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子ども環境と子ども天国・地獄 [閑話]

昨日のブログで、「国際子ども図書館」の事を書いたが、その後で、子どもを取巻く
環境の変化という事について、少し情報を集めてみた。そこで気付いた事は、
子どもという概念が、長い歴史の中で普遍的になっている証拠はなにもないという事。
近年では、「子ども」という区別が、好むと好まざるとにかかわらず、市場経済原理や
テレビなどの情報伝達技術の変化に伴って無くなって行く傾向にあるという。
元々、「子ども」という概念は、保護すべき対象として設定されたが、それは近代に
なってからであると、フランスの歴史家フィリップ・アリエスが、結論付けた。
これはアリエスが、中世の子どもの生活を丹念に調査して得たものであるという。

この事実からたまたま先日、マウリッツハイス美術館展に行って見た一幅の絵すなわち
ヤン・ステーン作「親に倣って子も歌う」を思い出した。
(「親に倣って子も歌う」の部分をクリックすると絵画を見ることができます)
絵画は、1668-1670年頃、当時のオランダで制作された風俗画(風刺画)である。
絵の題名を日本的に直訳すれば、「この親にしてこの子あり」となる。
子どもに煙草を吸わせている父親らしき人物は、作者自身の自画像らしい。この人物の
悪意のない満面の笑みからも、絵が表現したい事は、相当に深いのではなかろうか?

この絵画から直感的に感じた事は、最近私が課題としている「交感神経と副交感神経」の
バランスをとるための副交感神経の働きを強調しているのではないか?という事だった。
笑い、歌、飲酒、家族団欒、少し艶っぽい女性の仕草、鳥の巣箱の隠喩であるセックス等
絵画に描き込んでいるものは、副交感神経の働きを高めるものばかりである。
(煙草も少量だと副交感神経の働きを高める効果があるという説もある)

この絵画から見ても、中世における「子ども」の概念が、近代から見てかなり希薄で
あり、少なくとも、近代の概念と異なることは明らかだと思う。そこで私は大胆に
当時のオランダと現代の日本或いは先進国は、ある意味で共通する所があるのでは?
という仮説を立てた。当時のオランダは、世界貿易で発展していた。社会の変遷も
急激ではなかったか?そういう点で、現代と共通しているのではないかと思った。
ヤン・ステーンが、茶化しながらも描いた風刺画には当時の社会の深い悩みがあった?
現代も、様々なストレスに苛まれ、かつ様々な知識教養によって縛られ、副交感神経
によるリラクゼーションが効かなくて、昔日のオランダよりも更に厳しいのでは?
子ども中心過ぎて親が健康を害したら本末転倒?子ども中心も程々に!如何なものか
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夏の東京'12 [閑話]

家族に関する野暮用を理由に、他の用件も兼ねて、4日間ばかり東京に出かけた。
東京の夏(立秋は過ぎているが酷残暑)に辟易してしまった。昨年7月下旬も行ったが
記憶力減退か?或いは、体力減退か?こちらに比べ、嫌な暑さを感じた。
我家も相変わらず暑いが、外出するとさわやかな風があり、それなりに涼味も感じるが
東京は、風と言っても熱風というにふさわしい。(市街地だけだと思うが)
昨日倉敷に戻って、夕方の涼風にホッとしながらバスを待っていたが、バスの廃棄ガスに
当った瞬間、「あ~そうだ!東京の風はこれと同じだった!」と思った。

その暑さにも関らず、しっかり散歩した。25-28の4日間で5万歩強だった。
NEC_0113昼のスカイT.JPGNEC_0112国際子ども図書館外観.JPG散歩中に撮った写真を掲載する。最初の写真は
珍しくもないスカイツリー(ST)。ST完成後初めて
の上京だから仕方なかろう。上野の東京文化財
研究所と寛永寺霊園の間の道路から撮った。
人も車も少ない通りである。其処に行くまでの
道路際に「国際子ども図書館」があった。横長の写真がその外観。1906年に
建設された帝国図書館の建物を再生・利用している。内外の児童書と
関連資料に関する図書館サービスを国際的連携の基に行う。2000年1月に、
国立国会図書館の支部図書館として設立され、2002年5月に全面開館したという。

