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散歩と歩数 [散歩]

今日も素晴らしい散歩日和だった。歩きはじめは昨日よりも温度が低いのかと思ったが、
それは風のせいかも知れない。日差しが暖かで小春日和というのがピタリとくる。
汗が出るので昨日同様、上着を脱いで歩いた。しかし日影は昨日と違いやはり寒く感じた。 
今週の中・後半の歩数実績:水・11501、木・10324、金・12160、
前半の3日間で5万歩を突破して中だるみだったが、それでも6日間で、84066歩
今日は現時点で16000歩を超え、狙い通り久しぶりの週間10万歩突破を達成した。

私の散歩全盛の頃、即ち、2003年~2005年頃、特にピークの2004年は、
週間・10万歩を達成できなかったのは、8月下旬から9月初旬の2週間だけだった。
1週間の最高記録は、195405歩、
2003年~2005年の間で、1週間に、13万歩以上歩いた週は、25週あった。
今振り返ると嘘のような気がするが、その頃は、もっと記録を伸ばせるだろうと思っていた。
当然だが上には上がある。私の会社時代の後輩は、四国八十八箇所を33日間で巡った。
手元に資料がないから正確なことは言えないが、
一日平均が5万歩弱、総歩数・約155万歩。というふうに記憶している。

081220灯篭2.jpgとまれ、歩きなれた場所を飽きずに歩くために私なりに工夫している。何か変わったことを見つけるのもその一つである。
今日は、普段見慣れている路傍の灯篭に、ちょっと変わった文字が刻まれているのを見つけた。<左の写真>
“鬼山中”とある。インターネットで調べたがわからなかった。
道幅の狭い昔のあぜ道(今は自動車も偶には通る)を歩いているとき等は、車が襲ってきたらどうしようか?等と想像してみる。
ミステリードラマの影響だが、これも結構面白い。
動物の生態観察も楽しい。今日は青サギが冬枯れの田んぼの中に一本足で立っていた。
普通近づくと飛び立つのに微動だにしない。まるで彫刻のようだった。一句、ひねろうと考えてみたが、最近は俳聖に見放されたか?何も思い浮かばなかった。
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だんだんと今後 [物語]

今日も暖かで素晴らしい散歩日和だった。
この所、似たような気温で推移しているが風や日差しによって体感温度は随分と異なる。
今日は帰宅時間の制約があって、急ぎ足で歩いたこともあるが、汗が出ただけではなく、
久しぶりに日影が気持ちよく感じられた。

今週のNHK朝のテレビ小説「だんだん」は、予定通り歌手デビュに辿りつきそうだ。
ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」の曲を歌いだした頃(11/26)からプロデビュ、成功物語を
予想した。 しかし後半の来年以降が、単純な成功物語につながらないような気もする。
なぜなら、茉奈・佳奈の歌が、明らかにザ・ピーナッツに劣るからだ。
このままで、成功物語をでっち上げるなら吹き替えが必要だろう。

そこで、この物語の意図を今一度検討して、年内には、今後の展開を予想してみたい。
まず、のぞみ(三倉佳奈)の祇園を飛び出した動機を云々する前に、のぞみが祇園を出てからの軌跡を簡単に整理してみよう。
12_1学ぶのぞみ.jpgのぞみは、今までに経験したことのない様々なことを体験した。
父・忠(吉田栄作)とのシジミ漁、そば爺の店の手伝い、酒屋の
アルバイト、嘉子(鈴木砂羽)伝授のシジミ汁料理<左の写真>
そして、学歴の壁や、人々のさまざまな生き方、人生を知った。
周囲の忠や嘉子、初枝(三林京子)や健太郎(木咲直人)達も、いろんなことを気付かされた。

祇園でも、めぐみ(茉奈)と真喜子(石田ひかり)や久乃(藤村志保)の交流によって、無事に、都踊りを乗り切ることができた。このような物語の展開は、のぞみ個人にとっては、不連続的な大きな選択であっても、人と人とのつながりの中でそれなりにこなされて、展開していくということをあらわしているのではなかろうか。
であるとすれば、恐らく歌手の道を選んだとしても、それが物語における最終的な選択になるとも限らないのではなかろうか。 子供を生んだことがないという久乃の新事実も出てきて、まだまだ収束場面でもなさそうな気もする。もう少し先を見て、予想を立ててみたい。
如何なものか。
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散歩と体力 [散歩]

散歩はほぼ毎日繰り返す日課だが、最近はその他の運動も取り入れている。
以前からの運動には、ゴルフクラブの素振りと、腹筋、背筋トレーニング、腕立伏せがあるが、最近はその他に、ゴムの紐を利用した筋トレを導入している。
DSC081218ビリーズバンド.JPGビリーズ・ブートキャンプのトレーニングで有名な
ビリーズバンドに似たゴムバンド(ナイキ製)を
利用する<左の写真>。 
ビリーのような過激なことはやれない。
ジンワリ、ゆっくりと筋力の維持に努めるだけである。

こういうことを始めたきっかけは、ゴルフである。
適当な勘では毎日の衰えはわからなくとも、“ゴルフをすること”によって、
ひと月、或いは半年、1年などの間隔をおいて気がつく。
“ゴルフをすること”が、体力測定の計測器になっていたのである。
そこまで意図して下手なゴルフを続けていたわけではないが、お陰で自分の体力の衰えを計測できた。そこで計測とは、何かによって、何かを比較することに改めて気付いた。
計測工学の真髄に少し近づいたか? これも計測工学を学んだ成果?

