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家族のつくりかた [物語]

「家族のつくりかた」は、TV小説「てっぱん」の今週のお題である。私には、この題に
多少違和感がある。それは恐らく、私の生い立ちが至極平凡で、従って幸せだったからか?
「家庭のつくりかた」なら私にも多少の経験もあるが、“家族をつくる”とは余り言わない。
あかり(瀧本美織)のように、高校卒業間際に突然、自分が養子で、実の祖母がいた等と
いう環境だったら、新しい「家族のつくりかた」が問題になるだろうか?

今日までの所で、“家族”の参考になるのは、あかりの尾道の家族、初音(富司純子)と
千春の親子、そしてあかりの親友・加奈(朝倉あき)の親子関係だ。
あかりが夏休みに尾道に帰らないという話で、「おばあちゃん(初音)もうちの家族・・」と
言った時、初音は、「家族って何や?どないしたらつくれるんや」、「一緒に暮らしたかて
家族にはなられへん」と、千春との18年の歳月を費やしても「あかんかった」と悔やむ。
「家族のつくりかた」という題の原点は、どうやらこの辺りにあるようである。

話が横道に逸れるが、初音と千春の関係に関する見方・考え方について、参考になる事が
最近の曽野綾子の著書「老いの才覚」という本に書いてあったので紹介したい。(p84)
“子どもから何の感謝もされず、関心も寄せられないケース”について、
「子育てに失敗したのかも知れないけれど、本当の事はわからない。」、「世の中には
努力しても報われない事がいくらでもある。」、「愚痴などに時間を使わず、子どもの
不誠実を忘れ憎しみを最小限に押さえ、明るく楽しくなるものに目を向ける方がいい」

ご主人で苦労した未亡人は、「もう結婚なんて真っ平!」などという。
河合隼雄は某書に「家族的経営を自慢する社長の得意そうな顔を見ながら、そこの社員は
苦労しているだろうな!と思ってしまう。」というようなことを書いている。
家族というのは、あかりが思い込んでいる様な奇麗事の家族では済まないのではないか?
兄の欽也(遠藤要)が、課長を殴った原因が、あかりの出生の秘密にあったというのは
象徴的だと思う。家族の人間関係がうまく行くのも、行かないのも、めぐり合わせでは?
従来の日本の価値観で世の中がまとまっていた時代なら兎も角、現代の様な合理主義で
その上、個人主義の世になって、うまく家族をつくる方法などある訳がないが。
「てっぱん」のテーマの1つが、初音の心を開く事で、それがあかりの成長につながる
のだとすれば、余りにも安直なドラマ?今後、深~いい話を期待したい。如何なものか。
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