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大晦日2010 [社会]

今朝起きると近所の屋根に薄っすらと雪が残っていた。午後は風花が舞った。
全国的に、天候は荒れ模様だが、私にとっては静かな大晦日である。
そういう閑静な年末だから、今年の政治状況について回顧・批判をしておきたいと思う。

今年は鳩山前首相の‘ツイッター’で年が明けた観がある。普天間問題等で無責任発言して
おきながら、首相退任後、基地問題があんなに大変な事とは知らなかった、と公言した。
余計な事は喋っても、大切な事(母親からの献金等)は何も知らなかった、病気見舞いも
しなかったくらい会っていなかった、と強弁した。保身のみの人情に欠けた宇宙人?
小泉元首相は、鳩山や小沢のような出鱈目献金の「政治とカネ」のスキャンダルを出したら
自民党政権の首相・幹事長であれば即刻退陣だと、2010.01月の講演会で述べている。

やっと6月に、鳩山・小沢が退陣し菅新内閣になった。民主党は、組織が脆弱なるが故か
組織を守る為に当初の政権交代の志・本質を忘れ、大きく政権固執、党利党略へと舵を切った。
普天間問題は等閑にされ、経済に色気を出し、小沢、山岡等の「日米中=正三角形」外交論が
幅を利かせた。その挙句、尖閣諸島沖漁船衝突事件である。仙谷官房長官等のお粗末な状況が
国会中継で世界に発信された。柳腰外交かどうか知らないが、対応の誤りは、東アジア全般の
平和にまで波及してしまった。鳩山前首相同様、民主党全体が国際常識・国際感覚もなく外交を
行っている。民主党は素人政権にも関わらず、政治主導を云々し、官僚もうまく使えない。

恐らく民主党幹部らは、尖閣ビデオ同様、これから国会中継を国家機密として、少なくする
あるいは中止するといった対応を採るのではないか?尖閣ビデオ同様に権力で押さえ込むと
言うなら、お上に従順な国民は、唯々諾々と従うかもしれない。しかし、いくら隠しても、
内容が内容なら、いずれ表れるものである。どうせ表れるなら早い方が手遅れにならない?
漫談で辞任した柳田前法務大臣が好い例である。アラを出し切り、国民が判断すべきでは?

行財政改革は何処へ行ってしまったのか?2011年度予算は、またまた史上最大規模。
国債発行額は税収を超えて44兆円強の巨額となった。行財政改革とは、税金に無駄な金を
使わない事である。子ども手当は、予算もないのに国債発行してまでやる政策なのか?
子ども達にツケを回す事になるのに、子ども達が喜ぶとでも思っているのか?
票の欲しい党利党略に過ぎないのではなかろうか?如何なものか?
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年の暮れ2010 [和歌・俳句]

今年も、いよいよ明日を残すのみとなった。人は、秒、分、時、日、月、年と時を刻む。
そうすることで、現在・過去・未来を分かち、より深く己をふりかえる術を持った。
現在という捉えどころのないものも、1時間、1週間、1ヶ月、1年と区切れば、自ずと
見えてくるものがある、ということであろう。忙しくしている人も、年の瀬くらいは、
何とか漠然とでも、一年をふりかえる。年末は、なにかを人に語りかけてくる?

私の持っている芭蕉の本から、“としのくれ”の俳句を拾ってみた。
◎ 年暮れぬ 笠きて草鞋(ぞうり)はきながら    貞享元年(1684) 芭蕉41歳
◎ めでたき人の数にも入らむ 老いのくれ      貞享二年(1685)
◎ 月雪と のさばりけらし としの昏(くれ)    貞享三年(1686)
◎ 旧里(ふるさと)や臍(へそ)の緒に泣(なく)としの暮 貞享四年

