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日本の未来'10.11月・② [希望]

日本の未来に希望を持つためには、「共助」も大切である。民間による相互扶助である。
一番身近に感じる「共助」は、生命保険や傷害保険、火災保険などの「保険」だろう。
NPOなどによる活動なども、「共助」の活動に類する。「共助」の歴史は古い。
私の古いブログで2007.5.22~3回にわたって書いた「義倉の歴史」でも触れたが、
日本最初の「義倉」の純民営化は、今の所、倉敷義倉(1769)らしい。
倉敷義倉の特徴はお金持ちの寄付が、大きな要素だった。その伝統は、明治以降も受継がれ
大原孫三郎ら、倉敷の民間有力者のリーダシップによって、戦前から素晴らしい地方文化が
花開いた。政・官・業の癒着が云々されるが、孫三郎時代は、素晴らしい緊張関係の中で
政・官・業 皆の力が相乗効果を発揮して素晴らしい街づくりをしたのである。

「共助」にとって、お金持ちの寄付は大切な資源である。うまく活用する仕組みが望まれる。
さて、現代は経済規模が、昔に比べ格段に膨張しており、お金持ちの寄付だけで「共助」は
中々 回っていかないのでは?やはり、もっと別な観点から「共助」を考えるべきでは?
私企業や私学などと「共助」とを、どう連携していくべきか?知恵を出すべきだと思う。
私は、私企業の減税に賛成であるが、私企業は、正に「共助」の中核として大切な存在?
企業が元気になれば、雇用も増えるし、余力は「共助」として、運用しやすくなる。
また、一般市民(消費者)が、的確な評価をする事によって、悪徳企業より正義の企業が
繁栄し、世の中は栄えていくだろう。

減税しなくても一般市民に支持される企業は、高業績となり、「共助」がやり易くなる。
一般市民の選択は、個人や家族にとって最適な商品を選ぶだけでなく、同じレベルの商品
ならば、「共助」に貢献している企業の商品を選ぶという選択の幅が広がるわけである。
お金を使うことなく、社会に関心を持ち、思い遣りの心を持つだけで、「共助」に参加
出来る?素晴らしいではないか?
東京の書店では「正義」の本(著者は外国人)が沢山 積まれていた。
米国では景気後退期にも75%の人が社会的コーズ(大義)のために寄付しており、
マーケティングでは社会的コーズが重視されるという。それでも消費者自身の変化を
促すために新しいマーケティングへ変革していくという。消費者が社会的課題に関心を持ち
自らの課題や社会的課題を克服するために変革するというのである。マーケティングから
個人の自覚を促し、社会的課題に目覚め、「自助」「共助」で変革する。如何なものか。
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日本の未来'10.11月 [希望]

民主党政権交代前から、「いまだ未熟だから政権交代は早い」と言い続けた。そして、
その後、日毎、夜毎に、私の予言通りになってきた。先日の上京で会った知人から
「民主党もダメ、自民党もダメ。日本はお先真っ暗では?」という話になった。内心、
私は自民党に少し望みを抱いていたが、自民党の悪事に詳しいA氏に反発する勇気もなく
何となく同意した。

政治の未来≒日本の未来というのが、会話時点におけるA氏の心境ではなかったか?
私も、会話時点では、恐らくそういう気分だったと思う。後で考えると、
私の考え方は、‘政治の未来≒日本の未来’ではない事に気付いたのである。

この問題に改めて向き合って、私が民主党を批判している真の意図が見えてきた。
私が、一貫して民主党を批判してきた根っこには、「良民を愚民に陥れる政策」がある。
或いは、「党利党略を恥じない人格が、社会を支配する姿の良民に及ぼす影響」がある。
「格差」等に目くじら立てるような愚民ではなく、社会全般、国際社会に広く関心をもつ
「愛」のある良民を育成するための環境作りに、一役かっていたつもり?
社会全般に広く深い関心をもった、社会全般への「愛」に溢れた人間性が大切なのだ。

民主党も自民党も、日本の将来に役立たずならば、国会議員の数を大幅に減らせばいい。
そうすると、当選のための得票数が膨大になり、政治と金の問題は少なくなる。また
鳩山さんのような大金持が、貧乏になる位、金が掛るなら、階層間の風通しも良くなる。
小泉さんの言っていた「規制緩和」も大切だ。ただし、食の安全に関係する農業や
国の安全に関する防衛、広域にわたる治水・土木などは、真剣に議論する必要がある。