私は、2002年5月末に当地に引っ込んだから、存在を知らず初めて出会った。
本好きの私を知っていて、神様が導いてくれたような気がする。寛永寺霊園に用が
なければ、滅多に通る道ではないと思う。
「国際子ども図書館」は、恐らく、諸外国からの要請もあって創られたのでは?
「東日本大震災」で示された日本人の助け合いの精神、道徳意識の素晴らしさなど、
様々な日本人における優秀さを学ぶ為に、諸外国の児童文学研究熱が高い?
その様な研究サポートも、大きな目的ではないかと思う。

日本自身としてのニーズは、子どもの本離れ、活字離れに対する危機感だろう。
確かな事は、日本が「東日本大震災」まで素晴らしかったからと言って、10年後
素晴らしさを維持している保障は何もないということである。今迄の日本人の
素晴らしさが、現代のゲームや政治、マスコミ、芸能界情報等から生れる事はない。
日本の昔話や児童文学が、素晴らしい人を育てたというなら、それは、穢れのない
幼い心に何か、深い感動と共に、刻み込まれた内容がよかったからだと思う。
幼心に最も大切な事は、周囲の人々の暖かく深い関心。金ではない。如何なものか
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夏・父子ゴルフ5年目 [大家族]

今日は、Shinとのゴルフを楽しんできた。
私は、ゴルフは「自分との戦い」と位置づけ、修業のつもりでやっているが、
今日は、文字通り「楽しんで」やれた。その理由は、また後で書き残したい。
2008年から昨年までは、「お盆・父子ゴルフ」という題で書いてきた。
(2009年だけは、「盆休'09」の中で取り上げられている。)
今年は、Shinの都合で、お盆には来られなかったので、「夏・父子ゴルフ」とし
5年目の節目の年なので、“5年目”を付加えた。

さて、今年は例年とコースを変えて、海沿いではなく山岳コースにした。これは、
全く私の都合で、約二ヶ月前に無茶苦茶なスコアを叩き、そのリベンジで設定した。

今日は何となく幸先が良いと思った事がある。
Shinの車で行ったのだが、ゴルフ場の車寄せで、ゴルフバッグなどを係りの人に
渡した後、年配の係りの人から、ナンバープレートのことを聞かれた。最初は
何故、他県のナンバーか?という質問だったが、最後は「あんな立派な息子さんが
居られて幸せですな~!父子でゴルフするなんて最高でしょう。」と、褒め言葉。
その通りであると、相槌をしながら、こうして元気にやれる事に心から感謝した。

さて、今日の父子ゴルフの展開を簡単にまとめておこう。
Shinの腕は昨年に比べ長足の進歩をしている事が、最初の数ホールで明らかになった。
ティーショット、フェアウエイウッド、アイアンの飛距離など、その確実性は抜群。
それに気おされしたのか?前半は、今ひとつ波に乗れずに、ズルズルと終わった。
Shinの感想は、「前半で親父は勝負相手にならないと思った。」というものだった。
私も、同じ感想だった。従って昼食の間に私は、「惨めな姿」を曝さないように
「自分のゴルフ」に徹そうと、改めて心に誓った。それが良かったのか?或いは
今回は、比較的練習をしたからか、TVの「ゴルフレッスン」番組を見たお陰か?
何となく、良いスイングのイメージが戻ってきた。Shinは、昼食後の後半、上がり
4ホールが悪かった。それなりの理由があるのだろうが、それは今後の課題だろう。

