SSブログ

「てっぱん」から「おひさま」 [物語]

pic03_11.jpg今週から、NHKTV小説も「てっぱん」から
「おひさま」へと替わった。半年前のブログ
“2010-09-29「ゲゲゲ」から「てっぱん」”では、
意表をつく展開に何となく期待した。その期待は
あまり裏切られず、しり上がりに盛り上がった。
今日、「おひさま」を見た感想は、正直言って、
まったく期待できそうもない?
(写真は、てっぱん最終回、鼓岩で初音がラッパを捨てる真似するところ)

「おひさま」のヒロイン・陽子が、いきなりおばあさん(若尾文子)で、出てきた。
陽子は昭和7年(1932)で10歳・大正11年(1922)生れ、今年卆寿。我が妻の母親の世代。
これからの半年で、70~80年の女の一生を物語ろうというのである。時間が足りない?
我々より上の、戦前の記憶のある世代(昭和シングル)は、自らの一生を重ねて、自分史を
整理するいい機会になるかも知れないが、我々世代にどの程度参考になるか疑問である。

「ゲゲゲの女房」が、或る意味で、女の一生物語で有るにも拘らず、興味を持ったのは
妖怪という見えない世界を信じる茂を支える女房だったからだ。言い換えれば、
私の興味の対象は、見えない世界=科学の及ばない世界、を信じる人種の生き方なのである。
「だんだん」や「てっぱん」も、科学で割り切れない事に、真っ向から立向う人々だった。
「おひさま」が、そういう真っ向勝負の人かどうか?少し、確認するかもしれない。ただ、
太陽の陽子、自ら輝く人間、等という安直な言葉の羅列からは、多くを期待できない?

そして一言、蛇足を加えると、「東日本大震災」後の政府やマスコミは「東日本大震災」の
本質を何もわからないで、如何にも仕事をしている振りをしているだけだということである。
科学で割り切れない事に、真っ向から立向うには、その本質を弁えていなければならない。
「東日本大震災」後の政府やマスコミの対応がお粗末なのは、本質を弁える心、胆力、謙虚さ
が、欠如しているためであると考えるが、如何なものか
nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。