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生き様と道徳 [希望]

昼食時、日テレ「おもいっきりDON!」の「今日はDONな日?」で
故・横井庄一さん(1915-1997)がグァム島で発見された日だと紹介していた。
今から39年前の昭和47年(1972)の今日である。

横井さんの生き様は、私たち日本人にとっても、また様々な国の人々にとっても色々考えさせ
られる出来事だったと思う。しかし当時、私はあまり深く考えなかった。そこで改めて考えた。
横井さんは、当時の「生きて虜囚の辱めを受けず」といった軍事教育を受けて出征した。従って
米軍の投降の呼びかけにも応じず、会いたかった母親にも会えなかった。自分の人生の最も充実
した時間のはずの26歳~57歳の31年間を戦争とジャングルでの孤独な逃避生活で過ごした。
そういったマイナス面だけを挙げれば横井さんは、為政者のご都合主義に踊らされた?

しかしジャングルでの生活、それも戦争状態としての逃避生活を28年間継続すると言う事は、
他者からの強制だけではできないのでは?受けた教育を自分なりに消化した結果ではないか?
彼は、常に積極的に前向きに生きていた?そして、生きる楽しさを自ら作り出す工夫をした?
そのことは、どんな時代、どんな社会に生きる人々にとっても、大切な事ではないか?
だから、彼は、困難な時代、困難な環境の中で、時代の流れ、為政者のご都合主義にも負けず
己の生き方を貫き通した稀有の人、非凡な人、真の浪漫主義道徳の人だったのだ。

以前のブログで夏目漱石の「文芸と道徳」という講演における浪漫主義道徳と自然主義道徳の話
を書いたが、漱石の意図は当時の狭量な理想主義者への批判で、その世間の風潮に便乗する
為政者、既得権者のご都合主義に踊らされるな!という警告だった。決して浪漫主義道徳を
批判したものではない。真の浪漫主義道徳とは、横井さんのような立派な道徳なのである。
漱石の警告は無視され、不幸な戦争に突入してしまった。しかしこの警告は現代にも通用する。

現代の自己中心的な行動をとる人々は「狭量な理想主義者」、裏を返せば、似非浪漫主義道徳者
であり、今の日本は、そういう風潮に便乗する為政者、既得権者のご都合主義に踊らされている
とみることができる。
現代は自然主義道徳の時代?横井さんの様な立派な根性で如何なる苦難にもめげず生き延び
られるだろうか?そういうことを考えれば、現代の人々は民主党を含む「狭量な理想主義者」
や、その便乗者のご都合主義をしっかりと判別するべきではないだろうか?如何なものか。
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