◎ 蛤(はまぐり)の生(いけ)るかいあれとしの暮 元禄五年(1692) 芭蕉49歳
◎ 分別の 底たたきけり 年の昏          元禄年間
◎ 古法眼 でどころあわれ 年の暮         元禄年間
大きく、貞享年間と、元禄年間に分かれた。元禄年間の二句は元禄五年以前?
貞享元年は、「野ざらし紀行」の旅に出た年。年末は、伊賀上野の故郷で越年した。
翌年、貞享二年4月に、8ヶ月にわたる「野ざらし紀行」の旅を終えた。
貞享三年の正月の句は
◎ 幾霜に 心ばせをの松かざり
と詠んだ。 「野ざらし紀行」を終え、意気軒昂とした芭蕉の心が現れている?
その年末の ◎ めでたき人の数にも入らむ 老いのくれ という歳末吟にも勢いがある?

貞享三年以降、数々の名句を残し、元禄二年三月初旬いよいよ、みちのくの旅にでる。
◎ 分別の 底たたきけり 年の昏 の句は、従って元禄元年ではないか?
或いは、みちのくの旅で、何かを悟り、不易流行を説きだした元禄二年の暮か?
晩年(元禄五年頃から)「かるみ」を説きだした後では無いだろう。

元禄七年十月、51歳で逝った俳聖・芭蕉の時のうつろいを歳末吟でたどってみた。
そうしながら、私のこの一年をふりかえり、新年を迎える視点を考えてみた。
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美意識・感覚・現代 [社会]

感覚に関して基本を弁える事は、異邦人だけでなく身近な人への思いやりにも大変重要?
今日読んだ、嗅覚の特殊性について、有益な内容を、以下に簡単に紹介する。
1.味覚や嗅覚は、視覚や聴覚に比べて、物理的な因果関係がはっきりしない。
2.においに対する快不快、好き嫌いは、かなり主観的で、感度にも個人差がある。
3.同じにおいをかぎ続けると、知覚されなくなってしまう。
4.におい発生物質の濃度が変化する事によって、においの質が変化する。
5.においは、悪臭を芳香でマスキングできる。また複数のにおいの混在で変質する。
視覚や聴覚もマスキングや変質(変調・変色など)があるが、物理法則に従う。一方臭気は
臭気物質の濃度と一律の関係ではないし、生体側の器官も視覚や聴覚ほど一律ではない?

福田恆存は著作「日本と日本人」で戦後日本における思想・道徳等の混乱を示した上で、「日本人
の“調和を愛する感覚的美感”を土台にしない限り動きがとれない。」と指摘した(その指摘を取上
げて論じたのがブログ「2009-12-14日本的美意識」)。だが著作を書いた昭和29~30年頃
日本は和式便所で、同じにおいをかぎ続けると知覚されなくなってしまうという環境にあった
ことを忘れていた。その後の嗅覚における日本の環境変化は下水道の整備による水洗便所の
普及にみられるごとく、大きな変革を成し遂げている。しかも嗅覚には個人差も大きいと言う。
味覚の世界でも同様のことが言えるのではないか?

「臭い」、「汚い」等と言ういじめは恐らく、つい最近(三丁目の夕日時代)まではなかった?そして
そういう嗅覚に関するいじめは、本人やその家族には自覚しづらい。それが一層、イジメを深刻に
する?嗅覚知識を知らない、或いは理解できないイジメ側、いじめられ側もある意味では被害者
である。嗅覚や味覚に関して、思いやり教育を徹底すべきではなかろうか?

