともさかりえ)に
相談して休日トレーニングに付き合う。朝から夜中迄かかって努力するも結局最後はダウン。
初音のフォローでうまく行ったがそうでなければ徒労に終わる所だった。あかりがそこまで
するのも民男の為ばかりではなく、ややこしい人間関係を避けないで、初音や下宿人が
一緒に食事をすることによって、初音や皆の心を開かせたい為だったのだ。
初音は滝沢にひじきを食事に追加する換わりに「ただというわけにはいきまへんで」と交渉。
滝沢も入って全員揃った。誕生会で民男は家族みたいやな!と言い、皆も笑顔で応え大成功。

「てっぱん」を見ていたら、神戸に住んでいた幼い日々の近所の人々を思い出した。どこか
初音たち浪花っ子の生き方と似ているからだ。何というか、“ややこしい生き方”が好きと
言えば語弊があるが、カッコよさとは違う何かを真摯に追求している?しかし不器用に見える。
それはあかりの、祖母・初音との交流の仕方にも表われている。両親と喧嘩して家出してきた
親友の篠宮加奈(朝倉あき)は初音の肩もみをして、あっという間に祖母に取り入っていた。
大変苦労して、やっと祖母の心を少し開かせることができたあかりからすれば、加奈と祖母の
仲良さそうな光景を目にして「うちのあの苦労は何じゃったん!」の叫び、実に良く分かる。
人の生き方はさまざまである。スッと懐に飛び込んでいくようなやり方もいい。しかし初音や
あかりのような苦労も多く、誤解や思わぬ出来事に遭遇する生き方もまた、味わい深いのだ。
そして、「うちらがこれからどうなるかはうちらで決めていくことや」というあかりの言葉に
初音は、自分達の新しい可能性が開けることを予感した?今週最後に「お父ちゃん この家
少うし小そうなりましたわ。」と初音が独白する。これからが楽しみ? 如何なものか。
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公約違反と詐欺 [社会]

今日は、朝方、少し雨だったが、その後は曇天。散歩にも快適で、平穏な一日だった。

民主党は政権を盗る前のマニフェストでは後期高齢者医療制度は廃止することを掲げていた。
然るに今日の朝日新聞によると、制度上は原則2割負担だが、自公政権時代に負担軽減策と
して1割に据え置いていた70~74歳が病院の窓口で支払う負担割合(現在は原則1割)を
2013年度から段階的に2割に引き上げる方針を固めたという。
また、YOMIURI CNLINEによると、
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20101021-OYT1T00116.htm
政府が後期高齢者医療制度の代わりに検討している新制度は、結局、衣替えしただけで
内容はほとんど変らず、現行よりも、2万2千円の増額になるという。

政権を盗る前に掲げたマニフェストは、様々な公約違反を露呈しているが、此処にきて
民主党の掲げる「国民の生活が第一。」は、老人から搾取し老人を虐待するということ、即ち
現代の「姨捨山」によって、若い者達を優遇しようという政策であることが明らかになった。

何はともあれ、民主党は国民を騙して(老人票も含めて)、政権を盗みとったのである。
公約違反でも、国民には、医療費も自民党の後期高齢者医療制度と変わらないのだから何の
損害もない。或いは子ども手当、ガソリン暫定税率、高速道路料金無料化等々、自民党時代と
かわらないのだから良いではないか?という論法があろう。民主党は、他の所で良い政治を
していると言いたいのだろう。しかし、それはねずみ小僧次郎吉の論理、盗っ人の屁理屈。
これは、明らかに詐欺である。国民を騙す詐欺によって、政権を盗んだのである。大罪だ。

ねずみ小僧次郎吉は盗んだお金を庶民に恵んだ義賊だと言う。確かに恵まれた人々の中には
大いに助かった人もいたろう。しかし盗むという、社会秩序を犯す方法で手に入れたもので
善行を施すと言うことを許したのでは、社会秩序を保つことはできない。そうでなくとも
現在の日本においては社会秩序を保つ倫理観が薄れつつある。最近、役人の不正を摘発する
ニュースが絶えないが、これを、民主党政権だから摘発できるのだと、もし考えているなら
全くの思い違いである。大元の政府が、盗っ人根性なのだから、官僚や国民の倫理観が改善
されるわけがない。モグラ叩きでしかない。その辺のところを間違えてしまうと、またまた
日本社会は、戦前の日本と同様に、大暴走してしまうだろう。如何なものか。
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思い出'10.10.20 [思い出]

今日は10月中旬最後の日。当地では10月上旬の7日間と中旬前半4日間、夏日だったが、
このところ収まっている。今年の猛暑も、いよいよ年貢の納め時だろうか?
昨日、柿を季語とした俳句から、遠い遠い50年以上昔の親父との思い出が甦ってきた。
恐らく中学1~2年の頃だと思う。法隆寺を訪れて、野原のような所で柿を食ったのだ。
その時に父が、「この辺りの奈良の柿はうまい。“柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺”」と
話してくれた。そのことだけを思い出したが、その時に父以外に誰かと一緒だったのか?
あの柿は、どうして手に入れたのか?サッパリ思い出せないのである。

