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2008大晦日 [大家族]

今日も気温が低く薄ら寒い日だった。午後からShin(長男)の来倉で岡山空港まで迎えに行った。
送迎用駐車場が混雑していて20~30分前に到着したにもかかわらず車を止められなかった。
やはり倉敷チボリグランドフィナーレの影響もあるのだろうか。

帰宅後、早々に妻は倉敷チボリグランドフィナーレのリハーサルと本番のために出かけた。
私とShinも、少なくともリハーサルは見て欲しそうなので出かけることにした。
Shinは、妻の車に同乗し、私は歩いて行く事にした。何せ、今日は全く散歩をしていないから。
DSC081231フィナーレ.JPG
私が到着した頃からリハーサルが始まった。
左の写真はリハーサル風景。
21:00からいよいよグランドフィナーレの本番が始まる。
しかし我々は底冷えの寒さが厳しく早めに帰路についた。
観客や出演者の皆さんがかぜを引かぬことを祈りながら。


帰宅途中で食事をして軽く熱燗を引っ掛け、温まった体で家まで散歩を楽しんだ。
久しぶりの二人だけの食事と散歩、四方山話に花が咲いた。
何ということのないひと時であったが、私にとっては珠玉の時間だった。
孫photo.jpg
家について間もなく、娘から電話がかかり、メールも来た。
左の写真は添付写真である。夕食後のカラオケ大会とか。
二人の娘夫婦は、家族揃ってスキーに行っている。
長女婿のジージが年末に体調を少し悪くしたために、親子三代で行く予定の宿泊場所が宙に浮いてしまい、ジジババの穴埋めに次女夫婦が駆り出されたらしい。次女婿もスキー大好き人間で話のまとまりが早い。
こうして倉敷チボリの最終章の夜は、我が大家族のそれぞれが集い楽しみながら更けてゆく。
こうして2008年の大晦日は過ぎてゆく。時の移ろいゆくままに。

 めでたき人の かずにも入(い)らん 老いの暮れ  ばせを 貞享2年(1685)42歳


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賢者の言葉 [散歩]

昨日の小春日和とは打って変わり、今日は、薄日は差すものの気温も低く風も冷たかった。
身を切るほどのものではないが、これからの寒さが予感されて身が引き締まった。

散歩の途中で立ち寄ったレストランで、料理を待つ間、2009.1.5号の“サライ”という雑誌を読んだ。北斎の富嶽三十六景に因んで現在の各地の写真が出ていた。どれもなかなかの絶景だったが、三保の松原からの眺めは、昔行った頃とはかけ離れた砂漠のような浜辺に驚いてしまった。
もう一つの趣向は、ご当地「富士」5名山を巡る旅。津軽=岩木山、出羽=鳥海山、伯耆=大山、
讃岐=飯野山、豊後=由布岳。確かにどれも名山である。

北の二山はそれほどご縁はないが、南の三山は馴染み深い。
由布岳に最初に出会ったのは新婚旅行の時である。現役時代、由布院に会社の保養所があり、
仕事の研修その他で何度もお世話になったし、延岡単身赴任時代も社内旅行などで出会った。
讃岐富士は鷲羽山などこちらからも眺められる。父母の故郷が香川だから、昔馴染みでもある。
二度目の倉敷暮らしでは、何度か金毘羅参り、その他の四国旅行の度に近くで見参。
大山は、昔こちらに住んでいたときに良く出かけた。最近では島根に行くときに雄大な姿を見た。
島根からも天気がよければ遠望できる。雑誌の写真は、皆生温泉(鳥取)からのものだった。

写真で旅行気分を満喫した後は、燗酒の記事。燗酒が恋しくなる季節に、上手な燗のつけ方、
燗に合う酒等が紹介されていた。昨夜飲んだので今日は止めようと思ったが、これを読んでは
「飲まざるの壷」(私の飲まざるを得ないという意味の常套句)。そこで雑誌を本屋で購入した。

最後の方に堀文子女史(90歳)の随筆 “老いの語録”が掲載されており、読ませてもらった。
女優・香川京子さんのご主人・牧野拓司氏の近著「人生語録 長生き賢者100の訓え」を引用しつつ、 “賢者の訓えはどれも身に沁みるが、・・・中略・・・。衰えと手をたずさえ、日々のしくじりを笑い乍ら、私も終わりの旅を続けようと思う。” と書かれていた。
さすがに堀老女のようなご高齢にもかかわらずますます冴え渡るお方の言うことは違うと感嘆。
しかし私のような未熟者で、まだまだ年少のものは、“賢者は生について考え、死については考えない”というスピノザの言葉を参考にしたい。 如何なものか。
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文明の衝突 [希望]