私は、上がってみれば、二ヶ月前の成績に比較し、前半で9つ、後半で5つスコアを
改善。前回の成績が悪すぎたとはいえ、リベンジを果たす事ができた。「楽しんで」
やれた理由は、心優しい息子同伴プレーである事に尽きるだろう。如何なものか
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梅ちゃん_21週・芳子の家出 [物語]

芳子(南果歩)が家出したが、結局、行くあてもなく松子(ミムラ)の家に寄寓。
正枝(倍賞美津子)は、ボーリングをしてぎっくり腰になったという。そこで下村家の
家事は、居候夫婦の梅子(堀北真希)が、担う事になった。買ってきた惣菜に文句を
付けたり、手作りだと支度が遅いと言って、店屋物をとったり、建造(高橋克実)は、
芳子の家出に関してまったく反省がない。信郎(松坂桃李)も、建造の尻馬にのって、
梅子に対する思いやりを欠き、失敗して謝っていた。
芳子自身が、家出をした理由をわからないという。突然、虚しくなったという事である。
昭和32年(1957)当時、子育て終了症候群という様な概念があったかどうか?
ネットでの検索によると、1966年にそういううつ病が発見されたという記事があった。
もし、それが本当だとすると、芳子は先取りしているのではないだろうか?

その理由を考えてみよう。子育て終了を子育てから「開放された」、即ち、一仕事終えた
という達成感がある人には子育て終了症候群は起らないだろう。そういう開放感、達成感を
味わえない環境とは?1つには姑・正枝の存在があるだろう。正枝は、建造の養母であり
経済的主導権さえ握っていると思われる。交際も広く、気儘に生活をエンジョイしている。
もう1つは、建造の存在である。昔かたぎで、古い家族制度の家長として頑固に君臨。
芳子との協調性というか、協力の気持がないように思われる。梅子の意見では、建造の
様な男とは、最初から結婚しなかったろう、と言い切っていた。
主導権をもった姑がいる上に、旦那が頑固な昔かたぎでは、芳子が子育て終了症候群に
なるのは、至極、御もっともな気がする。そこで、何かうまい解決策はあるのだろうか?
今週のお題は「魔法の言葉」。恐らく、建造が何とか歩み寄って、「ちちんぷいぷい」と
「魔法の言葉」をかけたら、あ~ら不思議!芳子は気分爽快になったとなるのでは?

だが、私は少し裏読みをした。芳子の家出の原因は、子育て終了症候群だけではない?
あの時代(昭和30年代前半)、家電なども普及しだし、革新勢力衰退・保守政権安定、
世の中は、皇太子ご成婚の祝賀ムードと共に、価値観も大きく変動して行った。
昔の主婦は、育児だけではなく、家事全般で、重要な役割を担う絶大な存在だった。
芳子は世の中の変化と共に、自分が苦労して支えてきた役割の衰退を予感したのでは?
しかし主婦の役割の衰退は、芳子の業績を損なうものではない。

それでは何が問題なのか?それは、環境に振り回されぬ個人の生き甲斐という問題では?
子どもや孫、姑や旦那にも左右されぬ自分の生き甲斐探しではなかったか?如何なものか
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正義と懐疑主義の間 [閑話]

先頃、マイケルサンデル教授の「正義」に関する話が話題になった。哲学という
お堅い哲学という学問領域の話題としては、異例のブームだった。それは、現代が
何事も相対的で、何が真実なのか?正義なのか?分からない?懐疑主義に陥っている
から、それに対する一種の反動だったのだろう。しかし出版業界などが仕掛けた、
この発作的・反動的活動の成果は、組織的に、何か見える形で有ったのだろうか?
何か成果が有ったとすれば、その議論に出会って、真剣に取組んだ人々の心の中に、
今後とも、継続的に取組む意思が芽生え、ジワジワと成長していく事だと思う。

話は、チョッと横道に逸れる。
昔の日本文化は多層的であった。支配階層はお堅い考え方を尊重しても、町人文化では
固い考え方は、昔から「野暮」と相場が決まっていた。「粋」を最も、尊重した。
欧米は、文化は「上流階級」の専売の様に言われ(少なくとも現代日本ではそう解釈?)
最近の日本もそれに追従しているかに見える。欧米にも中流・下流の文化はあったが
いつの間にか尊重されなくなった?日本も、それを追従している?正に「猿真似」?

