学校の勉強は不要? [閑話]
昨日8/7は立秋だったが、当地の気象台データによると、やはり真夏日・熱帯夜だった。
木陰の風は結構爽やかで、蝉の声も、ツクツク法師が心なしか多くなった様な気もする。
路上の蝉の行き倒れは相変わらず。今日も10匹近く見かけた。油蝉2匹、他はクマゼミ。
私の様に70過ぎの老人は、日頃から「生と死」の問題を考えているから、蝉の死もまた
「行雲流水」。木陰を、より分けながらの日中散歩で、先日の孫の問題を考えていた。
孫は、「学校の勉強は役に立たない。だから必要ない」と、誠に論理明快に言った。
まだローティーンも良い所!私の世代では決して言えなかったし、子どもの世代でも
祖父にこういう風にはなかなか言えなかった?だから“小生意気”と言った。
昔野風僧(のふうぞ)という歌が流行した。昭和60年(1985) 伊奈二郎作詞山本寛之作曲
唄:河島英五で「お前が二十歳になったら酒場で、ふたりで飲みたいものだ」という
歌いだしだった。サビの部分は「いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい いいか男は
大きな夢を持て 野風僧 野風僧 男は夢を持て」という歌詞を繰返す。
息子がまだ十代だった頃に、酒によって、よく歌ったものである。
私は、この歌を思い出しながら、孫を“小生意気”と言った。私が元気で孫の二十歳を
迎えられるか?分からないが、もし元気なら、この歌を唄って祝ってやりたい。しかし
冷静になって考えると、時代は大きく変っている事にも気付くべきなのである。即ち
現代の学校制度や、学習内容が多様な要求に適応できていない問題がある。
問題の根本は、教育の基本理念(改正教育基本法・義務教育)における深い考察もなく
法律の条文だけを変えて、旧態依然たる教育をして事足れりとする所にあると考える。
紙幅の関係で結論だけ書くが、現代の義務教育が、10才の子どもさえ不要だと唱える程
教育内容の要件を満たさず、昔の寺子屋と同様では可笑しい?現代の公立小中高は、
自立的に生きる基礎も、社会に必要とされる基本的資質も不足した人間を大量生産?
変化の激しい現代は、既存の社会を前提とした基本的資質ではない。考える力を養い
問題を見つけ出し、それを解決する資質が求められる。公立が、その要件を適切に
設定できないなら、「商業的塾」の競争原理に委ねるべきか?私の孫は、鋭い感覚で
この様な問題を見抜き、自ら対策を考えようとしている。横並びで大学に行くだけが
能ではあるまい。現代であるからこそ、多様な生き方が求められる。如何なものか
木陰の風は結構爽やかで、蝉の声も、ツクツク法師が心なしか多くなった様な気もする。
路上の蝉の行き倒れは相変わらず。今日も10匹近く見かけた。油蝉2匹、他はクマゼミ。
私の様に70過ぎの老人は、日頃から「生と死」の問題を考えているから、蝉の死もまた
「行雲流水」。木陰を、より分けながらの日中散歩で、先日の孫の問題を考えていた。
孫は、「学校の勉強は役に立たない。だから必要ない」と、誠に論理明快に言った。
まだローティーンも良い所!私の世代では決して言えなかったし、子どもの世代でも
祖父にこういう風にはなかなか言えなかった?だから“小生意気”と言った。
昔野風僧(のふうぞ)という歌が流行した。昭和60年(1985) 伊奈二郎作詞山本寛之作曲
唄:河島英五で「お前が二十歳になったら酒場で、ふたりで飲みたいものだ」という
歌いだしだった。サビの部分は「いいか男は 生意気ぐらいが丁度いい いいか男は
大きな夢を持て 野風僧 野風僧 男は夢を持て」という歌詞を繰返す。
息子がまだ十代だった頃に、酒によって、よく歌ったものである。
私は、この歌を思い出しながら、孫を“小生意気”と言った。私が元気で孫の二十歳を
迎えられるか?分からないが、もし元気なら、この歌を唄って祝ってやりたい。しかし
冷静になって考えると、時代は大きく変っている事にも気付くべきなのである。即ち
現代の学校制度や、学習内容が多様な要求に適応できていない問題がある。
問題の根本は、教育の基本理念(改正教育基本法・義務教育)における深い考察もなく
法律の条文だけを変えて、旧態依然たる教育をして事足れりとする所にあると考える。
紙幅の関係で結論だけ書くが、現代の義務教育が、10才の子どもさえ不要だと唱える程
教育内容の要件を満たさず、昔の寺子屋と同様では可笑しい?現代の公立小中高は、
自立的に生きる基礎も、社会に必要とされる基本的資質も不足した人間を大量生産?
変化の激しい現代は、既存の社会を前提とした基本的資質ではない。考える力を養い
問題を見つけ出し、それを解決する資質が求められる。公立が、その要件を適切に
設定できないなら、「商業的塾」の競争原理に委ねるべきか?私の孫は、鋭い感覚で
この様な問題を見抜き、自ら対策を考えようとしている。横並びで大学に行くだけが
能ではあるまい。現代であるからこそ、多様な生き方が求められる。如何なものか