Samuel_P._Huntington_2004_World_Economic_Forum.jpg散歩中に世界的ベストセラー「文明の衝突」の著者・米国の政治学者サミュエル・ハンチントンのことを考えていた。12/24に81歳で死去された。今朝の新聞で知った。
(写真は2004・世界経済フォーラムでのハンチントン氏)
「文明の衝突」の元になる論文は1993年に発表され、原著は1996年、日本語翻訳は1998年に出版された。
ハンチントン理論は、「冷戦終結によってグローバルな国際社会の一体化が進む」と思われていた、当時の一般見解と異なる点でインパクトがあった。
冷戦時代に、米ソ両陣営が覇権を競い合い自陣営に取り込もうとして、ばら撒いた軍事力などのハードパワーは世界中に拡散してしまった。冷戦終結後、覇権国アメリカを中心に国際社会は一体化すると考えるのが普通である。しかし既に米国のソフトパワー(文化・思想)に昔日の魅力はなくなっていることを見抜いたハンチントンの眼力は素晴らしい。権力者は、ハードパワー(武力・経済力)だけで統治することはできない。ソフトパワーの魅力がなければダメなのである。

ハンチントンは、“日本は西欧以外で最初に近代化した国家でありながら、西欧化しなかった。”
“日本人移民は移民先の社会に同化し、たいていは日本の文化的共同体の一員ではない。”
“アメリカ人は、・・・他のどの国の国民よりも日本人とのコミュニケーションが難しいと思っている。” と言っている。日本は、それでも同盟国アメリカを立ててついて行こうとしている。

今日の新聞ではイスラエル軍のガザ空爆が大きく報じられていた。アフガニスタン、パキスタン、
チベット、インド、イラク、・・・文明、宗教、民族の衝突は枚挙にいとまない。
このような世界の状況、即ち、突出したハードパワー、ソフトパワーのない世界になったときに、
少なくともソフトパワーとしての日本の存在意義が明らかになるのではないか?
ハンチントンの「日本は近代化したが西欧化していない」という指摘を、私は「在る」様式の生き方と結びつけて考えたい。何ものにも執着せず、拘束されず、変化を恐れず、成長する。
他者との関係においては、分かち、与え合い、関心を共にする「生きた関係」を築く。
「在る」様式の例として、A・フロムは芭蕉の句「よく見れば なずな花咲く 垣根かな」を引用している。花を手折らず、共存してその真実を会得する。まさに「在る」生き方だ。
西欧は近代化と共に「持つ」様式に移行した。日本のソフトパワーを期待したい。如何なものか。
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生き方とは [希望]

先週12/21~27後半の万歩記録は、12/25(木)・7345歩、金・6244歩、土・16190歩
一週間の合計=89399歩。歳末の用事で中だるみしたが、昨日は頑張った。
昨日は、某合唱団の練習兼忘年会で、それらの場所(駅周辺)の往復とも歩いた。

今日は、昨日のお酒の影響か頭がスッキリしない。そんな頭で、著者:A・フロム“生きるということ” 原著名「To Have Or To Be」(在ること、或いは持つこと)を思い出していた。
ケイン君の本の影響かもしれない。

この本では生き方を「持つ」様式と「在る」様式に分けて論じている。
「在る」様式とは、何ものにも執着せず、拘束されず、変化を恐れず、成長すること。
他者との関係においては、分かち、与え合い、関心を共にする「生きた関係」である。

「持つ」様式とは、現代社会の一般的な生き方で、自分をはじめ人間や知識、健康や病気までを持つ対象とする。所有することに執着し、利己的目的のみの関心しか払わない。
それは、自分を含めて、全てを物に化する「死んだ関係」である。

死ぬことの恐れは、生命を所有しているという「持つ」生き方をしているから失うことを恐れるのである。死ぬことの恐れを克服するには、生命に執着しない「在る」様式を増大すると共に、生命を所有するという「持つ」様式を減少するように努力することだ。
エピクロスは、“死は私たちには関わりない”という。なぜなら、私たちがいる間は、死はまだ来ていないし、死が来たときには私たちはいないのだから。

ケイン君は、「在る」という生き方を貫いた生涯だったろうと思う。
厳しい治療を恐れず、分かち合い、与え合い、関心を共にする素晴らしい人間関係をつくり、世界にたった一人の個性的な人として成長していったのだ。
ご家族にとってケイン君がこの世に居なくなった喪失感は深いものがあるだろうが、ケイン君は、死とは関わりのない天国の住人なのだ。ケイン君は皆の心の中に生きつづける。