私は、日本には、バブル崩壊前位までは、上流・中流・下流など多層文化が存在していた
と思う。バブル崩壊によって、多層文化を生きた人々が、急速に力を失って行ったために
多層文化も急速に衰えたと思う。そして、その頃から「平成維新」の声が大きくなった。

「平成維新」は、今現在も言われており、橋下某などがわめいている。「昭和維新」
(15年戦争の中での暴力クーデター)を振り返ってみれば非常にハッキリしているが、
国民が熱狂して、「気が狂った状態」、「現実を冷静に把握できない状況」である。
「平成維新」も正に、そういう状況に至りつつあるのではないか?

明治維新の後も昭和維新の後も、日本は再び多層文化に戻った。それは、日本人が
戦争という熱狂の中でも、多層文化を維持する価値観を捨てなかったからだ。
バブル崩壊後の日本は、多層文化を維持する価値観を見失い、欧米の「上流社会志向」、
「悪の過剰主義」を見習って恥じる気配もない。日本社会全体が、システムによって、
欧米的に人々を操作し、そして自己も巻込まれて操作される仕組みの中に沈没寸前?
社会全体が、懐疑主義という無責任な思想に流され、何かに熱狂して、狂気の世界を
望んでいるのではないか? この様な時にこそ人々は、「己に勝つ」必要があるのでは?
如何なものか
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個性と協調性 [閑話]

今日、イオンの中を歩いていたら、突然、女性の声が、耳に突き刺さった。
「今度は食べ放題だって?あんたは食べる事しか言わんね!」と、大変な剣幕だった。
見ると、話相手は、メタボタイプの十代前半?の男の子だった。時刻は午後二時前で
昼食を食べて間がないような時刻だった。最近、私は、メタボは万病の元という本を
読んでいたので、母親のイラツキが、理解できるような気がした。

丁度、今読んでいる本が、「悪い過剰」の社会問題をテーマにしているので、飽食という
「悪い過剰」の例を見たような気がした。今読んでいる本によると、生産技術の進歩は
「悪い過剰」でだけでなく、貧困や飢餓を無くす「良い過剰」にもなると指摘している。
しかし「悪い過剰」は、世界の一部の「上流生活」に憧れる庶民のストレス等から
派生した様々な悪習慣によって、再生産され、拡大・強化され、「良い過剰」は道遠し?

先日、モナコのヨットハーバーがTVで放映されていた。其処には世界各地から、大勢の
超資産家の超豪華ヨットを見物する観光客が、多数来ているという。そういう見物客に
インタビュしていて、見物客達は、沢山の超豪華ヨットを満足そうに見、語っていた。
ヨットというよりも、豪華客船に近い代物で、それらが沢山出入りしている様子は、景観
といえば、言えなくもないが、私に言わせれば「それが何ぼのもの?」と吐きたくなる。
こういうものを観光対象にするというのも、人に操作されやすい思考人間になっている?

私は、「個性」というのは、奇抜な服装や行動・態度などではなく、新聞・TVなどの
マスコミで、無責任なコマーシャル・評論家・作家等に操作されぬ確かな思考だと思う。
「協調性」や「和」というのは、そういった確かな思考を基本にして初めて意味がある。
若い人が、他人に操作されないように用心する態度を、「生意気」という。
そして、若者は、「生意気」ぐらいが丁度良いのである。