明治維新以後、列強に飲み込まれるという「不安感」から、大きな政府路線を突っ走った。
その行過ぎが第二次世界大戦。戦後は、敗戦国からまた一等国を目指して大きな政府路線。
現代日本では大きな政府になっているという認識が強い。しかし千数百年の日本の歴史上
大きな政府路線は高々140年。元々は小さな政府の伝統であった?
問題は、現実の政府が大きいか?小さいか? ではない。そうではなく、まず
民衆が、「自分達の政府を小さい政府であると考える事」が大切なのではないだろうか?
私の考えでは自民党の「自助、共助、公助」の考え方が一番いいと思う。如何なものか。
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再会'10.11.24 [閑話]

一昨日は、久しぶりに大学時代の旧友と再会した。毎年、開かれている10人前後の会合だが、地方に引っ込んで8年半、徐々に私の出席頻度が悪化していた。ここ数年欠席を重ね、昨年も欠席通知をしたが、そのときに、幹事から来年は、出席するようにと釘を刺された。考えてみると卒業45年の節目の年でもあり、一年前から、それなりの心の準備があったので、今回は出席できた。もし、幹事の一声がなければ、そのまま、例年の如く、毎日の雑用に振り回されて、今年も欠席していたのではなかろうか?幹事の心遣いに感謝したい。

みなさん、まだ現役の人も、一線を引いた人もいるが、それぞれに年輪を重ねながら、ほとんど衰えを知らないのには驚かされる。東京、あるいは関東で育って、東京や海外を活動の場としてやりぬいて、なお、都会をついのすみかとする人々の底知れぬ気力、迫力に気おされたが、それがまた快かった。数年ぶりにも関わらず、何の変哲もない私に関心を持っていてくれていることをうれしく思った。「無関心は愛の反対語」と、昔、ブログに書いたが、マザーテレサの言葉である。大学時代のこのグループの人々は、社会を生き抜く強さと共に、旺盛な関心を持ち続けている。いろいろなことに広く、深く関心を持つこと、それこそが、人間社会に対する「愛」なのではなかろうか?

それで、北朝鮮の韓国砲撃に関する危機管理体制の問題を思い出した。野党の追及に対して、菅首相や岡崎トミ子国家公安委員長の答弁を聴いていると、いかに彼らが、社会全般に関しての関心が薄いかがわかる。まるで指示待ち型一般人のように、あらゆることは他人事で、指示、連絡、情報を待っているだけなのでは?官邸や自分の職場である警察庁に行くことの意味がわかっていない。自分が役所に出向いて、積極的に働き掛けることが自分の仕事であるにも関わらず、関心がないから積極的に働き掛ける材料が生まれない?だから職場放棄するのだろうか?

本来は、こういう緊急事態こそ、首相や担当大臣が、いかに社会に関心があり、社会全般を愛しているかを国民に知らしめる絶好の機会である。そういうことも、現在の地位に就くまで学んでいないのは、彼らの関心が、いかに偏った関心であるかがわかるのである。民主党という組織が、党利党略だけで人材を育ててきた事が明白なのではないか?そういった認識もなく、党内に言論統制するだけでなく、自衛隊に及び、次には何処まで言論を統制するつもりなのだろうか?民主党が残り3年弱、国家権力にこだわり続けるのなら、社会全般に対する「愛」のない政治、言論統制で権力を守る政治から足を洗うべきだ。そうでなければ、自己中心の人間をますます繁殖させて、日本の良さは無くなってしまうだろう。如何なものか。
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民主化or反民主化 [社会]

中国では天安門事件(1989)、そしてベルリンの壁崩壊(1990)以来、民主化路線を取り、
共産党一党独裁体制を取りながらも、資本主義を導入し、民主化路線を執って来たという事に
なっている。だが一方では軍拡路線を突っ走ってきた。これは丁度、日本が1914-1918年
第一次世界大戦で漁夫の利を得て、明治憲法の元で、大正ロマン時代を謳歌しながら、都会と
農村地帯(特に北部)との格差が原因となり、反転して反民主化路線を執ったことを思い出す。
中国が、反民主化路線に反転することは、現在の国力と軍事力のことを考えると「不安」?

