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梅ちゃん_104回・見合とは [物語]

昔は結婚のプロセスは見合が中心だったが、戦後の急激な進歩主義の進展で、恋愛が
急激に伸び主流になった。しかし見合も随分見直されてきて現在に至っている。
戦後における見合に関する評価の変遷を研究するといろいろ面白い事が分かるかも?

さて今日の「梅ちゃん先生」では、梅子(堀北真希)と信(松坂桃李)の関係について
意味深長な会話があった。その第一は、陽造(鶴見辰吾)が、二人を前にして話した
「お前達(二人共に見合するという事だが)、それで良いのか?」が、建造(高橋克美)
の帰宅で中断。その後、梅子が陽造に話の続きを催促したが、陽造はそれに答えずただ
「自分に嘘をつくな!」と言って立ち去った。第二は、母・芳子(南果歩)が、見合を
すべきか?結婚すべきか?迷っている梅子に信との結婚を仄めかす様な発言があった。

陽造の言葉は、梅子と信が似合いのカップルだから、見合の勧めに乗せられるな!という
意味にも取れる。しかし、梅子と信を特別なカップルと見なさなくとも、陽造が見合に
否定的な意見を述べる理由を考えることは可能であると、私は思う。
それは当時(昭和30年頃)と現代との見合に対する考え方の違いである。当時は見合中心
だったが、考え方は進歩的で、恋愛結婚が理想だと思われていた。陽造は年配あったが、
進歩的考え方に近い?梅子や信もまた、新しい生き方を模索してきたのでは?
陽造は若い梅子や信が後々、後悔しないように、一般論として見合に反対したのでは?

芳子の発言も、最初は梅子と信が結婚する事を望んでいる様に聞こえた。しかしよく吟味
すると、現実問題として信のお嫁さんの条件(家事も工場の手伝いも出来る人)を、信の
両親から聞かされた芳子は、梅子に所詮は無理なご縁だと言っているみたいだった。
芳子は、信の真っ直ぐで裏表のない性格に惚れ込んでいる様子だったが、性格だけでは
結婚できないという事の様である。

今日のお見合いの話から分析した結果は、増々、梅子と信とのカップル誕生は難しい?
どうも話が、埋め草的な時間つなぎの様に思える。
やはり松岡(高橋光臣)の米国留学完了につなげるのではないか?と思われるが、
如何なものか
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梅ちゃん_103回と今後の展開予想 [物語]

梅ちゃん先生も103回を終了し、全部で156回あるという放送分の2/3(66%)を消化。
残りは53回=8週と5/6回、二ヶ月弱となった。先週辺りから、信(松坂桃李)と梅子
(堀北真希)の仲が急に親密度を増してきた。しかし必ずしも楽観できない。今日の
放送分で、陽造(鶴見辰吾)から梅子との結婚の感想を聞かれた信は、「梅子は空気
みたいな存在、想像できない!」と言っていた。看護婦の相沢(銀粉蝶)が「梅子さんは
いまいち安定感がない。生活を変えるべき。それには結婚が良いと思う。精神面、身体面
で男の人を知る事が役に立つのではないか」と父親の建造(高橋克美)に提案していた。
昭和30年時点で、梅子の推定年齢は、26才?(2012-04-30のブログ「朝ドラ・4ヒロインの
比較分析」を参照の事)当時の一般女性の適齢期かどうかは知らないが、医者の勉強を
していたのだから、まあ良い年頃といえば言える?
一方、信も両親が、結婚を進めて見合する事になった。何となく互いに気になる?