「健康志向」で、様々な活動テーマを掲げて、長期的に知恵を絞って継続することは、
社会との「協調性」を学びながら、「自分」というものを深く掘り下げる良い機会では?
品質管理活動が、従業員や顧客と協調しながら、経営者(そして従業員)が、真の企業の
目的、自己の目的を深く掘り下げるのと同調していると考えられる。社会も同じでは?
政治家と一般民衆と官僚が、社会の健全性を図りつつ、社会の真の目的や、民衆の目的を
明らかにするべきである。既に操作されており「悪い過剰」を追い求める政治家は
民衆によって排除されるべきだと思うが、民衆の健全性は大丈夫か?如何なものか
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ゴルフと個性?サッカーと和? [閑話]

今朝は早起きしてゴルフ練習に行って来た。父子夏のゴルフ対決5年目は4日後に
やる事になったので、そのための練習である。Shinは最早、勝負の相手ではない。
三年目で負けて、昨年は相手のミスに助けられて、何とか互角で済んでが、今年は
相手のレベルが相当上がっていると予想されるので、勝つ為の練習ではない。父
としての威厳に拘り、惨めな姿を曝したくない!という思いによる練習である。

宮里美香が米女子ゴルフツアーのセーフウェー・クラシック(開催地:米オレゴン州
ノースプレーンズのパンプキンリッジGC(パー72))で初優勝した。
最年少記録を重ねた天才少女・美香が、参戦4年目の米ツアーで念願の頂点に立った。
宮里藍も4年目で初勝利を挙げたが、当時24歳1カ月。美香は22歳10カ月で、日本人の
最年少記録である。因みに米女子ゴルフツアー最年少優勝記録(18歳9ヶ月)は
ポーラ・クリーマー(Paula Creamer, 1986年生 )が2005年5月に樹立した。

さて、ゴルフが上達するのは、個性的で独自の道を歩むタイプか?協調性がある和を
重んじるタイプか? と二元論的な質問をすると、何となく、「個性的」と思う。
サッカーは、なでしこの例でもわかるが、「和」が強調される。個人競技でも
オリンピックの水泳では、「和」によるチーム力が強調されていた。水泳は
リレー競技があり、完全な個人競技ではない。勿論、ゴルフでもチーム戦はある。

簡単に言ってしまえば、どんなスポーツでも、個性と協調性が要求されるだろう。
我々のようなど素人レベルでは、只管に個性を押し殺して「協調性」を発揮しないと
仲間に入れてもらえない。素人でも上手な人は「協調性」一辺倒でなくとも、仲間に
入れてもらえるのは、皆が、高い技術を教わりたい!盗みたい!と思うからである。

プロスポーツ選手やオリンピック選手などを観察していると、個人競技、団体競技に
関らず、沢山の支援者に支えられている事が分かる。これらの支援者との付き合いは
「協調性」一辺倒に近い形でやっていかなければならない時期や相手などもあるだろう。
上達の素晴らしいヒントや体力・気力の開発・発揮を手伝って貰う支援者もあるだろう。
練習や試合や支援者とのやり取りの中で、どれだけ多くの事を学び、自分のモノにして
ここ一番の勝負どころで実力発揮できるか?それだけは、その人しかできない事である。
その最後の最後でチームの「和」を信じるか?自分の力を信じるか?それはもう「個性」
や「協調性」等では表現できない非常に高度な精神レベルの話と思う。如何なものか
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人生のテーマ(4) [健康]

引続き白澤卓二著「ガンもボケも逃げ出す「人生のテーマ」の見つけ方」の感想。
今日は一応最後まで読み通した。つまみ読みの好きな私としては、珍現象というべきか?
第五章の表題は、“「人生のテーマ」を実現する食事法”。
健康に関する食事の基本的な事は知っているつもりだったが、良い事が書いてあった。
中年や若い人にも大切だと思うものも多かった。私が、良いと思った事を書いておく。