そこで思い出したのが、私のブログ「2009-09-01大敗と大勝」で取上げた選挙予想結果。
私は立てた仮説の不成立結果から、自分の考えの及ばない国民性の変化が起こっていると直感
したが、その原因が良くわからなかった。だが以上述べたごとく嗅覚・味覚という個人差の大きな
感覚器官が過去になかった広大な活動領域を得て鋭くなっている事が、その1原因では?と
考えるに至った。日本人の美意識が、多様化するのは良いが、味覚や嗅覚という個人差の大きな
領域で思いやりのないタコ壷思考ではなく、感覚の違う人々への思いやり思考が大切では?
異邦人だけではなく、同邦人の多様化にも、度量が試されている?如何なものか。
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サスペンスと夫婦 [物語]

録画撮りで昨夜観たサスペンスドラマ「たたき上げ刑事・近松丙吉8」は、すれ違い中年夫婦の
悲しい物語だった。ケーキ作りのコンクールで入賞した妻(かとうこずこ)がカリスマ主婦となり
超多忙で、夫(石丸謙二郎)や息子と深い溝が出来てしまう。何とか家族を取り戻そうと焦って
いる内にトラブルに巻き込まれて殺されてしまう。非常に難解な事件で、捜査は二転三転するが
たたき上げ近松丙吉(伊東四郎)の独特の捜査は、周りに迷惑をかけながら、読みが当たり、
最後には意外な犯人に辿り着く。ラストシーンで丙吉は、奥さんが大切にしていた家族の写真を
返却する時に、夫婦共に寂しかったのを我慢した事が不幸を招いたのだと叱った。
「何故、寂しさを奥さんにぶつけなかったのか」と。互いが家族を大切に思っていたのだから
思いを伝えれば、大きな溝にならず、元の家族を取り戻せただろう。
“包容力”や“度量”を気取った優柔不断な夫役を石丸謙二郎が好演していた。

先週の「てっぱん」で、隆円(尾美としのり)が、あかり(瀧本美織)に男ができたのでは?
と錠(遠藤憲一)を不安がらせる場面がある。久太(柳沢慎吾)が、なぜ錠に意地悪するのか?
と問われて、隆円は「真知子ちゃん(安田成美)が何で錠を選んだのか未だにわからん」と
27年前に拘り続け、「錠の度量を見とるんじゃ!」と答えていた。錠は熱血漢で、情にもろく
強さもあるが、隆円のいうような度量という点から言えば、隆円がまさっているに違いない。
しかし女性の全てが隆円の言う様な度量、言い換えれば「優しさ」だけを求めているのではない。
隆円は、そこを理解していないのではないか?

昨日だったか? 山路徹(ジャーナリスト?)の麻木久仁子と大桃美代子との関連インタビュを視聴した。
ははあ!多くの女性が、こういう人を度量のある優しい人と、あこがれるのかな?と思った。
人にはそれぞれの生き方、考え方があっていいと思う。しかし「真実」を語ったにも拘らず
麻木には「優しい嘘」と採られ、「優しい沈黙」と考えた沈黙は、大桃に「冷酷な沈黙」と
思われる。どちらにしても、彼の真意は相手に伝わっていない。優しさと真実の使い分け
それが、夫婦の溝を深めもすれば、破局にもなる。山路はどちらも破局だった。

優しさ・度量だけでは、偽りの夫婦関係を保つ事は可能だが、芸能界ではとても続かない?
心の叫び・真実の思いを互いに語り合い、それを乗り越えて互いに成長・進化する。それが
本当の優しさ・度量ではなかろうか? てっぱんの錠と真知子が、素晴らしい夫婦であるのは
二人に、そういった本当の優しさ・度量があるということではないか?如何なものか。
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四方山話・師走2010・Ⅲ [閑話]

今日も冷え込んだが、昨日よりは暖かかった?三寒四温をもじり、三温四寒?
oth1012261201001-p1.jpgさて、都大路を駆け抜けた全国高校駅伝は、男子が鹿児島実業、女子が
興譲館(岡山)興譲館は、昨年の大会で1区の赤松眞弘選手がまさかの
転倒で惜しくもトップと43秒差の3位。その辺の経緯はブログ「2010-01-
29女子駅伝雑感」でも触れている。その悔しさをバネに頑張ってきた。
ついに5年ぶり二度目の全国制覇を成し遂げた。
写真は、1位でゴールテープをきる興譲館高校アンカーの赤松真弘=
西京極陸上競技場(撮影・白鳥恵)。赤松双子姉妹は、
姉・弘佳選手は主将、真弘選手はエースとしてチームを引っぱった。