今後のこの二人の展開はどうなるのか?「梅ちゃん先生」の筋書きには、今迄にも
いろいろと惑わされてきた。それも面白いが、2/3の経過を踏まえて、作者の意図を
読み解いてみるのも、また一興ではなかろうか?
それで独断と偏見で、「当るも八卦当らぬも八卦」と、今後の展開を占ってみた。

今迄男女関係では、梅子と松岡(高橋光臣)、竹夫(小出恵介)とあかね(宇野実彩子)
そして野島静子(木村文乃)、松子(ミムラ)と真田(平岳大)そして加藤(大沢健)、
信と咲江(佐津川愛美)、それと男女関係といえるか疑問だが、坂田(世良公則)と弥生
(徳永えり)を思い出した。その中で、うまく行っているのは、竹夫と静子、松子と加藤
のみである。どうもこの物語の作者は、あまり男女の仲を取り持ちたくないようだ。

そこで梅子に関して、信は本命たりえるか?松岡の復活はどうか?考えたいと思う。
まず、竹夫と松子は二度目で成功者になったとすると、梅子も一度は失恋しないと
いけないという原則に当てはまり、松岡の復活はありえないという結果になる。
一方、竹夫と松子の最初の相手は、どちらも素晴らしい玉の輿に乗っかった様だから
松岡も大病院令嬢との結婚等の筋書き必要?しかし松岡は、青森転勤で振っている。
松岡をそのままにして、梅子だけが結婚するのか?松岡と梅子の付き合いは、
第7週(昭和22年)に始まり、第16週96回(昭和30年)松岡留学によって別れた。
昭和23年~昭和26/2月まで丸三年の空白期間があるとはいえ長い付き合いだった。
梅子と信の話は、信と咲江が別れた前日に坂田が亡くなり、信が梅子を慰めるという
余りに出来すぎた話である。結局は、幼馴染の域を出ないのではないかと思う。
私の独断では、梅子は松岡との結婚で一段落。その後晩年を1,2週間。如何なものか
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小生意気な孫 [大家族]

先日、上京した折に、たまたま、孫の勉強を見て欲しいと頼まれた。チョッとばかり
興味もあって、先生気取りで孫に向かったが、孫はイヤそうで何だかんだと逃げる。
「勉強なんてしたってしょうがない」何故だと問うと「役に立たないからだ」という。
「なんだ!小生意気な事を言う孫だ」と、最初はチョッと“ムカッ”としたが
その根拠を聞いていると、人生経験豊富な見解である。私の1/7弱の人生経験しかない
にもかかわらずこの年齢で此処まで世故に長けているとは!と感心してしまった。

一緒に住むとか、近くに住んで、何時でも会っていると気付かないのかも知れないが
成長著しい時、正月以来半年以上経過の再会、しかも一対一での対話だったからか?
しかし孫に感心しているだけでは仕方ない。そこで色々考えた。何故、孫がこんなに
耳学問にしろ、人生経験豊かな人間になったのか?話をしている内に、その秘密が、
孫の対人関係の上手さにあることに気付かされた。私など、孫の足元にも及ばない。
孫の「小生意気さ」は、私にない天性の素晴らしさによるものと改めて感じ入った。

息子は生意気だったかも知れないが、あまり表面には出さないタイプだったと思う。
従って小生意気な近親者に恵まれなかった私は、今回の孫との対話その他、上京中の
様々な経験から、ある種の「啓示」を受けたような気がした。
ダンスドリルの高校全国大会では、出場者一人一人が主役でありながら、鍛えに鍛え
個性の発揮と集団の統御とを究極の所で一致させ様とする新しい試みを観た。特に
HIP-HOP部門は、米国的個人と日本的集団の融合、即ち、西欧のよき伝統と日本の
良き伝統を統合する創造的な活動と捉える事ができると思った。

現代社会はグローバル化で経済的結合度が増し、経済格差の拡大その他で、
日本的伝統をそのまま維持できない?或いは、現代の日本は、日本的伝統を守ろうと
必死になって個人を押さえ、集団を優先させて無理して仲間やコミュニティに迎合して
いる様に思われる。最近話題になっている「子どものいじめ」問題も然り。
私は一般的には思想も創造性もなく、無理して伝統を守ろうとしている現代の風潮を嘆く。
西欧と日本を心身一如で実現して見せたダンスドリルの若者や、「小生意気な孫」などを
考える時、よき日本的伝統を活かしていく為には、創造的な活動が必要だと確信した。
その為にはコミュニケーション、それも「魂の対話」が大切である。
「魂の対話」とは、素晴らしい未来を創造する対話であり、利害を離れ、批判・評価を
せずに、相手の話を聴く事から始まる。このブログは「魂の発話」。如何なものか
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梅ちゃん_100回・思い出 [物語]