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ケイン君の本 [希望]

DSC081227ケイン本.JPGケイン君の本「ケイン、愛してるよ」著者:孫 理奈(ケインママ)を読ませてもらった。ケイン君は生れて間もない頃からロスモンド・トムソン症候群と免疫不全という難病であることがわかった。いつ天国に召されてもおかしくないにもかかわらず、9年8ヶ月の生涯を両親、家族そして周囲の人々と共にたくましく生きた。そして人々に尊い教えを残した。

本のいたるところに珠玉の言葉が刻まれている。例えば、
“兄たち二人を育てるときには、健常者の基準ばかり気にしていましたが、ケインを授かってからは、ゆっくりマイペースの成長でもいい。人と比べることではなく、その子の個性を大事にすることが一番だということに気がつくことができたのです。”(ママ)
“ケイン君は人の親切を素直に受け入れられる子です。そしてそれを当たり前と思わず、
いつも周囲に感謝の気持をもってありがとうと言える子なんですよ。”(幼稚園の先生)
“思い返せば「二歳まで生きられないかも知れない」と言われた時、はじめて「死」を意識しました。それでも、せいいっぱい成長してゆくケインを見ていると、「だって、ケインは生きている」、そう強く思うようになっていました。” (ママ)
“今日もケインが元気でよかったと一日一日を大切に感謝しながら生きてきたのです。” (ママ)
“やらないうちから 「できない」 とは決して言いません。 何でも工夫して自分の方法をみつける
ケインに私は驚かされてばかりでした。” (ママ)
“ケインの頑張りに多くのことを教えられ勇気をもらいました。「生きていること」自体が決して当たり前ではなく、とても幸せでありがたいことなのだと思いました。ケインには、本当に生れてきてくれてありがとうと感謝の気持でいっぱいです。” (ママ)

最後のケイン君とのお別れの場面は、涙で紙面が霞んでしまい読めなくなってしまった。
ケイン君は、皆と共に生き、皆と共に歩み、そして皆と共に在る。
彼が身をもって生きて示してくれた尊い教えは、皆の心に生き続け、語り継がれていくことだろう。彼の存在は永遠である。「生きている実感」、それは生きていることへの心からの感謝。
それに尽きるような気がする。ケイン君の教えは永遠である。ケイン君 ありがとう!
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サラバTivoli・3 [社会]

年末の大掃除とまでは行かないが、ボチボチと取り掛かった。
既に買っておいた接着剤などを使って古くなった家の細かな修理を手始めに、狭い庭とはいえ、ほったらかしの庭木をそのままにしておくこともできず、鋸やはさみを取り出して剪定の真似事をした。結構これも疲れるのである。例のゴムバンドや古いぶら下がり健康機具を使った筋トレなどもこなすと、早、午後の日も傾きかけた。時間が経つのが早い。

このところ、仕事もないので時々テレビを見るが、ノー天気な番組が多い。
5~6局ある放送のどれもこれも、商品販売番組とノー天気番組ばかり。たまに良心的な番組もあるが、ほとんどのノー天気番組の視聴率は、恐らく視聴者も付けっているだけではなかろうか。
巷にものがあふれるといっても店頭ではない。道端のそこここ、用水路、原っぱその他、まだまだ使えるものがあちらこちらに落としたままである。放置自転車もその一種。
今や我々は、悪しき資本主義、商業主義に毒されてしまったように思う。
現代の青少年、或いは壮年の方々は、これが時代の流れだと思っているだろう。
確かに新しい流れだと思う。「現実感の喪失」という点で、それは今までの時代と異なる。
一種の「現実からの逃避」と言ってもいいかもしれない。そこから何か新しいものが生れる?

一方において、“生きている実感”が欲しい! という願望は切ないものがあるだろう。
NHKの朝の連続テレビ小説「だんだん」を見ていると、“生きている実感”を求める登場人物が
如何に多いことか! 双子の主人公をはじめ、弟の健太郎、康太と俊 等々。
“幸福の青い鳥”を探して右往左往する。現代人の幸せは昔も今も変わらぬ“青い鳥”か?