中国が今回の尖閣諸島・中国漁船衝突事件を起こしたのは、中国の反民主化勢力が、胡錦濤を
追い落とすための策謀だったという噂もある。ならば、民主党内閣が中国と、衝突映像を隠蔽する
密約を交わした理由が、民主化路線を援護するための高等戦術外交?という推論も成り立つ。
政府による衝突映像隠蔽の理由が「APEC成功」、「レアアース交換条件」などといわれているが
そんな理由よりは、民主化路線援護の方が、まだマシ?しかし仮に100歩譲ってそうだとしても
我々庶民の不安は拭えない。なぜなら、そんな小手先外交で中国の民主化路線が守られるなら
逆に映像公開しても守られるだろう。また中国の反民主化が今後起こるとしても国際社会として
中国の暴走に皆で対応策を考えるためにも、早く映像公開する必要があったのではないか?

衝突映像公開は、国際社会に日本が如何に民主的であるかを示すと共に、中国が如何に卑劣な
社会であるかを公表することを意味する。一色正春氏の告発は、国際社会から見れば、日本と
いう国が、おかしな政府を頂きながら、真ともな国民がいて一安心ということではなかろうか?

衝突映像隠蔽は国民に得体の知れぬ「不安感」、なぜ民主党政府が公開しないのか?その裏に
どんな恐ろしい事が隠されているのか?という底知れぬ不安を抱かせる事になった。政治家が
最もしてはならないことをしたという事である。昨日の諸富祥彦氏の本ではないが、人間は、
考えすぎると、とんでもなく得体の知れぬ「不安感」に苛まれるのである。諸富祥彦氏自身の
体験として、青少年時代に、「生き方がわからない」で、死の苦しみを味わったというのだ。
毎日、食事し、歩き、本を読み、学校に通っているのに、「生き方がわからない」という。
生き方とは、歩き方、しゃべり方等であるにもかかわらず。得たいの知れぬ「不安感」に
囚われると何が本質か分からなくなる。急激な民主化も問題であるが、隠蔽は、諸富祥彦氏の
青少年時代のように、渋谷の彷徨十代少女の様に、得たいの知れぬ「不安感」をますます増幅
させる。そして究極の「不安感」へ導き、最後には破滅に陥ってしまうのである。如何なものか。
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政治の課題とは? [社会]

今日の昼食時のTVで、柳田法制大臣の辞任と深夜渋谷で彷徨する十代女性の話が続いた。
彷徨十代女性は「生きる意味がわからない」等という悩みを持ち、リストカットを繰返している?
リストカットの映像も出ていた。彼女らの悩みとは、得体の知れぬ「不安感」ではないか?
何でも菅でも、政治の問題にするつもりはないが、現代の政治の方向性が、こういう子ども達を
大量に生み出している事も否定できないと思う。「方向性」という言葉で何を言いたいのか?
現代日本の様に、未だ歴史上経験したことのない豊かな社会では、問題の本質は「金ではない」
という事である。こういう豊かな社会にとって、政治の課題とは何か?

外交問題や柳田問題が政治の問題になるのは、煎じ詰めれば得体の知れない「不安感」だ。
要約すれば、政治の課題とは、「不安感を起こさせない。国民が安心して仕事、勉強、遊び、
家事・育児に取組みながら、自分の本当の不安や課題に立向う様にすること」。こう書くと恐らく、
各種政党や、或いは、業界や一般人からも「だから金を配る。金が要る」と言うだろう。
しかし彷徨する十代女性に金を配っても、彼女らの悩みの本質的解決にはつながらない?
丁度本棚に、諸富祥彦著「生きていくことの意味」という本が目に付いたので
それを紐解きながら「得体の知れない不安感」の根源を、少し考えてみたい。

著者は本の冒頭、不況とリストラ等の現代世相を並べ立て現代の不安感を煽っている。
著者は、臨床心理士だから、不安を煽り患者が増加した方が儲かるからそう書くのか?
私の推論では、そうではなくて、著者は一生懸命勉強して嘘の不安感から「自分の本当の不安」を
探し当て、立向って「不安感」を除く方法を見つけたのだと思う。だから、嘘の不安感から
自分が直面しなければならない「自分の本当の不安」を探す手助けにと、読者諸氏に
自身の経験の一端を書きあらわしたのが、著書になっているのでは?