人間の記憶の入力方法、記憶維持法、出力方法は、どうなっているのだろうか?ふ・し・ぎ!
先日の「ためしてがってん」で、認知症の人も、感情を伴った記憶は残ると言う。
この法隆寺で柿を食べた記憶も、“柿が美味しかった!”という感情が伴っていたが故に
記憶に止まったのかも知れない。だが昨日の柿の俳句でどうして思い出したのだろう?
父と行って以降、法隆寺には何度か訪れたし、2年前にも参拝したのに思い出さなかった。
少なくとも2年前の訪問時は、若い頃に訪れたときと雰囲気が大きく変っていた。

いま思い出して、父と一緒に食った柿は、どの辺りで食べたのか?ハッキリしない。
そこで、正岡子規が、いつ何処で、どのようにして、“柿食えば・・・”の俳句を作ったか?
「近代詩人1・正岡子規」潮出版社、で調べてみた。以下はその本を参照して書いた。
明治28年(1895)子規・29歳。この年日清戦争の従軍記者となり、帰国途中、5月17日
船上で喀血。23日神戸上陸。県立神戸病院入院。6月下旬危機を脱し、回復の兆し明確化。
その後、須磨保養院を経て8月25日松山到着。この時期、漱石と子規は同じ家に住んだ。
10月19日、松山を出発。広島、須磨(保養院)を経て、22日大阪到着。26日奈良到着。
東大寺、薬師寺、法隆寺などを巡る。そして「法隆寺の茶店に憩ひて」という前書きで
“柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺”の句作構想ができたという。
怪しげな私の記憶では、2年前に訪れた時の門前の立派な茶店でない事は確かであった。
昭和29年か30年(1955)頃とはいえ、子規の明治28年にあった茶店がなかったのか?
そういえば、幅の狭い粗末な床机(しょうぎ)に座って柿を食べた。“柿食えば・・・”の
俳句を教えてもらって俳句とは簡単なものだなぁ~と思ったものだ。私の俳句の師匠は
父だったのか?父は私に素晴らしい思い出を残してくれた。父は厳しい人であったが、
その優しさが今頃になってしみじみと偲ばれるのである。如何なものか。
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映画・わが谷は緑なりき [物語]

昼食後にTVのBS2で古い映画をやっていた。新聞のTV欄を見ると、「わが谷は緑なりき」となっていた。見終わった時、この作品は何を言いたかったのか?良く分からなかった。途中から見たからかも知れない。しかし何故、最後まで見たのだろうか?と自問自答してみたら、その理由は映画に描かれている内容が、古い価値観から新しい価値観に変る転換期に対する好奇心だった?

映画の最後の字幕で、監督はジョンフォード、制作は1941年、主演女優はモーリンオハラと言う事は分かったが、時代背景が分からない。そこでインターネットで調べてみた。映画の原作者は、Richard Llewellyn (1906-1983)だとわかった。奇しくも私の父と同年生れ。父の方が、2年早く亡くなっているがほぼ同世代の人だ。そのことから、後で書くが、原作者自身と同時代の話では無いと思うのである。内容は南ウェールズ渓谷・炭鉱の町のウェイオブライフ(生活文化)。
この映画物語は、5人の兄と1人の姉をもつ末っ子のヒューモーガンが初老になって回顧する懐かしいモーガン一家に関する話である。
一番興味を引いたのはヒューがモーガン一家で始めて小学校に入学すること。イギリス・ウェールズの炭鉱地区は、教育が遅れているといっても、父と同時代ならチョッと信じられない。

次はヒューに対する学校のいじめ。初日に、自分達と生活文化の異なる隣町の小せがれというだけで年上の大柄な子が学用品を叩き壊す。大切なものを壊されて向かっていくヒューを殴る蹴るで血だらけにする。周りは誰も助けない。父親は壊れた用具などで喧嘩と見抜き、勝ったかどうかを聞く。そして負けた息子に明日も学校に行くかどうかを確かめ、行くという息子にウェールズの誇りを保つために、自分の友人に頼んでボクシングの訓練をしてもらう。そして学校でガキ大将までもやっつけられるようになる。しかし先生は、喧嘩を咎めて隣村のヒューに片手落ちの鞭打ちの刑をして酷い怪我をさせる。この事を知ったヒューのボクシングの先生は、学校に乗込みヒューをいじめた先生にボクシングを指導するといって、パンチを食らわして気絶させてしまう。

原作を読めば時代背景が分かるのだろうが、私の当てずっぽうをいうと、祖父の時代、あるいは祖父本人の回顧かもしれないと思う。或いは少し時代の下った時期に祖父が知りえた情報を元にしたのではないだろうか?原作者は一時期、祖父と南ウェールズ渓谷に住んでいた事があるという。イギリスの産業革命後の高度成長期が陰りを見せ、炭鉱が斜陽化していく時期だったろう。
現代日本も高度成長期は過ぎて、石油工業の陰りは世界的規模。この物語は現代を振り返るために、様々な示唆を与えてくれるのではなかろうか?如何なものか。
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