女子駅伝優勝校・興譲館は岡山県井原市の私立高校である。興譲館の校名の由来を調べたら
孔子の「大学」の一節「一家仁一国興仁、一家譲一国興譲」から採られたという。意味は各家庭・
各家族に「仁(思い遣りを基にした最高の徳)」があってこそ国家で「仁」が盛んに行われるように
なる。各家庭・各家族に「譲(へりくだり人に譲ること)」があってこそ、国家で「譲」が盛んになる
或いは盛んにする事ができる。というようなことである。こういう教育理念をもって
教育にあたる学校は素晴らしいと思う。(現実はどうかを、私は良く弁えていないが)

最近、知人と学校教育、社会情勢その他で少し話し合ったことがあるが、学校も企業経営並みに
効率化や、数値目標によって管理されるので、本来の教育とは何ぞや?という事が見失われてき
ているらしい(これは、話を聞いた私の勝手な解釈であるが)。それと同じ事が、官僚制度改革に
もいえるように思われる。数値目標で縛ったり、事業仕分けで政治家が支配したりするなどは愚の
骨頂だ。極端な比喩だが、学校や役所の改革はマクドナルドの店員のようにマニュアル通りに
やらせることではない。優秀な教師、官僚を育て、存分に教育や行政の腕を振るわせられる環境
を整える事である。

一国の政治を良くするのも悪くするのも、結局は各家庭・各家族の思想・心情、精神状態にかか
っている。政治は常にその視点を忘れてはならない。選挙を有利にする事しか考えない政治家が
国民は「お得意様」だと甘い汁を吸わせ、世の中を支配する背景には、国民が、その甘い汁を
期待しすぎることがある。今の日本は、そういった悪循環サイクルにハマってしまっている。
「子ども手当」等は、こういった視点からいえば、コンクリート業者の談合や、リベート等よりも
もっと悪い。各家庭・各家族に、直接「毒まんじゅう」を配るようなものである。如何なものか。
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「てっぱん」13週・関係 [物語]

昨日から今日にかけて今年一番の寒さ。寒さもつのり、年が行くのは逝くにつながり
年の暮れは、特に「死」を連想させられるが、「死と再生」ということもある。
人間は生ある限り奈落からまた這い上がり前に進む。町内のバンドの指揮者・岩崎潤
(柏原収史)が、トランペットを「死」に最も近い楽器だという話を交えながら、
あかり(瀧本美織)は人を勇気付けたいからトランペットを選んだのだと言っていた。
そのことを初音(富司純子)は影で聞いていた。初音の千春理解への糸口となるか?

往年の駅伝選手・根本(松田悟志)は脱水状態になってフラフラになり、失格になったが
最後まで諦めなかった。当時、走る意欲を失くしていた高校生の滝沢(長田成哉)は
誰も待っていないゴールに倒れ込んだ根本の姿に深い感動を覚え、再び走る意欲が湧いた。
大学全日本の代表選手として著名となった滝沢は、有名企業に就職するも怪我のために
二年間、鳴かず飛ばずで、根本がコーチをする企業に拾われて再起を期していた。そして
予選大会で、滝沢は区間賞を取ったが、チームは予選落ちで、解散?根本は退社?

滝沢は根本の会社に入る時に、受け取り手のなかった当時の根本のタスキを受継ごうと
心に誓ったのだ。もっと条件の良い会社があったにも拘らず、根本の会社を選んだ理由は
怪我の経験を通して、当時の根本の悔しさが、もっと深く理解できたのだろう。根本も
滝沢の走りをこよなく愛していた。「ふたり」は深い相互理解で結ばれた関係だろう?