坂田先生(世良公則)の突然の死に直面して落ち込んでいる梅子(堀北真希)を
元気付ける為に、松子(ミムラ)夫婦や竹夫(小出恵介)が訪ねてくれた。その夜
泊まった松子は、楽しかった昔の事を思い出すと元気が出るのではないか?と、
梅子に元気の出そうな思い出話を促した。しかし幼い日々のダメ梅子(内田未来)は、
惨憺たるもので元気になれなかった。唯一楽しい思い出の「ぜんまい仕掛け人形」も
信郎(山崎光)の仕組み解明の生贄となって分解されてしまった。それでも松子は、
梅子が幼い日々の信郎の後をくっ付いていた事を思い出した。それを回想した梅子は
信郎(松坂桃李)が昔から梅子を気遣ってくれていた事に今更の様に気付いたのだった。
事故当日も必死で梅子を励まし、肩を抱き、手を握ってくれた感触を思い出していた。

朝、信郎と会って様子を聴かれた梅子は、「何時も心配してくれているのだから、人形を
壊されたくらい大目に見なきゃぁ」と言い出して信郎を面食らわす。壊した人形の事を
忘れていた信郎も、それを修復できなかった理由を道具のせいにしていたと聴いて、
「進歩のねぇ野郎だ!」と自分を反省、「悪い事をしたな!」と、帰宅した。直前に
安岡製作所には、高精度加工が必要な油圧式シリンダの急ぎの注文が舞い込んでいた。
親父(片岡鶴太郎)不在で、自分は高級な機械がないから出来ないと注文を断っていた。
梅子の思い出話に発奮した信郎は、「やる気にさせてくれてありがとう!」と梅子に
声をかけて、あっけにとられた顔の梅子を尻目に、勇んで出かけて行った。

いろいろ、紆余曲折あった梅子と信郎だが、なんだか良いムードになってきたのでは?
二人のコミュニケーションが唐突であろうと、互いを高め合う事が出来るのが一番だ。
人間には、もって生れた性分や、相性というものがある。そういうものが、邪魔しあう
のではなく、互いに勇気付け、励まし、創造力を発揮する様に働く事は幸せである。
運やタイミングの良さ悪さもあるが、互いを信頼し、相手のいう事を善意に解釈する事
ができれば良いのである。梅子と信郎の今後の展開が楽しみになってきた。

さて「自分の感情がすぐに表に出てしまい、患者に悪い影響を与えるのでは?」という
梅子の悩みについて、私の感想を書いておきたい。(誰も読みたくないだろうが)
「医者に向いていないのでは?」と悩む梅子は正しい。一般論から言えば「向いてない」
医者に限らず、喜怒哀楽を余り表に出さない性格は、生きる上で重要な要件。特に、
医者は人の生命・健康にかかわっておりミスは許されない。常に冷静沈着が要求される。
父・建造(高橋克美)のアドバイス通り「自分で答えを見つけるしかない」如何なものか
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梅ちゃん_99回坂田先生追悼編 [物語]

坂田先生(仏になられたので敬称をつかった。以下省略)が交通事故であの世に旅立った。
昨日放送最後、坂田(世良公則)の誕生パーティの会場に、交通事故の知らせがあったが、
その時に、私はふと、事故死ではないか?と、一瞬思った。そうすれば「出会いと交流、
そして別れ」を地で行く劇的物語になるから。あっけない坂田の死は、正に劇的であった。

劇的な死は、親しい人に大きな衝撃を与える。梅子(堀北真希)は、坂田が買ったケーキに
こだわり、ケーキは全然崩れてなかったのに、どうして坂田は死んでしまったのか?
納得できない様子だった。また看護婦・相沢(銀粉蝶)が「患者の前では、どんなに辛い事が
あっても、暗い顔をしてはいけない」と、注意した。それに対し梅子は「どんなに辛い事が
あっても笑顔を見せる自信なんかありません!」と、やけ気味の返答だった。