ゴルフ仲間に、「あんたはよく散歩しているからゴルフも調子良いやろ」と言われるが
散歩は人間の基本動作で、歩きなれたらあまり体力を必要としなくなる。
先日、ヨチヨチ歩きの赤ちゃんを裸足で冷たいフロアの上を歩かせているので、
思わず「靴下をはかせたら」、とその子のお母さんに言ってしまった。
お母さんいわく、「靴下をはかせたらころぶから」。

そう思い出した。幼い頃は足裏の微妙な感覚で歩行のバランスを取っていることを。
歩行は、1歳の頃からやりなれた運動だから、省エネ歩行の習得も早いのである。
ゴルフプレーは、歩行に比べてずっと省エネプレーが難しい。
だからゴルフプレーは、散歩以上の体力が必要だということである。
当たり前のことかもわからないが、気付かない人も多い? 如何なものか。
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散歩と用品 [散歩]

今日も暖かくて快適な散歩日和だった。今週前半実績は、12/14(日)・18010歩、月・15062、
火・17459、いつもの週と同様に好調な滑り出し。天候のお陰である。
良いお天気が素晴らしいと感じるのは悪い天気あるからだ。 暑い日、寒い日、雨や風、
雪や台風もある。 そんな悪天候があるから良い天気がありがたい。

散歩の帰りにご近所の方と会って立ち話をした時に、私が良く歩いていると褒めてくれた上で
靴のことを聞かれた。 沢山歩いても疲れない秘訣があるのではないか、靴に工夫があるの
では?と。上等なウォーキングシューズを履いているはずだと 言いたげに私の足元を見た。
平凡な運動靴を怪訝そうに見ている相手に言った。 「ご期待に沿えず残念です。」

靴に限らず、散歩用品といっても、何も特別のものはない。
携帯品は、ペットボトル、ティッシュ、合唱練習用ウォークマン(NW-S715F)、
デジカメ(Sony DSC-P8)、かなりの年代ものだが長持ちだ。感謝・感謝。
他に、携帯電話、メモ帳とペン、そして3段式折畳み傘と少し大きめのポシェット。
DSC081217散歩用品.JPG左の写真は散歩用品。カメラは撮影のために写っていない。

傘も、ポシェットもセール品だ。
しかし傘は軽量で構造もしっかりしている。
ポシェットも、傘やペットボトルが縦に入り、その上に、文芸春秋の
一冊位は入る。 
総重量は、デジカメを入れて本は無しで2Kg弱である。 
田舎の田園散歩の用品としては、中々の優れものである。
如何なものか。

従順な庶民 [社会]

今朝、“はなまるマーケット”(ヤックンと岡江久美子の司会する番組)に竹中平蔵がゲストで出演していた。竹中平蔵は小泉内閣時代に経済・金融関連の閣僚として活躍した。現在では、小泉改革が不況になった原因のように言われ、平蔵氏も逆風のようだが、私は彼の歯切れのよさが好きである。 真面目にコツコツ働いても生活が楽にならない父親の背中を見て、もっと良い世の中にしたいと志したという。

Heizo_Takenaka_20080927.jpg平蔵氏は、日本経済の「聖域なき構造改革」が中断されたから不況になったと主張する。しかし、既得権益者の政治的キャンペーンによって、彼の意見は今や押しつぶされようとしている。 彼が言っていることは、70%以上正しいと思っている。 そこで思い出したことがある。
カレル・ヴァン・ウォルフレン著(鈴木主税訳)「人間を幸福にしない日本というシステム」という本のことである。十年以上前のバブル崩壊直後に出版された。

この本に非常に重要なことが書いてある。
日本の官僚は、既得権益を守るために巧妙なキャンペーンを行っているというのだ。
日本の善良な市民は、あらゆる方面に張り巡らされた巧妙なキャンペーンに騙され続けている。
相手はゲリラ戦法のテロ組織のようなものである。善良な市民の皮を被ってやっている連中もおれば、本当に騙されて乗せられている連中も居る。善良な市民には戦う術がない。
著者は、自ら正しい情報を入手する方法を編み出すことが、この罠から逃れる方法、即ち日本の官僚制度から開放される方法だという。この本の最後に対策が具体的に述べられている。