◎ 「毎日の食事にもテーマが必要」 今まで私にはテーマなどなかった。
若い頃や、働き盛りの頃には、食事の事をまじめに考えた事はなかった。端的に言えば
独身時代は成り行きと個人嗜好。結婚してからは、妻にお任せと個人嗜好だったと思う。
健康に良いという情報を小耳に挟んで、自分の嗜好と健康とが、余り対立しないと安心。
「医食同源」などの概念は、近頃に知った程度。食事を軽視していたわけではないが、
従来の健康管理の基本は、運動が主眼だった。(2009-12-18私の健康管理[大家族])
この本によって、改めて健康管理の基本に「食事」を加える重要性を教えられた。
食事におけるテーマは、「短期的には体調を改善し毎日を快適に過ごす。その積み重ねが
健康長寿につながる。」である。サプリメントやダイエット等は、一過性のもの。
テーマ足りえる為には、日常生活の中で、無理なく出来ることでなければならない。

◎ 「食べない方が元気になれる?」断食療法など知っていたが驚きの実験結果。
米国の実験::摂取カロリー制限70%(A)と無制限(B)のアカゲザル・二匹の実験。
 人間の年齢換算で70~80の高齢の二匹は、Aは変らず若々しく機敏。Bは、老け込んで
 終始ボーッとした状態。見るものに大きなショックを与えたという。
「腹八分目」ではなく「腹七分目」くらいが、1つの目安だと、著者は言っている。

◎ 「1日の始まりは生野菜ジュースで」 これは石原結實氏の著書で実践を継続中
 これは夫婦共々、有効性を実感している。石原式はジューサー使用だが、白澤式では
 ミキサーで水(500cc)を使用している。ヨーグルト、調整豆乳も可という。
◎ 「朝ごはんのパンもイライラの原因」
 要は、精製した小麦粉から作られているパンは血糖値を急激に上げるから良くない?
 精製していない小麦粉(全粒粉)やライ麦を使った硬いパンがお勧めだという。
 ごはんも、玄米(我家は5分ツキ)か雑穀入りがよいと言う。我家は今後、菓子パン
 全廃にしたいと思っている。
◎ 「摂取したいサプリは三種類(ビタミンD カルシウム 亜鉛)」
 ビタミンDは、日光浴で作れるらしいから、年中散歩している私はサプリ不要?

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人生のテーマ(3) [健康]

今日も白澤卓二著「ガンもボケも逃げ出す「人生のテーマ」の見つけ方」の感想を継続。
同書の第四章は、「ガンが逃げ出す「人生のテーマ」の見つけ方」である。
最初の事例は、ガンの専門医による“サイモントン療法”という心理療法である。
この療法によって、ガン患者の平均余命が3倍、生存率が2倍になるといわれる。
“サイモントン療法”とは、楽しかった事、うれしかった事を思い出して、
微笑ましい気持になるというもの。過去に味わった幸せな感覚をイメージするだけで、
脳がホルモンを分泌し、幸せだった時の体内環境が再現され、免疫力が強化され、
ガンが退縮していくという。こういう事を自然に行えればガンは怖くない?

この事実は、生き方や考え方の中に、ガンの劣悪化の原因が隠されている?
4章最後の事例には、1981~2期14年間、大統領として活躍したF.ミッテランが
取上げられていた。大統領就任当初すでに前立腺ガンに侵され、骨転移していた?
ガンの進行でいえば最も深刻なステージ4に当る状態だったらしい。
14年間、大統領の激務をやり遂げ、しかも歴代大統領の中で、第2位の評価を得た。
この事例は、「人生のテーマ」が、ガンの進行をも抑える事を証明している。

白澤卓二医師は、ガンを、治療医学の枠組みだけで考えてはならないという。体力を
消耗し、免疫力を低下させる治療医学の対症療法(手術、抗がん剤、化学療法)は
最小限に押さえて、予防医学の枠組みで対処する事が、大切だという事である。
やはりアメリカの事例で、ガンの早期発見・早期治療の効果は、まったくない事が
報告されているという。(ミシシッピー川を挟んだツウィンシティの事例)

