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サラバTivoli・3 [社会]

年末の大掃除とまでは行かないが、ボチボチと取り掛かった。
既に買っておいた接着剤などを使って古くなった家の細かな修理を手始めに、狭い庭とはいえ、ほったらかしの庭木をそのままにしておくこともできず、鋸やはさみを取り出して剪定の真似事をした。結構これも疲れるのである。例のゴムバンドや古いぶら下がり健康機具を使った筋トレなどもこなすと、早、午後の日も傾きかけた。時間が経つのが早い。

このところ、仕事もないので時々テレビを見るが、ノー天気な番組が多い。
5~6局ある放送のどれもこれも、商品販売番組とノー天気番組ばかり。たまに良心的な番組もあるが、ほとんどのノー天気番組の視聴率は、恐らく視聴者も付けっているだけではなかろうか。
巷にものがあふれるといっても店頭ではない。道端のそこここ、用水路、原っぱその他、まだまだ使えるものがあちらこちらに落としたままである。放置自転車もその一種。
今や我々は、悪しき資本主義、商業主義に毒されてしまったように思う。
現代の青少年、或いは壮年の方々は、これが時代の流れだと思っているだろう。
確かに新しい流れだと思う。「現実感の喪失」という点で、それは今までの時代と異なる。
一種の「現実からの逃避」と言ってもいいかもしれない。そこから何か新しいものが生れる?

一方において、“生きている実感”が欲しい! という願望は切ないものがあるだろう。
NHKの朝の連続テレビ小説「だんだん」を見ていると、“生きている実感”を求める登場人物が
如何に多いことか! 双子の主人公をはじめ、弟の健太郎、康太と俊 等々。
“幸福の青い鳥”を探して右往左往する。現代人の幸せは昔も今も変わらぬ“青い鳥”か?

従来の “幸福の青い鳥”は、人間の外にではなく、人間の中、即ち、人と人との間と人の心の中にあった。“生きている実感” も、人間の中、即ち、人と人との間と人の心の中にある。
DSC031214.JPG倉敷チボリにはそのことに気付き、大きく育てていこうとした立派な指導者と素晴らしい人材がいた。そうした指導者・スタッフたちの
パフォーマンスに接して“生きている実感” が持てた。このような人々が、今後、大きく育っていけるのだろうか?
それとも従来とは異なる新しい“青い鳥”、新しい“生きている実感” が見つかるのか? 如何なものか。
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