今週の「てっぱん」の題は「ふたり」。根本と滝沢の隠された二人の関係を軸にして
様々な「ふたり」の関係が、福引の特賞“有馬温泉・宿泊招待券”を絡めながら展開する。
特賞は、神田(赤井英和)>根本>神田>浜野一(趙 珉和)>笹井(神戸浩)>初音
>伝さん(竜雷太)>あかり>神田>小夜子(川中美幸)と巡る。まるで駅伝のタスキ?
ダバダバダの「男と女」という点では、神田>小夜子、浜野>あかり、あかり>滝沢
この特賞の輪に入らない「ふたり」。それは父・錠(遠藤憲一)と母・真知子(安田成美)
そして、このふたりが27年前の結婚以来、真知子が自分ではなく錠を選んだ事にこだわり
続けている隆円(尾美としのり)と村上鉄工所の家族それぞれとの関係も面白い。
隆円と千春(木南晴夏)との秘話。千春が隆円のことをどう思っていたか?等もあった。
「ふたり」の相互理解でもなかなか難しい。まして複雑に入り組んだ一般の人間関係は
複雑怪奇?まずは「ふたり」の単位で絡んだ糸をほぐすしかない? 如何なものか
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旧友を悼む [思い出]

高校時代の友・植村達男君の訃報を知った。ご冥福を祈り、追悼の小文を捧げたい。
◎ 年の瀬や 見送る人も また見送られ
彼とは、同クラス、正に同窓の間柄だった。彼はエスペラント研究会に所属していた。
現在も、日本エスペラント学会の監事を依頼されているとの事であった。
卒業後も、私が川崎・東京に転勤してから同窓会で親しくさせてもらっていた。

ご存知の方も多いと思うが、彼は随筆家として多くの著書・著作を残している。
小島直記の「出世を急がぬ男たち」に彼の著作が取上げられて文壇デビュしたらしい。
彼の著書の全容は知らない。私が知っているだけでも以下の書名が思い浮かんでくる。
1) ある情報探索人の手記(2001/09)
2) 時間創造の達人 ― 知的情報活用のすすめ(1996/10)
3) 情報氾濫時代を生きる ― 新しいタイプの専門図書館(1992/11)
4) コ-ヒ-、その知的香りのモザイク ― 私の情報整理学入門(1991/01)
5) 神戸の本棚(1986/10)、6)本のある風景(勁草書房1978年初版)
初期のものは、当時、私が、転勤直後で10数年振りの関東に慣れないでいた頃に
同窓会(東京支部)で親切にしてくれて、ご本人から直接入手した。
その後、書店の店頭で見かける度に、大体は購入してきた。

彼は、1941年神奈川県鎌倉市生まれ。お父上の転勤で昭和30年(1955)神戸に転居。
御影中学校、神戸高校、1964年神戸大学経済学部卒、住友海上(現三井住友海上)入社。
自動車保険料率算定会(現損害保険料率算出機構)調査役、住友海上情報センター長等を
歴任、その後、神戸大学東京オフィスコーディネータなどをされた。

同窓会ではいつも会う事ができるのを楽しみにしていたのに、50周年同窓会は欠席だった。
それで気にはなっていた。倉敷に引っ込んで8年半。皆の消息にも疎くなってしまった。
それでも、50周年記念誌には、様々な活動に関与している近況を知らせてくれていた。
記念誌の届いた直後の11/5に、メールを出したら簡単な返信で、少し心配していたが、
其の侭になって、まさかこんなに早くお別れすることになるなど思いもかけなかった!
こころ優しい植村君、いろいろと親切にしてくれて有難う! どうか安らかに!
◎ 友逝きて こころさみしき クリスマス
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健忘症? [希望]

昨日、今日は祝日ということを忘れていて妻から注意されていたのに、今日午後2時頃の
散歩途中で、若夫婦が懸命に大掃除しているのに出会い、思わず「旦那は三交代?」と
思ってしまった。またも忘れていたのである。(三交代勤務は平日休みになる)

毎日が休日の私にとって、休日・祝日という概念そのものが価値をなくしてしまっている。
しかし正常な日常生活を送るために、夏休みや大型連休の様な長い休みを初め、それなりに
休日を意識しているのだが、時に今回のような“ポカ”がある。特に新しい休日を忘れやすい。
緑の日、海の日、国民の祝日(国民の祝日と国民の祝日の間に1日だけはさまれてなおかつ
その日が日曜日か月曜日ではない日)。それと毎年日が変わる成人、敬老、体育の日
兎も角、今日の天皇誕生日を忘れたのは、大失態。世が世なら、‘不敬罪’に問われた?