同書の4章までの内容を吟味すると、ガンに罹っても慌てる事はない!という事。
ガンになったという事は、相当期間にわたって(10年程度?)ガンになる体質を
作ってきたわけで、対症療法だけでは治らないばかりか悪化の可能性も大では?
今迄の生活や考え方を、ジックリと見直し、考え直すことが大切だと思う。
白澤卓二医師の患者(悪性リンパ腫に罹病、化学療法に疑問)の例があった。
化学療法を止めてしばらくして、患者のリンパ球が減少しガンが再発したが、
その要因は、スーパーの閉店。スーパー通いは本人の生き甲斐だったという訳だ。
生き甲斐のスーパー探し、万歩計によるウォーキング、免疫力アップの食事、を
処方箋として提案。リンパ球も以前の正常値の2倍に増大し、リンパ腫も自然と
治まったという。「人生のテーマ」=生き甲斐の力畏るべし!如何なものか
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人生のテーマ(2) [健康]

今日は満州事変から始まった15年戦争の悲劇的結末の日。67年前に、第二次世界大戦に
おいて、無条件降伏をした日である。様々な現実的現象は異なるが、満州事変当時と、
現在はどこか似通っている。それは、チョッとマシな生活が出来る様になった庶民が、
目先の欲に駆られて、全般的状況を見失っていることである。
当時も、軍部やマスコミが悪いというよりは、彼らが、庶民に踊らされたのである。
現在も、民主党の様なイカサマ政党が政権を盗り、イカサマ政治をしているが、今や
庶民に踊らされた政治家は、民主党のみならず全ての政治家の民主党化が起こっている。
その最たる者は橋下一派だ。彼らが次期選挙で躍進するなら日本は再度、滅ぶだろう。

「滅び」は政治の世界だけではない。人間の健康をも蝕んでいるのではないか?
白澤卓二著「ガンもボケも逃げ出す「人生のテーマ」の見つけ方」について、今日も
読んだ第三章までの感想を、社会と個人という観点から書いて見たい。
先ずは同書の、医療(治療医学偏重)批判である。これと同様の意見としては
中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」にもあり、最近の医学会も
だいぶまともになってきたと思う。しかし「滅び」の傾向は、残念ながら不変だろう。
寿命は延びたが、健康レベルは高まっていないから医療費も鰻上り!
医療業界は日本の財政破綻を煽る「マッチポンプ」に過ぎない。なぜなら予防医学を
等閑にして、不健康な延命治療によって、医療費を雪ダルマ式に増やしているからだ。
病気を対症療法で済ませ、重症化を放置して不健康を増大させて何ら恥じるところなし!
かね儲けに走る医療業界の放置は、戦前の軍部の放置と相通じるものがあるのでは?

個人にとっても社会にとっても、最も大切なはずの人間の健康について、その意識が
何故こんなにも低いのか?それは、個人としての「本当の生き甲斐」がないからでは?
というのが、白澤卓二の「人生のテーマ」提唱に結びついていると思う。政治的な
付和雷同、目先の欲に駆られるのも、しっかりした個人としての考え方がないからだ。
食生活に関して、「ドラッグ中毒」という言葉を同書から教わった。スナック菓子、
菓子パンその他ジャンクフード(悪しき資本主義食品)は、マイルドドラッグと呼び
中毒しない様に注意を呼びかけている。民主主義・資本主義には良い所があるが
個人やコミュニティ・社会がしっかりした考えを持たないと、中毒に陥って、いわば
マインドコントロールされてしまうのだ。
最後に、私としての朗報を記す。それは老化速度や寿命に関する最近の研究成果だ。
老化速度や寿命の長さは、以前は遺伝要因の影響が大きいといわれたが、実験結果に
よると今や、遺伝要因25%、環境要因75%で、環境要因に強い影響を受けるという。
日常の過ごし方、食事、運動等で、長寿遺伝子を活性化できる? 如何なものか
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