従来の “幸福の青い鳥”は、人間の外にではなく、人間の中、即ち、人と人との間と人の心の中にあった。“生きている実感” も、人間の中、即ち、人と人との間と人の心の中にある。
DSC031214.JPG倉敷チボリにはそのことに気付き、大きく育てていこうとした立派な指導者と素晴らしい人材がいた。そうした指導者・スタッフたちの
パフォーマンスに接して“生きている実感” が持てた。このような人々が、今後、大きく育っていけるのだろうか?
それとも従来とは異なる新しい“青い鳥”、新しい“生きている実感” が見つかるのか? 如何なものか。
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サラバTivoli・2 [社会]

今日は気温も低く、風の冷たい鼻水が出てくる寒い散歩だった。
今週前半の万歩計実績、12/21(日)12638歩、月・16537歩、火・15264歩、水・15181歩
4日間の小計は59620歩、まずは、週間7万歩ノルマ達成を確実にした。
今週後半は、年末がらみの用件が多く、思うような散歩もできないから10万歩は困難である。

さてチボリの話だが、多くの人の経営努力にもかかわらず、今年大晦日で閉園する事となった。
倉敷チボリは、周知の通り本家デンマークのチボリ公園と技術提携して導入したものである。
本家チボリ公園は、開園1843年というから160年以上の歴史がある。然るになぜ倉敷チボリはわずか11年で閉園することになったのだろう。
ずっと倉敷に住んでいる知人の中には、あんなもの(倉敷チボリ)採算が取れるわけがない。
止めるべきだ!という意見。或いは地元の商店主等の中には、あんなまずい食事に高いお金を
とって誰が行くもんか。と、口汚くあこぎな商売をけなす人も居た。
開園当初からの入場人員を見ると最初の3年間には2百万人代だったのが、その後急激に減少して、2005年には百万人を切ってしまった。

倉敷チボリ公園の問題は多くの箱もの行政の1つに過ぎないのかも知れない。
当初バブル絶頂の1987年に岡山市制100周年記念事業として計画された岡山チボリ公園は
杜撰な経営のために撤退に追い込まれた。その後名乗りを上げた倉敷チボリ公園は、結果的に
獲物に群がるハイエナのごとき地域の既得権者の餌食になったということができる。雲行きの
怪しくなった景気への思惑から、当時の倉敷(箱もの)市長と既得権者がチボリをうまく利用し、
バブル崩壊の急場をアコギな儲けで食い逃げしたという構図である。

昔からある日本のことわざに「仏つくって 魂入れず」 というのがある。
本家デンマークチボリでは、開園当時フランス革命の後遺症で荒廃していた民心を慰める憩いの場という創業の哲学があった。たゆまず創意工夫して市民に潤いを贈る「チボリは完成することのない未来への贈り物」という創始者カーステンセンの言葉は素晴らしい。倉敷チボリの関係者の中にも素晴らしい人たちがいて魂を入れようと懸命の努力をされた。頭が下がる。
しかし自分たちの利益しか考えない既得権者が巣食っているチボリに、魂は無理だった。
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サラバTivoli<感謝編> [大家族]

DSCTivoliドーム.JPG倉敷チボリ公園は、1997年7月に開園された。
私が当地に引っ越してきたのは2002年の6月、
丁度開園5周年記念の年であった。
単なる遊園地だと思っていたがそうではなかった。
何度行っても楽しめるさまざまな工夫がなされていた。
<写真は公園入口ドーム>

昔馴染みの土地とはいえ浦島太郎状態だった我々夫婦にとって新生活は不安で一杯だった。
特に妻は、幼い孫たちを抱えて働く娘たちと別れて暮らすことに心配もあったろう。そんな我々にとって、倉敷チボリ公園は、新生活をソフトランディングさせてくれた癒しと希望の場だった。

DSC030921.JPG左の写真は、2003年9月のTivoliのエンターティナー達、音楽スタッフ、そして女声コーラスグループ:レディス・コアの舞台である。
レディス・コアは2003年から発足した。
妻はこのグループに参加して活躍した。
地元のコーラス部にも入っているが、園内での演奏回数も多く、
レディス・コアでの活躍が随分と心の支えになったと思う。

DSC040102.JPG日記によるとチボリ初入園は2002年7月8日。2002年8月下旬には、長女が孫たちを連れて来倉。チボリに連れて行き喜ばれた。
その後、2003年、2004年、2006年、2008年の正月に、子供たち夫婦一家が皆で来倉してくれた。
その他にも単独家族で来てくれたこともあり、そのいずれの機会にもチボリに行った。右の写真は最初のお正月、2003年のものである。孫たちは皆大きくなった。皆それぞれに年を経てきた。
この6年半という歳月を振り返るとき、本当にお世話になった。チボリよ有難う! 
感謝、感謝!