いま振り返ってみると、坂田と梅子の出会いと交流は64回放送。=昭和27年に始まった。
梅子が竹夫(小出恵介)の事務所を訪ね、竹夫が階下の坂田医院への治療費返却を梅子に
依頼したことから始まった。その時、急患騒動に巻込まれた梅子は、松岡(高橋光臣)との
デートをすっぽかしてしまい良い線行っていた二人の仲は、また振り出しに戻った?
2012.06.14のブログ「梅ちゃん_第11週63・64回」で私は、緻密な松岡と、大雑把な梅子。
お互いが発想の転換をしない限りなかなか理解し合えないのではなかろうか?如何なものか」
と、締め括った。二人は結局、別れてしまった。

一方、竹夫と坂田医院の看護婦・野島静子(木村文乃)との関係は、最初は最悪だったが
(韓流では常套手段?)73回・昭和30年に一足飛び。竹夫と野島との関係も改善された。
そして、今回、坂田の死に際し、田舎に帰ると言う静子に、「そばに居てくれよ!」
「過去なんて関係ない!関係あるのは未来にどうしたいか、だろう!」と言って、竹夫は
しっかりと静子を抱きとめた。竹夫は「自分の気持を素直に出した」のである。
坂田は、生き方によって梅子に大きな影響を与えると共に、死に際して、竹夫に大きな
決断をさせたのである。

坂田と梅子や竹夫たちとの「出会いと交流、そして別離」は三年という短い期間だった。
人間関係の交流の質や深さは、時間の長短で決まるものではない。様々な偶然や状況、
互いの人間性によって、一瞬、一瞬で決まってくる。松岡の様に理屈で解釈していると
「未知の領域」として取逃がしてしまう。正に、「一期一会」の心境で交流しない限り、
人生にとって何が大切な事か、分からないまま、死ななければならない。如何なものか
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梅ちゃん先生_第93~98話 [物語]

この処、6日連続でブログを休んだ。孫たちに会いに横浜・川崎方面に行っていた。
今まで、こんなに長く休んだ記憶がなかったが、調べてみると、2010.4.18~24迄
ブログを休んだ記録があった。その時は外出ではなく、用が立て込んでいた(日記より)

「梅ちゃん先生」では、がん患者・早野(津嘉山正種)の問題にケリがついたが、
松岡(高橋光臣)は米国留学で、梅子(堀北真希)と決別。
第16週のお題が「二つの道」。松岡は、背水の陣を敷いて研究の道を選んだ?
梅子の道は、臨床医師の道であり、地で行けるから、背水の陣に用は無いが、
松岡の決意を「了」として、気持を切り替えた?梅子は切替が早い?

竹夫(小出恵介)にも、あかね(宇野実彩子)との束の間の邂逅と別離があった。
その時にあかねは、竹夫や梅子に出会ったから今の私がある!と、感謝していた。
また信郎(松坂桃李)と咲江(佐津川愛美)との別離も物語られた。

偶然の出会いから、様々な交流が生じ、あかねの様に幸せを掴んで別れるケースや
別れをバネにして奮起して人生を切開いていく竹夫のケースなど様々である。
松岡が、クラブ「エリカ」に行って、坂田(世良公則)と飲んで語り合う場面で
坂田が話した内容に注目してみよう。坂田はその時、
「男と女はそう簡単に理解しあえないが、そのあれやこれやを楽しむのが人生」
「表面上でうまくやることと、本当に心を通わせる事とは違う」など、味な事を言った。

人生は「出会いと交流、そして別れ」の積み重ねである。男と女だけでなく
同性同士でも、そう簡単には理解しあえるものではない。
「出会いと交流、そして別れ」でのあれやこれやを楽しむ事が人生で大切では?

