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浪漫主義と民主党 [社会]

今日は成人の日と言うが、当地では前日に式を行っており静かなものである。
さて、文芸春秋2月特別号の西岡武夫参議院議長の「菅・仙谷には国を任せられない」を読んだ
感想を書き留めておきたいと思う。まず、西岡氏の指摘した点を簡潔にまとめておこう。
1.仙谷官房長官の国会答弁の問題 (丸山和也議員の電話での内容を曝露された時の対応、
  「自衛隊=暴力装置」発言、弁護士特有の法廷闘争のやり方<論点をそらす>など) 
2.諸島問題における検察の政治的判断(船長釈放にあたっての那覇地検・次席検事の
  「国民への影響と日中関係を考慮して」という会見内容)はあってはならないこと。
3.菅首相の思いつき発言・スタンドプレー(諫早湾干拓事業の潮受入れ開門、子ども手当
TPP<関税引下げは農業分野に限らず、保険、金融、不動産取引など広範囲に及ぶ>など)
4.各国は、食糧危機などを念頭に農地争奪戦を世界各地で繰り広げている。食糧問題を
  レアアース問題と対比させて、問題の重要性を認識していないと指摘している。
5.菅政権は、政策無策に止まらず、政治「哲学」すらないのではないか?
  (普天間基地移設問題、小沢問題、)
6.民主党は右から左まで抱え、政党の柱である綱領さえ作れない。与野党共に、行き詰って
  「大連立」などという野合は、あってはならない。

この記事を読んでいて、またも、夏目漱石の浪漫主義と自然主義の話が頭をよぎった。
浪漫主義文学とは、例えば偉人伝や、英雄譚、或いは「忠臣蔵」などもその1つだろう。
漱石は文芸と道徳の関係を説いた(明治44年<1911>の講演)中で、浪漫主義の道徳は
親や年長者、上司、支配者に都合のよい義務の分担関係であって過去のものであると語った。
100年前に漱石も気付いたが、漱石はマルクス的階級闘争には向かわなかった。それは、
若冲の<外界と内面>の観察の大切さを知っていたからである。哲学も浪漫主義時代は知らず
自然主義が勃興した近代以降の哲学は、外界から内面へと重心が移ってきている。

民主党、或いは他党で平成維新を声高に語っている人たちは、自分達は支配者の立場になって
上から目線で浪漫主義道徳を打ち壊し、民衆を解放してやろう!と考えているのだろうか?
しかし自らは、明治維新の元勲達と同様に、地位や名誉、名声を欲しがる浪漫主義道徳亡者?
漱石に倣って勲章辞退は如何? 兎も角、明治維新を金科玉条の様に言っている人たちは、
日本の国内問題、外交問題に関する観察眼がなさ過ぎるのではないか? そればかりではない。
人間<自己>の内面を見つめる目もないのでは?奥さんの目だけではダメ?いかがなものか
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