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サラバTivoli・2 [社会]

今日は気温も低く、風の冷たい鼻水が出てくる寒い散歩だった。
今週前半の万歩計実績、12/21(日)12638歩、月・16537歩、火・15264歩、水・15181歩
4日間の小計は59620歩、まずは、週間7万歩ノルマ達成を確実にした。
今週後半は、年末がらみの用件が多く、思うような散歩もできないから10万歩は困難である。

さてチボリの話だが、多くの人の経営努力にもかかわらず、今年大晦日で閉園する事となった。
倉敷チボリは、周知の通り本家デンマークのチボリ公園と技術提携して導入したものである。
本家チボリ公園は、開園1843年というから160年以上の歴史がある。然るになぜ倉敷チボリはわずか11年で閉園することになったのだろう。
ずっと倉敷に住んでいる知人の中には、あんなもの(倉敷チボリ)採算が取れるわけがない。
止めるべきだ!という意見。或いは地元の商店主等の中には、あんなまずい食事に高いお金を
とって誰が行くもんか。と、口汚くあこぎな商売をけなす人も居た。
開園当初からの入場人員を見ると最初の3年間には2百万人代だったのが、その後急激に減少して、2005年には百万人を切ってしまった。

倉敷チボリ公園の問題は多くの箱もの行政の1つに過ぎないのかも知れない。
当初バブル絶頂の1987年に岡山市制100周年記念事業として計画された岡山チボリ公園は
杜撰な経営のために撤退に追い込まれた。その後名乗りを上げた倉敷チボリ公園は、結果的に
獲物に群がるハイエナのごとき地域の既得権者の餌食になったということができる。雲行きの
怪しくなった景気への思惑から、当時の倉敷(箱もの)市長と既得権者がチボリをうまく利用し、
バブル崩壊の急場をアコギな儲けで食い逃げしたという構図である。

昔からある日本のことわざに「仏つくって 魂入れず」 というのがある。
本家デンマークチボリでは、開園当時フランス革命の後遺症で荒廃していた民心を慰める憩いの場という創業の哲学があった。たゆまず創意工夫して市民に潤いを贈る「チボリは完成することのない未来への贈り物」という創始者カーステンセンの言葉は素晴らしい。倉敷チボリの関係者の中にも素晴らしい人たちがいて魂を入れようと懸命の努力をされた。頭が下がる。
しかし自分たちの利益しか考えない既得権者が巣食っているチボリに、魂は無理だった。
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