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尖閣衝突映像 [社会]

尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件のビデオ映像が流出し、TV(NHK含む各局)ニュースで
一般公開された。その長さは44分に及ぶ。政治的な駆け引きでスッタモンダした末に
やっと国会で公開されたビデオの長さは6分少々というから、完全に国会は虚仮にされた。
自民党の塩崎恭久議員は、「国家の体をなしていない」、「政府がもっと早く公開して
いれば、こんなことにはならなかった」と指摘したという。

私は、この事件を、「情報」という観点から、少し考えて見たいと思う。
私は、現役時代、計算機を利用した「情報技術」の世界を長く経験し、感じた事がある。
それは日本人の「情報」に関する一般的な考え方が、欧米のそれとは大きく異なるのでは?
という事である。一番端的な表現は、「計算機にある情報には価値がない。」という。
経営上、商売上で決め手となるのは、誰も知らない情報であり、それこそが価値があると
言うわけだ。恐らく仙石らが映像を隠蔽したのも、目先の利益を考えた姑息な考えでは?

欧米は、「情報」は「公開」が原則。公開と非公開の境界は相当明確になっている。
欧米企業が階層構造からフラット構造に変革されたのは、計算機を使いこなしたからだ。
基本的に、同じ「情報」を使って競争する、即ち、同じ土俵で相撲を取ると言うわけだ。
日本では計算機も普及し、組織も簡素化したかに見えるが、関連企業、派遣社員などと
結局は、複雑な階層構造になっているのではないだろうか?
日本が格差社会というなら情報格差なのである。同じ会社の社員でも、経営情報の大切な
情報は、社員階層によって細かく区分され、同階層でも曰く言いがたい人間関係で仕切る。

なぜ、この様な違いが出来てしまったのか?以下は私見だが明治維新のセイではないか?
そもそも情報生産の源流である学問は神の摂理を読み解くものであり、近代化の思想と
相携えて、人類の解放という理想に燃えて、科学が発達し、情報技術が発達した。
然るに、日本では、諸後進国と異なり、「和魂洋才」という便利な考え方を編み出して
科学技術情報を、“金儲けの道具(富国強兵用)”として取り入れた。確かに最初は
うまく行った。まだ「和魂」は健在だったから。しかし現代は、「和魂」も「洋魂」も
なく、金儲け主義に走り、情報格差社会を現出しているのである。今回の流出事件は、
情報に関する日本の歪みが極限となり、破壊にいたるまでになったという兆しでは?
民主党の政治は、実に古い型の政治である。小沢一郎だけではない。如何なものか。
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