小泉内閣はよく頑張ったが、5年5ヶ月では既得権益グループはまったく動じない。日本の庶民が本質的に淡白で忘れやすい性格を知り抜き、既得権益を守るための巧妙なキャンペーンを流し続けることで元のもくあみに成りそうである。小泉政権が終わってから2年少々、がらがらポンの政界再編をしても、国民のことなど関係なく、既得権益にしがみついている日本のこの醜い官僚制度が変わらない限り、何も変わりはしないだろう。 如何なものか。
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アラフォー [大家族]

先週(12/7~13)の終盤の万歩計は、金・7736歩、土・1231歩で、1日1万歩のノルマは大幅に下回ったが、前半、中盤に貯金したお陰で、1週間では、79219歩と7万歩のノルマは何とか達成した。 
今日は週の初日とあって少し雨もぱらついたが積極的に歩き、1万8千歩台を確保できそうだ。 
金・土・日は、時間の取れないことが多く、時間のあるときに目いっぱい歩いておくようにして、週間ノルマの
未達は避けている。

随分このところご無沙汰している子供たちにメールを出した。
年末の忙しいときであり、彼らからの連絡はあまり期待できないからだ。
そのときの宛先を、“アラフォーの皆さん” とした。
2008年の「ユーキャン新語・流行語大賞」に選ばれて初めて知り使ってみたかった。 子供たちも正に “Around 40” 早いものである。 但し、この言葉は女性を対象にしているそうで、息子には不適応らしい。 息子からの返信では、最近のブログは、内容はともかく、"だんだん"絡みのタイトルばかりで如何なものか?と言われてしまった。

二人の娘はまさにアラフォーである。非婚の(エリート)キャリアウーマンではないが、
既婚のバリバリの職業婦人である。既婚職業婦人のアラフォーにも、様々な悩みはありそうだ。
しかし、公私共に元気いっぱいである。
私は新型インフルエンザを心配して 「体を鍛え、栄養バランスを取って、いざというときのために体力を温存するように心がけましょう。」 などとセコイ事を書いたが、守りではなく、攻めの姿勢で頑張っているようだ。

孫たちも、バレーボール、サッカー、野球などのスポーツに、そしてクリスマス降誕劇にと頑張っている。
Harukaはバレーボールの試合に負けて校庭40周&練習でしごかれたという。
私が近くに居たら監督に文句を言ったことだろう。しかし、しごきに耐えて鍛えた体は一生ものだ。
しごきに負けないように祈っている。 
Kotoは降誕劇での年長さんの花形:御使い(マリアにお告げする天使)役を立派に愛らしくこなしたという。 
妻が上京していた11月末~12始は風邪を引いていたが本当に良かった。

私たちがそばに居ないために、既婚職業婦人のアラフォーは、公私共に大変なようだ。
今まで以上に、助けてやらなければいけないのかも知れない。

20081213だんだんと現実・2 [物語]

081213旗艦ポーハタン号.jpg左の写真は、ペリー提督が二度目に来航した時:
嘉永7年(1854)の旗艦ポーハタン号の絵だそうである。本邦初公開という。津山には洋学資料館というのがある。津山藩では江戸時代から洋学の大家が研究してきた。
その伝統を伝える洋学資料館の創立30周年記念特別展の図録が今日届けられた。他にも沢山の珍しい絵図が掲載されている。
この特別展の詳しい情報は以下のURLへ!
http://www.sanyo.oni.co.jp/l/news/2008/10/18/2008101814190225030.html

津山は、現在でも交通の便が良いというわけではない。 古くから洋学を研究していたために、ペリー来航に際しても、情報収集に家臣を浦賀に派遣するなどしており、貴重な図録の現存につながっている。 昔の人々の情報収集における積極的な努力に敬服してしまう。 現代の我々は、垂れ流されっぱなしのつまらない情報、民衆を洗脳する虚偽の情報に振り回されている。 主体的な情報収集こそ大切である。

今週のNHK連続テレビ小説「だんだん」はのぞみ(三倉茉奈)の問題がほぼ頂点に達した。 今後は、恐らく問題は収束し、双子は、いよいよ歌手デビューへと向かっていくだろう。

今日の見所は、双子の祖母・初枝(三林京子)が祇園にいってのぞみのことを伝える場面だったが、期待に反して意外と初枝が折れたかたちで収拾してしまった。 しかし、久乃(藤村志保)&真喜子(石田ひかり) 対 初枝&嘉子(鈴木砂羽)の女対決の構図は明白であり、ますます鮮明になってきたように思う。 
伝統を大切にしているといっても、松江は家族と地域社会、祇園は芸と社交を大切なものと考える。
その「現実」(リアリティ)の違いが対立につながるように思う。 
個人や集団、国家や民族の 「現実」 を超えた 「現実」 は必ず存在する。 

黒船来襲という幕末の動乱期に思いを致すとき、現代こそ、一人一人が、そして各集団が、外に向かって
自主的な情報収集を心がける時代ではなかろうか。 如何なものか。

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