「梅ちゃん先生」は、登場人物がやたら多くて、物語としては散漫になり勝ち?
しかし、人生なんて、そんなに簡単にまとめられるものでもない。
沢山の登場人物との邂逅と交流、そして別れの余韻を楽しむことが、
「梅ちゃん先生」物語の味わい方ではなかろうか?
この一週間も、早野役の津嘉山正種や妻役の丘みつ子の渋い演技の余韻や
さり気ない娘役の伊藤久美子、可愛かった咲江役の佐津川愛美などを思い出して
みるのも、「梅ちゃん先生」の味わい方では?如何なものか
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梅ちゃん先生_第92話と幸せ [閑話]

今日、梅子(堀北真希)は在宅診療を任された末期がん患者・早野(津嘉山正種)が
生きる希望を失い治療を拒否していると考え、どうしたら早野に生きる希望が湧くのか?
悩んでいた。母・芳子(南果歩)や三上康子(岩崎ひろみ)は、子ども達の成長や幸せを
生甲斐だと、言っていた。また祖母・正枝(倍賞美津子)は子どもが居ても居なくても
生甲斐はあるといい、「ナポリを見て死ね」という言葉を例に引いていた。

正枝の話をヒントに、梅子は「日本の風景」という写真集を持参して、早野を説得しよう
と試みたが、早野は現役時代、外国航路の船乗で、当時のアルバムを見せてくれて、
「珍しいものは散々見た。もう充分」とのご託宣だった。アルバムの後半部分は、
写真が剥がされていて、何か曰くありげ。食堂「みかみ」に行った梅子が、偶然、信郎
(松坂桃李)と恋人・咲江(佐津川愛美)の二人と一緒になり、早野に‘さよこ’という
娘が居る事がわかった。咲江は女学校時代‘さよこ’に、裁縫を教わっていたという。
妻・妙子(丘みつ子)から家族は二人だけと聞かされていた。早野夫婦には事情がある?

先日のブログで、中村仁一著「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を取上げたが、
この本を読んでいると、“人生とは”、“死とは”、“生きるとは”、“”幸せとは“何か?
などということを改めて考えさせられる。
確かに早野の様に、生きる希望をなくす事は、現代の様に何でも積極的、前向きな
考え方が正しいとする世の中では、間違っていると判断されるかも知れない。増して
早野の様に、近親者とのこじれた関係を放置するのは良くない!という批判は誰にも
非難出来ない。しかしそういう問題を解決するためには、梅子の様な素っ頓狂なお節介
でも居ない限り、なかなか修復は難しい。早野の様な状況になった時、娘との修復に
精神的・肉体的な負荷を掛けるか?余生を平安な状態で過ごすか?どちらが、本人に
幸せか?非常に難しい判断ではないか?幸せという概念は主観的なものである。

昭和30年当時のがん治療法はどんなものか知らないが、現代ですら、手術切除や、
放射線治療などのがん治療は免疫力を減少させるという。早野が、治療拒否したのは
あながち間違っていないと思う。特に治癒の可能性もないのに、チューブにつながり
延命治療で、生かされるのは、人によっては、姥捨山以上に残酷な仕打ちだと思う。
人間は死ぬ時にどんな恐ろしい事が起こるかと心配し、チューブにつながれて、
完全に意識をなくしてから死を迎えた方が、死者にとって幸せだと勝手に思っている。
しかし先の図書によると、人間は死に際して、恐怖を感じない様にできているという。
家族や個人の“幸せ”を、勝手にまとめて、政治家や役人、医者によって決められても
迷惑この上ないと思うが、官尊民卑的日本の伝統は今も継続中? 如何なものか
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梅ちゃん先生_第91話で思うこと [物語]

今日、確か3回目の「昭和30年×月」の字幕があった。
そこで、今迄の経過を調べたら、以下のようだった。
6/25(月)放送・第73話 松子(ミムラ)結婚(昭和28年4月)そして、昭和30年3月
7/9(月)放送・第85話 昭和30年5月 梅子(堀北真希)開業
7/16(月)放送・第91話 昭和30年6月 下村医院の運営も順調、という事になる。

第61話(6/11(月)放送) 昭和27年で、梅子は、医師国家試験に合格した。
その後、無給の医局員だった梅子が、やっと給料をもらえる昭和30年3月には、
大学病院を辞職して開業医になった事になる。その間3年。後から振り返ってみると、
最短に近い期間に猛スピードで、独立開業した訳である。
特に、父親の建造(高橋克美)が倒れた後、第83話の「梅ちゃん先生」では、
頑固な建造の許可も下り、開業のため大学病院に退職予告。アッという間の開業?