政治家は、国民全体の不安感(外交問題や政治家の質等)を起こさせない事がまず基本。
次は地域や業界、そして個人が本当の不安に向き合い、克服する手助けをすることである。
嘘の不安感から本当の不安を見つけ向き合う仕組みづくりが第一。手助けは自助・共助、公助の
順番を守るべきだ。政治家が最も戒めるべき事は、地域や業界、個人の不安を勝手に判断し、
党利党略で嘘の不安感を煽り金をつぎ込むことだ。得体の知れぬ不安感が増々あふれ蔓延する
社会では、本質を弁えぬ政治家が、名誉欲という私利私欲に走り政治をもてあそぶ事は、
厳に戒めなければならない。戦前のような群集心理によって社会は崩壊する?如何なものか。
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仙谷議員の問題 [社会]

10日付で出した「民間人による政権批判発言のある集会を禁止する防衛省事務次官通達」
に関して、11/18にそれが一般公務員にも適用される内容を含んでいるという指摘が、
世耕弘成氏(自民)からなされた。その質問を受けて仙谷官房長官は、例の「暴力装置」
という用語を使って、戦前の日本軍と同列に見て、文民統制のために行った‘通達’であり
一般公務員とは別だと説明していた。

この発言は、2つの問題を孕んでいる。
問題1> まず、仙谷氏は、世耕議員の問題意識に対して全く答えていない。
通達を出した側が、その適用範囲をどう考えたかではなく、法律の施行は一人歩きすると
いう危険性を考えた時、一般公務員にも波及し、引いては日本国民全体に言論統制の圧力が
かかる問題をどう考えるか?促しているのだ。即ちそんな危険な通達は出すべきではない、
という主張なのである。
戦前の「治安維持法」(国民の自由を奪った歴史上悪名高い法律)は、善意に解釈すれば
国民にとり良い面を沢山持っている。しかし権力者の邪悪な意思を通そうとする時には、
国民の自由を束縛してしまうのだ。左翼はその被害者だった。今度は加害者になりたい?

問題2> 仙谷氏は、戦前の日本軍の過ちについて間違った解釈をしている。
戦前の日本軍が文民による制御が効かなかったのは、天皇の統帥権のもとに軍隊があった
からである。軍隊は元々、文民すなわち政府・裁判所・国会とは独立していたからである。
そういう構造的欠陥のために、文民統制が効かなかっただけではない。その様な構造だから
軍隊が組織ぐるみで孤立化し、情報が偏ってしまった事が、彼らの行動を誤らせた。

頭脳明晰な仙谷氏が、何故、こんなに簡単な歴史解釈に大きな間違いを起こすのか?
民主党と民主党政府を、青少年の“大人の火遊び”に見立てると分かりやすい。
大人になっていないために、セックスなどに夢中になって、何も見えなくなるように
民主党と民主党政府は、権力に酔いしれて、何も見えず、何も考えられないのでは?
世耕議員の質問最中に、野次で森裕子(民主党)は筆頭幹事なのに、と注意されていた。
「言論の自由」を守る側の発言に対して、質問者に注意されるほど野次をとばすとは!
参議院は「良識の府」というが、“や”の字、いや丸暴? 未成熟議員が此処にもいた。
民主は国・国民を守るのではなく党利党略しかない事がいよいよ明確に。如何なものか
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「てっぱん」8週・絆の再構築 [物語]

先週から今週にかけての「てっぱん」の展開は、強引に開かずの間をこじ開けて、あかりに
お好み焼き屋をやらせるための、回りくどい説明だと思いたくなる不味い筋の運び方だった。
一杯、色んなものを書き込みすぎた絵のように、省略の美、余白の美しさに欠けている?
しかし人生も、キチンと構成された絵のように綺麗には仕上がらない。作者は人の生き方を
示したいのかもしれない。そういう観点からの今週の「てっぱん」では、家族の絆を鉄板の
溶接に譬えた話が面白かった。冬美(ともさかりえ)が故郷から戻ってきて、予想通りに
店を止めることを発表した時点で、あかり(瀧本美織)が店をやりたいと言い出した。

父・錠(遠藤憲一)に、「店をやるのは不安一杯(苦労することを予想)。でも尾道の家族と
大阪の家族・初音(富司純子)の両方を忘れないようにする為のもの」と思いを伝える。
父・錠は、それを溶接に譬えて、「熱うて気が抜けん骨の折れる仕事じゃ。」
「ほじゃのに、お前はわしらのことをそうせずにはおれんのじゃろう」と、表現した。
その様な苦労は、客観的にみれば、亡き母・千春や祖母の初音が作り出したものである。
しかし、それを恨んでみても決して人生を好転させることはできない。
恨みや憎しみからは幸運は生れず、不幸ばかりが生れてくるだろう。