これは健忘症などと気楽なことを言っている状況ではない?それでツラツラ、反省した。
一つ 世の中の動きに対して、余りに鈍感? 鈍感力などと気楽な事は言えない?
二つ 自己の興味、好みによる選り好みをしている? 率先して人と会わない。
要は、最も安逸な状況に我が身をおくように、無意識的に行動している表れではないか?

何時かの「ためしてガッテン」の認知症の番組で、
認知症でも感情を伴う記憶は長く保たれる。こうした「感情の蓄積」が認知症の悪化に
つながるという。これを、認知症になる前の人に当てはめて考えると、「感情の蓄積」は
健常者→→認知笑(健忘症)→→認知症へとつながるのではないか?
何を言いたいかというと、健常者における「感情の蓄積」が、無意識的に安逸な状況に
逃げ込み、そこにおける適度なストレスのない生活が、健忘症へと落ち込んでいく?
そして、更なる「感情の蓄積」で、認知症へ、そして重症化へと落ち込んでいく?

人間の肉体も精神も、適度なストレスに曝されてこそ、健康に生きられるのではないか?
認知症の方が「感情の蓄積」で症状が悪化するのは、既に些細なストレスにも絶えられない
からではないか?現在の若者等が、傲慢に成ったり、罪を犯したりするのも、精神を鍛えず
弱いために、ストレスに絶えられず、「感情の蓄積」を高じたが為ではないか?
私も、筋トレやスロージョギング、散歩などによる肉体の鍛錬だけでなく、精神の鍛錬を
しなければ、知らず知らずの内に、「感情の蓄積」に負けてしまう? 如何なものか。
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冬至:2010 [閑話]

今日は冬至。柚子湯に入って、小豆がゆやカボチャを食べる風習がる。風邪を引かないとか
中風に良いとか言われている。冬至から春分迄は、私にとって一年で最も過酷な時期になる。
「クリスマスはキリストの誕生日」というのは後世のキリスト教教会の作り話で、元は、
「太陽の復活」を祈った西洋土着の行事という説があるが、私は心から賛同する。
科学知識では、二十四節気は祈らなくとも巡るが、早く太陽が復活して欲しいと祈りたい。
特に大昔、薪を焚くくらいしか暖房のなかった時代の人々の祈りは、命がけだっただろう。

最近、散歩途中で、あちこちの庭に南天があるのに気付く。赤い実が目立つこともあるが、
NHKTV小説「てっぱん」で、南天は「難を転ずる」という意味がる事を知ったからか?
欽也(遠藤要)が弁当で支援した人から返してもらった空の弁当に南天の実が入っていた。
それを見た母・真知子(安田成美)が、「難を転ずる」という意味だと解したのだ。
かつて幼い頃住んでいた家の小さな庭にも南天があった。母に教わったのだが、その時に
南天の枝を切ってはいけない、と教わったことを思い出した。理由を尋ねたが、教えては
くれなかった様に思う。南天には毒性があるので注意したのだろうか? その毒性の為か
南天は不浄を清めるというので,昔はお手洗いの外によく植えた。昔の我が家もそうだ。

俳句では「南天の実」は、秋の季語になっているが、赤い実は、今が盛りのようである。
「難を転ずる」は縁起がいい。お目出度いお正月の飾りにも最適!結構、使われている?
妻が、南天は、関西以西ではよく見かけるが、関東では、入手も難しかったし、あまり
見かけなかったという。日本では西日本、四国、九州に自生している様だし、名前からも
南方系なのだろう。最近は、「難を転ずる」人気で、関西以北の需要も伸びているか?