私は、その大胆さに対して我儘なお嬢様気質と思ったが、そうではない考え方も
あるのだろうと思う。それは、自分の信念と社会との融合に自信がある立派な精神・
人格を備えた人物として梅子を捉える視線である。
梅子には、病気で困っている人々を、きめ細やかな理解や関心と熱意でもって
助けることを、自分の天職と思っている?それは肉体的な健康回復だけではなく
精神的な面で、周りの人々との融合を図り、社会復帰させるという事である。
今までの数々のエピソードは、それを証明している?

今回、松岡(高橋光臣)から末期がんの早野(津嘉山正種)の在宅診療を頼まれたが、
梅子は、早野から難題をもちかけられた。難題は、梅子が病院の治療継続を勧め
「生きていればまだまだ良い事がありますよ。少しでも生きる努力をすべきなんじゃ
ないでしょうか?」と言った事への早野の返答だ。「本当にそうなのかね!・・中略・・
それを証明してくれるかね?」

梅子の言った言葉は主観的なことであり、科学的に対象を切離して、客観的に
証明できる様な事ではない。額面通り受取っても早野の要求する答えは出てこない。
社会と断絶しかかっている早野の心を、社会とつながった心持にする事ができるか?
どの様な手法を用いるのか?「病は気から」という。気とは呼吸の事である。
呼吸や食物摂取が、人間と社会をつなぐ基本である。その中でも呼吸できなければ
食物摂取も出来ない。社会とつながる基本の中の基本“気”が最も大切。如何なものか
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梅ちゃん先生の性格分析 [物語]

今週で「梅ちゃん先生」も、15週、90回を終え、6割弱を消化した。
今、振り返ってみると、下村家の子ども達は、結構、問題児だったのではないか?
長女・松子(ミムラ)は、常に優秀な才媛で、問題児ではなかったが、潜在的問題児?
結婚して、潜在していた問題点が、治癒するか?否か?これから明らかになる。
竹夫(小出恵介)は、親の言いなりで医者の道に進んだが、結局、我が道を行く事になる。
潜在的問題児から、普通の人になる事によって、正常になれたか?今後が楽しみである。

梅子(堀北真希)は、小さい頃から問題児だった。その問題児が一念発起して生れ変り、
医者に成長した、と思っているのではないか? しかし、大学病院を辞めて開業医になる
経緯を見ると、梅子は生れ変ったのではなく問題児のまま医者の衣を着たと見るべきだ。
梅子は、自身を松竹梅の梅という格下に位置づけられたと思い込んでいた。例え誰かに
吹き込まれたとしても、そういう僻みっぽい考え方にこだわる性格が、異常である。
松竹梅それぞれの良さを、思えば、そんな僻みっぽい考え方にはならないだろう。
最も年少なのに、姉や兄との変な競争心を燃やすのは、異常な自己顕示欲というべきか。

下村家は本来お金持ちで、梅子は我儘なお嬢様気質を持ちながら、姉兄に押さえ込まれ
発揮できず、僻みっぽく考え、自らを引き立たせるために、医者の道を選んだ?
患者に寄り添う、とか、患者の身近に居たいとか、いろいろ理屈を捏ねているが、結局
「掃き溜めに鶴」という構図で、自分が一人、お山の大将で居たいだけではないか?