私は、あかりが、この店を開くことにこだわるのは、自分の居場所を作るためであると思う。
あかりにとり、尾道の家族はなくてはならない大切な家族であるが、自分が養子である事を
知った以上は甘えているわけにも行かないし、知らなかった以前との断絶を日常的な演技で
誤魔化すことも出来ない。また初音のところに下宿して、アルバイトしているのでは将来の
展望がない。初音が千春を女の細腕で育てるために必死でやってきた「お店」。結局は
母と子が、こころの行き違いで、かわいい子どもであり孫であるあかりを他人の手で育てる
運命となった「お店」。母や祖母の汗と涙の沁みこんだ「お店」をやる事が、母や祖母の
思いを理解し、近づき、家族として絆を深めてゆく、かけがえのない道だと思ったからだ。
この「お店」をやりぬく事が一人前になること。初音の心を溶かせて、千春との家族の絆を
再構築すること。尾道の家族との絆の再構築にも最適だと信じるからだと思う。

「てっぱん」という物語は、あかりの成長物語、家族の生き方、家族のつくりかた、など
様々な見方があると思う。その中でも、「家族の絆の再構築」という見方は、家族の崩壊が
叫ばれて久しい現代に相応しい見方ではないだろうか?如何なものか。
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国会中継こぼれ話'10.11.19 [社会]

散歩から帰宅してすぐ国会中継を見たら、小野次郎(みんなの党)議員が質問に立って、
尖閣漁船衝突への対応に関連して、官邸の地下にある危機管理センターを問題にしていた。
詳細は省略するが、小野議員が主張しているポイントは、尖閣漁船衝突事件への対応が
俊敏性を欠いており、政府の危機管理能力が無い、ということである。首相官邸には
大変立派な危機管理センターがあり、映像なども即座に送れる最新情報システムを備えて
いるという。然るに菅首相は尖閣漁船衝突映像に関して、事件後、長い間、私は見ていない
の一点張りだった。このマンガチックな話は「宝の持ち腐れ」という言葉がピタリである。
仙谷官房長官は、小野議員の質問にヌラリクラリの牛歩戦法で、最後は記者会見に逃げた。

この問題で、私が思い出すのは、日本人の情報システム活用の問題点である。
情報システム活用は、そのシステムにかかわる全体の利益を追求するものである。処が
日本人は全体を考えないで、派閥、部門、個人の利益を優先するから活用できないのだ。
首相官邸の危機管理情報システムは、日本全体の利益を追求するためのものである。
しかし、菅首相や仙谷官房長官は、党利党略、あるいは支援してくれる企業・団体の事
しか考えない。だから危機管理情報システムを使えないし、使う必要がない。日本国に
大きな危機が発生したらどうなるのか?全く予想できない。結局また戦前の二の前か?

昨日、民間人による政権批判発言を封殺する次官通達関連質問で自民党・丸川珠代議員が
通達の元ネタについて、北沢防衛大臣とやり取りする中で、気になる点があった。
それは民主党・松崎哲久衆院議員が今年7月、航空自衛隊入間基地で行われた納涼祭で
空自側の規則通りの対応に不満を抱き、隊員に「おれをだれだと思っている」と“恫喝”
したという話だった。それで、その内容をインターネットで調べてみた。(下記参照)
 新聞記事・「俺を誰だと思っている」
内容の真偽の程は定かではないが、「納涼祭でのトラブルも遠因になり、異例の通達に
つながったのでは」(防衛省幹部)との見方も出ているという。こういう噂が飛び出すと
いうのは、自衛隊員が民主党に良い印象を持っていない事は明らかだと思う。

尖閣漁船衝突映像流出問題もそうだが、入間基地内での航空祭における民間人演説の対応
あるいは、松崎哲久衆院議員の自衛隊員への対応にしても、あまりにも大人げがない。
民主党は、精神的に未成熟としか言い様がないのではなかろうか? 如何なものか。
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ハチャメチャ民主党政府 [社会]

今日の国会中継は半端な番組など足元にも及ばぬ面白さ。いや面白がってはいけない?
柳田法務大臣が11/14に選挙区の広島で開いた国政報告会での発言要旨は、TVでも流され
新聞にも詳しく出ていたから、詳しくは書かないが、本日も自民党の世耕弘成氏が厳しく
糾弾し、菅首相に罷免を迫ったが、受け入れられないため、問責決議案提出すると言う。
まあ見ていられないお粗末さ?日本人には本音と建て前がある。政治家にもあるだろう。
しかし日本人は、どういう訳か、従来から政治家には本音と建て前の一致を要求するのが常。
75代首相・宇野宗佑氏は、女性の指三本問題で、たった二ヶ月チョッとで辞任した。
柳田大臣の発言は、余りにも日本的常識を超えている。鳩山前首相同様、火星人なのか?

