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TV小説「てっぱん」6週 [物語]

今週の「てっぱん」は、「家族のつくりかた」という題であり、家族のつくりかた、生き方
という観点から、既に二度も取上げているので、今日は少し違った観点から取上げたい。
今日の観点は、「人間の変容(成長、改心、認識等)」ということである。人間の変容には
肉体的・外見的と、内面的・心理的なものがあるが、ここで取上げるのは心理面である。
夏休み、長兄:欽也(遠藤要)に誘われて尾道に合宿にいって、大阪の下宿に帰宅した
駅伝君・滝沢薫(長田成哉)が、村上家を“暑苦しい家族”という表現で褒めていた。
村上家は、家族の生き方とその心理的変容から「家族のつくりかた」を学ぶ好事例である。

あかりの母・真知子(安田成美)が、家族(子どもら)について語った時の言葉
“苦労のないんが幸せじゃろうか?・・・中略・・・子ども達は自分からしんどい道を選んでいる”
というのは、久太(柳沢慎吾)の“わしは、加奈に苦労させとうない”というのと、
心理的次元が違う。どちらが正しいか?等という事ではない。
二人には、“苦労”に関する認識に、大きな違いがあるのではなかろうか。

もし真知子が他人の子どもを育てる事を“苦労”と思うなら、あかりを育てなかっただろう。
あかり(瀧本美織)を育てる事によろこびを見出したから育てた。あかりを育てるキッカケと
なったのは、あかりの父・錠(遠藤憲一)が赤ン坊のあかりを抱いた時の「可愛いのう!」の
一言だったと、真知子は言っていた。錠と真知子は互いを信じあい、共にあかりを育てる中で
貴重な経験を積んだ。錠の“子どもの力になれるんは外の誰かではなく家族!” という
家族の存在も、世間の“苦労”を乗り越えてなされる「人間の変容」を助ける。あかりと共に
村上鉄工所の家族全員が、苦労というものの幅広い意味を学んだのだと思う。錠の言った
「子どもの力になる」というのは、助けられた人だけではなく、助けた人にも、大きな力と
なって返ってくる。そういう貴重な体験を他人に譲るのは勿体ないという発想が大切では?

今週のクライマックスでは、あかりが「開かずの間」の真の意味を読み解いた。
「開かずの間」は、子ども(千春)が去った悲しみのためではなく、初音(富司純子)が
千春を育てた母親の時間、思い出を大切に守るためだったのである。しかし既に千春の死
を知り、新しい孫のことも知った以上、再び歩き出さねばならぬ! その転換が難しい。
ともあれ、個人と家族の心理的変容という点から「家族のつくりかた」を読み解いた。
如何なものか。
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