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本当の情報? [社会]

月間「文芸春秋」新年号の“2009緊急提言 逆転の日本興国論”の「年金は破綻しない」という
記事(著者;権丈善一慶應義塾大学商学部教授)は、面白かった。
この記事の内容がおおむね正しいのか、或いは間違っているのか? という問題も興味深いが
彼のホームページを覗いたら、学生との交流や、掲載論文など、結構楽しそうな内容だった。

『月刊現代』2008年11月号に掲載した「年金問題 どんな政治家を選ぶのかが問題だ」、
或いは社会政策学会第115回大会に招待されて基調報告で報告した
「年金騒動の政治経済学――政争の具としての年金論争トピックと真の改善を待つ年金問題点との乖離」の詳細版などの論文が、ほぼ丸まま掲載されている。

彼は “民主党は、まともな対案を出すこともなく、年金へのネガティブキャンペーンを張り、
国民は年金に不安を強く感じて老後不安を高め、消費を控えて内需を冷やしてきた”と言う。
未納未加入者の数は、日本の公的年金加入者全体の5%程度でしかないともいう。
未納未加入者の数が半数になるという話も聞いたことがあるが、どちらが正しいのか?

権丈の「年金騒動の政治経済学」によると、平成19年3月の時点で、
未納未加入者の数は340万人で、公的年金加入者7041万人の5%程度ということになる。
データがしっかりしているので、こちらの方を信用したくなるのが人情である。
『月刊現代』2008年11月号「年金問題 どんな政治家を選ぶのかが問題だ」は、
“年金に限らず、この国はいろいろな面でかなりおかしく危なくなり、国民は自分で自分の首を
絞める途を選択していると感じる専門家は相当いるのではなかろうか。
それもまた、国民の選択と言えば選択である。民主主義のもとでは何事も民度以上のものはできるはずもないのである。”  という言葉で締めくくられている。

多数決の民主主義では、浅はかな民衆が個人的独断で政治を行うとき、衆愚政治となることは
ソクラテスが処罰を受けたギリシャの昔までさかのぼる必要はないだろう。
民度向上は、主体性をもった情報収集、様々な人との意見交換・協力こそ大切である。
ソクラテスが命をかけ貫いた対話の精神が、現代こそ求められている? 如何なものか。
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散歩の目的 [散歩]

今日は冬至、日照が一番短い日だが、日没時間は最も早い日よりも4分程遅くなっている。
「散歩」は、一歳から積み上げたノウハウで省エネ歩行できるから、ゴルフ技術維持の足しにもならないことはこの前に書いた。改めて散歩の意義・目的は何なのだろうと考えた。
脳の活性化も考えたが、恍惚の人でも「彷徨」という散歩をする。どうも違うように思う。
色々考えた末、内臓、それも“腸”の活性化に良いのではないかと思いついた。

私は昔からお腹の調子が悪くなる方だ。胃は至って丈夫なことがわかってからは、腸が弱いのではないかと思っている。腸は暗黒の臓器と最近まで呼ばれていたという。どこかで、脳と腸とは
密接な関係があるということを聞いた。私が、散歩中に脳が活性化するような気がするのは、
腸が活性化されるからではないかと思う。
腸というのは万人向きの活性化療法はないのではないか?散歩の有効性も人によって異なるだろう。兎も角はっきりしているのは、散歩は私の健康管理に欠かせないものということだ。

昨日の“鬼山中”が気になり、例の灯篭を再調査した。“鬼山中”の反対側に“四軒屋中”と書かれた文字を発見。それで、“鬼山中”の「鬼山」は地名で、そこの人々と、四軒屋の人々の協力で
建立したということだろうと推定した。
“地名”“鬼山”で、インターネットを検索したら鬼山・四軒屋が地名であることが明らかになった。
鬼山・四軒屋の地名は、明治半ば町村合併で消えたらしい。
序でだが灯篭の建立は文久三年(1863)と読めた。久しぶりにヒットした「篤姫」の時代だ。

家を出て約30分、路面にポツポツと雨脚模様ができたが、用水路の波紋も小さく少ない。
傘を差さず歩く。その内に収まってくれた。今日も青サギと白鷺に出会った。
普通、白鷺は青サギに比べて小形なのだが、今日の白鷺は同じくらいの大きさだった。
白鷺にもいろんな種類があるのだろうか?それとも年数を経れば大きくなるのか?
そのとき、突然俳句が思い浮かんだ。
 冬がれや 俳句の神に 見放され
また雨が降り出した。散歩に出て、1時間強、今度の雨は用水路の波紋も大きくかつ多い。
雨との鬼ごっこもこれまでである。 ラストは、傘差し散歩だ。
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