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教育の重要性-④ [社会]

教育は、言語、情報を読み解き、活動に活かす方法論を学ぶもの。言語、情報の読み解き方、
活かし方が不味いと、洗脳されたり、利用されたり、騙されたりする。だから大切だ。
私の「2010-07-21言語による疎外[歴史]」というブログで、言語の発展が、「社会化」、
「共同化」から「個性化」、「自立化」へと人間を導くと書いた。そして「個性化」、「自立化」
と共に、同時並行的に「孤立化」、「疎外化」も起こることをも指摘した。
“言語”という代物に翻弄されないために、「教育」・「学習」があると言えるのではないか?
英語は理性的だが、日本語は感情的などと唱える人も居る。言語の表現は人間によるのでは?
人間として正統な教育を受けないで、現代の「うそ」と「本当」の入り混じった情報化社会に
乗り出すと、海図のない航海に出たように、情報の大波に翻弄されて、難破してしまう。

今日、私のブログにnice!をくれたmizukami-takuyaブログ(2011-01-30国旗国歌:訴訟)
http://mizukami-art.blog.so-net.ne.jp/ 
を訪問した。そうしたら、「尊敬すべき先生方が、自分の国の国歌を歌わなかったり、国旗に礼を
しなかったりする姿を見たらどうでしょうか?・・・中略・・・是非、一般人としての意見をお聞かせ
ください。」という要望があった。そこでコメントしようと書き始めたら、意外と長くなってしまうので
自分のブログで、一般人としての意見を述べたいと思う。

国旗国歌問題は、保守的社会習慣と個人的思想・信条の対立という構造の如く見せかけます。
個人的思想・信条の問題は、他人の意見を参考にする場合、その人物を無闇に信用せず、
様々な角度から検討して、参考に値するか否か?を識別する必要があります。
これは丁度、他人との会話において、世間話なら余り他人を斟酌せず、話を聞いても良いが、
お金の支払いに際しては、詐欺師か否かを斟酌するのと同じ要領です。

現代は金儲け情報だけを大切にし思想・信条の情報を毛嫌いする傾向がある。それが政治家など
思想・信条イカサマ師の格好の餌食となって、結局「孤立化」、「疎外化」につながる。
拝金主義は、「孤立化」、「疎外化」の回避策として益々盛んであるが、拝金主義は、「孤立化」、
「疎外化」を深刻化させるだけではなかろうか?様々なイカサマ思想・信条を見抜く力をつける事
は、少々の小金持ちになるよりもズッと精神的に豊かな人生が送れる?
いかがわしい思想・信条の詐欺師が、何処に潜んでいるか分ったものではない。
引っかからないための細心の注意が必要である! 如何なものか。
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