防衛省が10日付で出した、民間人による政権批判発言を封殺する事務次官通達について
参院予算委員会で、世耕弘成氏(自民)の質問に対する答弁で、仙谷由人官房長官は、
「暴力装置でもある自衛隊、ある種の軍事組織だから特段の政治的中立性を確保しなければ
ならない」と発言した。これも厳しく糾弾され、発言を撤回し、謝罪した。
また、その関連質問で自民党の丸川珠代氏も、自衛隊の最高司令官である菅首相の陳謝を
引き出した。更に、仙谷氏に注意することまで、約束させた。

防衛省の通達問題は、映像流出問題をキッカケに民主主義とは全く反対の「言論統制」を
図ろうとしている。いわば、自衛隊や警察、海上保安庁などと民間との接触を制約して、
彼らをつんぼ桟敷に置こうと言う考え方である。これが「文民統制」だと言うのだろうか?
それは全く正反対であろう。戦前の帝国軍隊・軍人はそういう視野の狭い偏った環境だから
あのような無茶苦茶な暴走をしたのではないのか?一体、民主党は何を考えているのか?

また、かつて自衛隊を違憲と批判する立場から使用されてきた経緯がある「暴力装置」の
表現を現政府が用いるというのは、政府は‘全共闘’です、というに等しい。現代日本は
未熟な学生運動レベルから抜け出ない未成熟な人達が政権担当している事は明白になった。
明治維新とは時代が違う。世界はズッと成熟しているのである。幼稚ではまた戦前と同様
泥沼にはまり、大変な悲劇の淵に立たされることだろう。普天間問題でゆれるだけで、
尖閣問題、北方領土など様々な国難が押し寄せている。そんな中、映像流出問題において
自分達の判断がますます国難を助長している非を悟る事もなく、反対に「言論封殺」とは?
まさに「玉砕型外交」で、失言を繰返す「有言」の「民主主義逆行」内閣?如何なものか。
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一色正春・公益通報の新しい形 [社会]

尖閣諸島沖中国漁船衝突映像を流出させた一色正春・海上保安官のコメントが、今朝刊に
掲載されていた。要点だけを再録しておく。
“・・・前略・・・、事件を起こしたのは、政治的主張や私利私欲に基づくものではありません。
ただ広く一人でも多くの人に遠く離れた日本の海で起こっている出来事をみてもらい、
一人ひとりが考え判断し、そして行動してほしかっただけです。私は、今回の行動が
正しいと信じておりますが、半面、公務員のルールとして許されないことだったと反省
もしております。・・・後略・・・”

従来の公益通報(告発)は公益の為に限定的組織内不正を通報し糾すことが狙いだった。
だが今回の映像流出による通報の狙いは、限定的な組織の問題ではない。この通報は、
本人が、「映像を国民に知ってもらうことが公益につながる正義」と信じて行動した。
本人は政治的主張ではないというが、政権を担う政府・与党の映像隠蔽という強権発動に
明らかに‘No’ということを行動で示した訳である。
従来の公益通報(告発)者は公益通報者保護法で守られる事になっている。しかし今回は
上述の様に国家権力に対抗している訳で、反逆者の汚名を着せることさえ可能だろう。

私は、今回の一色氏の行動に対してある種の好感を持っている理由を書いておきたい。
まだ私が高校生の頃(昭和30年代前半)、フランキー堺の「私は貝になりたい」という
TVドラマがあった。上官の命令で敵の捕虜を処刑したのに、処刑実行者として裁かれる
話である。東京裁判の批判だったかもしれないが、民主教育を受けて多感だった私は
「国家権力者にでも立向うべき時には立たねばならぬ。」という風に学んだのである。
現在の政府或いは与党の対応が、昨日のブログでも取上げたが、余りにもお粗末過ぎる。
戦前の風土が今も残っているのではないか?日本軍の様に権力を嵩にゴリ押しに押す。

日本人は優しい。故に権力者は自分の好きな様に社会をかき回す。それを野放しにすると
権力を嵩にゴリゴリ押して、いつの間にか、また「私は貝になりたい」という人々を
沢山生み出してしまうのではないのか?
現代は戦前の様な全体主義社会ではなく民主主義社会のはずなのに、一色氏のささやかな
抵抗に、政府は狭い了見で度量もなく、国家権力の横暴を非難する言論も至って少ない。
国民は、「判官びいき」という弱者を応援する伝統の美徳までなくした?如何なものか。
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