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文明の衝突 [希望]

Samuel_P._Huntington_2004_World_Economic_Forum.jpg散歩中に世界的ベストセラー「文明の衝突」の著者・米国の政治学者サミュエル・ハンチントンのことを考えていた。12/24に81歳で死去された。今朝の新聞で知った。
(写真は2004・世界経済フォーラムでのハンチントン氏)
「文明の衝突」の元になる論文は1993年に発表され、原著は1996年、日本語翻訳は1998年に出版された。
ハンチントン理論は、「冷戦終結によってグローバルな国際社会の一体化が進む」と思われていた、当時の一般見解と異なる点でインパクトがあった。
冷戦時代に、米ソ両陣営が覇権を競い合い自陣営に取り込もうとして、ばら撒いた軍事力などのハードパワーは世界中に拡散してしまった。冷戦終結後、覇権国アメリカを中心に国際社会は一体化すると考えるのが普通である。しかし既に米国のソフトパワー(文化・思想)に昔日の魅力はなくなっていることを見抜いたハンチントンの眼力は素晴らしい。権力者は、ハードパワー(武力・経済力)だけで統治することはできない。ソフトパワーの魅力がなければダメなのである。

ハンチントンは、“日本は西欧以外で最初に近代化した国家でありながら、西欧化しなかった。”
“日本人移民は移民先の社会に同化し、たいていは日本の文化的共同体の一員ではない。”
“アメリカ人は、・・・他のどの国の国民よりも日本人とのコミュニケーションが難しいと思っている。” と言っている。日本は、それでも同盟国アメリカを立ててついて行こうとしている。

今日の新聞ではイスラエル軍のガザ空爆が大きく報じられていた。アフガニスタン、パキスタン、
チベット、インド、イラク、・・・文明、宗教、民族の衝突は枚挙にいとまない。
このような世界の状況、即ち、突出したハードパワー、ソフトパワーのない世界になったときに、
少なくともソフトパワーとしての日本の存在意義が明らかになるのではないか?
ハンチントンの「日本は近代化したが西欧化していない」という指摘を、私は「在る」様式の生き方と結びつけて考えたい。何ものにも執着せず、拘束されず、変化を恐れず、成長する。
他者との関係においては、分かち、与え合い、関心を共にする「生きた関係」を築く。
「在る」様式の例として、A・フロムは芭蕉の句「よく見れば なずな花咲く 垣根かな」を引用している。花を手折らず、共存してその真実を会得する。まさに「在る」生き方だ。
西欧は近代化と共に「持つ」様式に移行した。日本のソフトパワーを期待したい。如何なものか。

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