最近の「週刊現代」に石川遼の父親・勝美氏の「石川遼に足りないのは経験と教養」を
読んだ。週刊誌側の意図には、海老蔵事件との対比が感じられた。観客やマスコミを顧客と
して捉え、邪魔なことは1つもない事を、自己の銀行員としての経験に基づいて教えたと
いう。“貸し出しを返済しない人、延滞している人もお客様であることに変わりはない”
という自己の体験からの顧客観を説かれると、遼くんも充分に納得できるだろう。
誰かが、重石(おもし)になっている間は、人間の“おごり”には自制が効くものである。
社長でも首相でも、芸能人でもスポーツマンでも、顧客を大切にしている間は大丈夫!
しかし顧客はこれら高慢になりやすい人々をキッチリ観察して選択すべきであろう。
特に政治家は、チャウシェスク夫妻の様な独裁者になってしまうと困る。如何なものか。
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四方山話・師走2010・Ⅱ [閑話]

今日は、久方ぶりの雨中散歩だった?雨中散歩は、出かけるのが億劫だが、歩き出すと
傘差し散歩も慣れてきて余り気にならない。雨なし散歩には、たくさんの散歩人と行き交うが
雨中ではほとんど見かけない。今日は犬の散歩で1人と1匹を見かけただけである。
ワンちゃんは、迷惑気に目をしょぼつかせていた。犬も、雨中散歩は気が進まないとみえる。

師走も下旬になり、クリスマス商戦たけなわ。スーパー等にはプレゼントを山と積んで
ジングルベルの曲が絶え間なく流れているが良く聴くと随分と色んなバージョンがある。
世の中は平和そのもの。結構な事である。しかし思い出してみると、昭和21年(1946)の
今日は、マグニチュード8.0の昭和南海地震があった。南海地震は、684年:白鳳南海地震
- M 8.0~8.3以来、昭和までの9回の地震記録が残されており、世界的にも例をみない
ということである。日本という国は、内乱はあったが、外国に蹂躙されなかったために
このような記録も残っていたということなのだろうか?「治にいて乱を忘れず」である。

秋になって熊が山から人里に出没するのは、杉・ヒノキの人工林が荒廃して虫も鳥も動物も
棲めない、食べ物もない状況になっていることが原因の一つだと、友人のブログにあった。
それで森林政策に関心があったから、月刊 Willの「日本の森と水を守れ!」高市早苗議員
の記事を読んだ。内容は、日本の掛替えのない水資源を守るための土地や取水の規制関連の
法律論議であった。そして、「急ぐべきは水資源や森林の保全の為のルール作り」 という。
細かなことは良くわからなかったが、法律だけで守るのは生易しい事ではないことだけは
理解した。関連のある人々の資源への愛・関心、そして愛国心が必要なのでは?

昨日もタケシのTVタックルで、TPPを巡って、是か?非か?農業関係者と与野党の政治家が
ガヤガヤやっていたが、そこから私は、明確な意見の流れを読み取った。それは 「いま、
TPPの是非を論じる時ではない。」と言う事だ。日本人は、バスに乗り遅れるな!式の意見
が好きだが、今や日本の現状はそんな単純なモノではなかろう。円高の是非も同様である。
何でも是か?非か?白黒を付ける二元論的論争をいい加減にしたらどう?日本人は単細胞
人間と世界から侮られる? 隠し持ったたこ壷データで議論せず、リアリティあるデータを
共有して議論しなければ前に進まない。情報隠蔽は日本の悪弊だ。菅首相がTPPを出抜けに
言い出したのも、日本的悪弊の何よりの証拠である。森林も農業も、調査しリアリティある
データを民衆に公開し議論しなければ、何の解決にもならず先送りでは?如何なものか。
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