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続・NHK連ドラ「フェイク」① [物語]

今日は、二十四節気の1つ小寒、寒の入りである。心なしか風が冷たく感じた。
さて、NHK連続ドラマ「フェイク」第1回目の続編である。
久美(松本明子)は若冲の名前の由来に関する浦沢ゆう(財前直見)の説明を聞いて、“若冲は
本当に満ち足りていたのだろうか?”と反論した。その答えは、ドラマの中では出ていない。

そこで私は考えた。若冲の生涯を辿れば答えは見つかるのではないか?と。
伊藤若冲は画業修行と共に、写生の重要性に目覚め、リアリズムに徹し動植物の生態を描写し
見つめ続けた。だが彼は、写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」との評価も高かった。
若い頃から相国寺に参禅するなど禅に傾倒し、晩年、黄檗宗・石峰寺の近くに草庵を結んだ。
石峰寺の背後の山には、若冲が下絵を書いて石工に彫らせたと言う五百羅漢が点在している。

私は、そこ(五百羅漢のたたずまいの中)に立った時、まさに一個の宇宙を感じた。
写生や奇想から解脱した若冲の自由な精神が輝いてみえた。若冲の名前の由来、「大盈若沖」
“本当に満ち足りている者はむなしいようにみえる”と、ぴたり整合している。85年の生涯を全う
した若冲は、実に自然体で「大盈若沖」になり、“むなしきがごとき”満ち足りた生涯であった
というのが、私の出した結論である。

劇中人物の久美(松本明子)は、若冲を館長(宅麻伸)に見立てたから、満ちたりていないと
思ったのだろう。館長にはライバルがいる。天才的目利き・浦沢右(ゆう)の上司・大学教授
(寺田農)との競争意識が、いつしかひた向きな情熱を、我欲に変質させたのだろう。
久美と館長は、我欲に囚われたために贋作を掴んでしまい、罪を犯してしまった?
(写真は、石峰寺の墓石に刻まれた「斗米庵若冲居士」の一部)DSC08671若冲2.jpg
浦沢右は若冲の名前の由来をもう1つ、「良賈は深く蔵してむなしき
がごとし」を引用して説明していた。出展はしらない。“良賈”とは
素晴らしいお宝だから、人に知られないように深く隠し持っている。
だから無いのと同じにみえるとの意。これも若冲の人物を言い表して
いるのではなかろうか?在世当時は有名だったが、その後の評価は
落ちていた若冲は、いま大きく見直されている。深く蔵した本物の
人間的な魅力は、時空を超えて顕れる? 如何なものか。
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