以前2012-04-29のブログ「梅ちゃん先生・第4週に思う」などでも触れたが、
建造(高橋克美)が、女子医専新入生の梅子と同級に諭した医者の心得を味わうべき。
「人間は厄介、病気以上に厄介」とは奥が深い。弥生(徳永えり)や須藤雪子(黒川智花)達が
建造を訪問した理由は梅子の医者志望に反対した理由を糾すためだったが、建造の説明に
納得したのである。建造は、梅子の問題児的性格を当時から見抜いていたのではないか?

建造が「脚気の論文」を褒めた直後、梅子が開業を切出して、建造が怒ったがそれは、
開業そのものではなく、梅子が自己の問題児的性格に気付いていない事に落胆したから?
何よりの証拠は「名誉等より、地道に積重ねて行く事が、医学の発展と自分の医者としての
進歩につながるんだ!」というほめ言葉。そこに梅子に対する忠告が言い尽くされている。
名誉とは、学会や大学内などの評価だけではない。町医者として威張る事も同じでは? 
しかし建造は皆から説得されて梅子の開業を許した。でも梅子の行く末を心配している。
経済的な問題だけではない。松岡(高橋光臣)に結婚を匂わせたのも、梅子の性格を
案じての事ではなかろうか? 如何なものか
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混迷の梅ちゃん先生 [閑話]

さて「梅ちゃん先生(堀北真希)」物語を、丁度1週間お休みしていた。
涼子(田崎アヤカ)が難病診断を受けた直後に、建造(高橋克美)を説得して、
梅子開業に話が進む83話、そして、85話では開業になるが、真ともな患者はいない。
今日・89話の最後、食中毒と思われる患者がやっと5人担ぎ込まれたという体たらく。

涼子の難病問題はどうなってしまったのか?さっさと辞める梅子は無責任?
第一、松岡(高橋光臣)から、病状が回復したらもう一度ちゃんと話をする様に勧められ、
「その話は当分いいの!」と返事。松岡から、建造の倒れた事と、開業の話とは科学的に
無関係だと説明されて、今度は、「松岡さんは理屈ばっかりだからわからないの!」と、
反対に噛付いていた。(07-02のブログ「小沢氏ら離党届と梅ちゃん先生_79回」参照)
更に、現実にどう行動するかは、建造の病が良くなってから正々堂々とやると、涼子に
言っていた。(07-04のブログ「梅ちゃん先生_81回・私の見所」参照)

生れてはじめて建造に褒められて舞い上がり、開業を宣言したのは仕方ないとしても
その後の梅子の松岡への発言や、涼子に対する“正々堂々”発言と現実行動との乖離は
理解しがたいものがある。梅子は、「自分の気持に素直に生きる」場当たり人間か?
まるで、現在の政治家そのものの様な、発言に責任を持たない梅子である。
開業医の跡取り娘・弥生(徳永エリ)すら、大学病院で時期を計っているというのに、
採算を度外視して開業するとは、余りにもお嬢様である。結局、医者という肩書きで
一段高い所から人間を見下し、助けてやろうという、“どこかの国の社会福祉”の様な
態度の医療をしたいという事なのではないか? まあ梅子は若いお嬢様である。
現状が色々問題含みなほど成長の過程も明確になる?今後の成長を期待!如何なものか

今日も梅雨の晴間(曇間?)を縫う様に、傘を使わずに1万歩の散歩を達成した。
SJ(スロージョギング)も30分強実施。筋トレと共に、ゴルフの素振り、アプローチ練習もした。
アプローチ練習は、残念ながら雨が降り出して中断した。九州・熊本等では相当規模の
災害に遭われた人も多かった様だ。私は何時も思うが、「東日本大震災」の様に、
世界が注目してくれて、共助、公助に与かれる災害は、不幸中の幸いだと思う。
個人としては大きな被害度でも小規模災害の場合、自助努力しかないのではと心配だ。
いずれにしても病気、災害、事故、事件等、何時、我が身に降りかかるか?その時、
誰も助けてくれなくとも、自助努力で前向きに生きて行ける様にしたい!と思っている。
「無事是好日」という。有り難い「好日」を、感謝を込めて大切に過ごしている。

また激しく降り出してきた。今日の用水路の水位は結構、高かった。ただ祈るのみ!
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