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旧友を偲ぶ [思い出]

我が家では、今日はこの冬1番の冷え込みだったが、幸い晴天で日中は暖かだった。
今日は鏡開きであるが、妻が孫のところに行っているので、面倒だから省略した。
さて、植村達男君が逝って、早一ヶ月近く経ったが、本を探していて彼の本が見つかった。
最も初期の頃の作品、「本のある風景」と「神戸の本棚」である。

前回、2010.12.24のブログ「旧友を悼む」で、本好きの彼ほどではないものの、私も同様だった
から彼の懐かしい作品にふれたかった。しかしいくら探しても出てこない。大体、本を探している
時に出てこない事が多いのである。今回探している本も出てこなかった。要は整理が悪い?

彼の著作の中でも、「本のある風景」と「神戸の本棚」は、私にとって、特別の思いがある。
入社以降数年で地方に転出、工場勤務を十数年経験した後、本社地区に戻ったのが昭和58年
(1983)、その年の関東地区同窓会で、彼の「本のある風景」を勧められた。その時の、彼の
親しみのある眼差しが思い出される。「生活の歓び」が、あの優しさを生み出すのだろうか?

野呂邦暢は、“「本のある風景」に寄せて”という文章の中で、「‘生きる’と言う言葉が、私はあまり
好きではない。・・・中略・・・‘生きる’ことには抒情もへったくれもありはしないが、生活には抒情が
ある。抒情とは人生の歓びである。」、と書いてある。小島直記も「出世を急がぬ男たち」の 「本の
ある風景」という本 という章で、「生きる叡智、そしてよろこびとは何かを、さりげなくわれわれの
胸にしみこませるものがある。」と書いている。彼の眼差しは生きる叡智、人生の歓びとは何か?
を見つめていたのだろう。そしてそこから吸収したものを創作の中で、或いは対人関係の中で
あらわし、さりげなく我々の心に届けてくれたのだろう。

「神戸の本棚」では、“港が見える丘”という懐メロの歌詞の場所は横浜ではなく、神戸だった?と
書いてあったという記憶が残っていた。今回、改めて確認したら、この歌の作詞家・東辰三とほぼ
同時期に両人の母校・神戸高商(現神戸大学)で在籍していた古林喜楽(元神戸大学学長)の言
として紹介していた。この本を読んだ当時の私は、まだ横浜に住んで数年、「港の見える丘公園」
を知って違和感を持っていたのでなるほど!と感心したものである。今は神戸と横浜どちらも
長いご縁ができた。元学長の名が「ふるいことやし きらくにいこう」と言っている?
“港が見える丘”は全国にある。あまり拘る話でもない?おきらくに! 如何なものか。
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