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てっぱん・有終の美 [物語]

今日は、てっぱん最終回・第151回。今回のNHKTV小説「てっぱん」は、千年に一度という
「東日本大震災」による異例の中断を経て一週間遅れで完結した。“有終の美”とは、終始一貫し
て物事を成し遂げること。立派な成果を収めること。何を訴えたいか? が素晴らしかった。
「てっぱん」物語は甘い物語ではない。背負いたくない現実に背を向けず、挑戦する18歳の孫と
67歳の祖母が、対決しながら互いの心を解きほぐす物語である。人は理屈っぽくなり不条理を
受容できなくなってしまい不条理に会うと頑なな心を育てるのだ。今や頑なな心を持った人々は
老若男女を問わず世の中に充満している。若者から高齢者までの頑なな心を解きほぐす過程
こそ、この物語の大きな主題だったのである。これは現代日本の課題でもある。

今週の題「かならず朝は来る」と似たセリフが、昨日の“朝イチ”の思い出のシーンでも出ていた。
第5週「お母ちゃんの味」で、一騒動あった夜、寝る前にあかり(瀧本美織)が自分の生れてきた
意味は何か?初音(富司純子)に聞く場面。「自分の生れた意味なんちゅうもんは人に聞くもんや
ない。自分でさがしていくもんや!・・・夜になったら寝るもんや。嫌でも朝が来る。・・おやすみ」と
初音は突き放した。寝れば心が休まり、頑なな心を太らせない?
冬美(ともさかりえ)、滝沢(長田成哉)、中岡(松尾諭)・民男(前田航基)父子、笹井(神戸浩)らは
心を解きほぐされ下宿から巣立ったのである。
心をほぐすツボは、自分でさがさなければならないが、あかりと初音の関係の様に、甘ったれた
もたれ合いではなく、厳しい対決によって、何時か解きほぐされていくのである。

昨日、千春の分骨のために尾道に行った初音は、隆円(尾美としのり)のお寺で、あかりの荒れた
トランペットの音に対抗して、お寺の鐘を撞く場面があった。これと同じことを、2008年の夏、
自分が養子と分かったあかりも、隆円にいわれて撞いたのだった。鐘の音は心を癒す?
二人の対決は今日のベッチャー祭に持ち越される。祭り後、空腹を抱えながら二人は思い出の
突堤のベンチで、あかりは初音のいった「音楽で腹はふくれん!」は正しかったと言い、初音は
「腹は膨れんけど心は膨れた。・・・千春の心に響いたやろな!」と互いを思いやった。あかりの
「おばあちゃんにも響いたん?」に、「腹に響いたわ!」と神田(赤井英和)ばりの駄洒落で応酬。

村上家での夕食の団欒(隆円や久太(柳沢慎吾)も居る)で、初音がまるちゃん(まどか)の事を
「人生これからや」といったのを受けて、真知子(安田成美)が、「そうですよ、人生の仕舞い仕度
するんは、まだ早いんじゃないでしょうか?」といい、鉄平(森田直幸)も小声で「まだ何十年も
生きるんじゃけー」と憎まれ口。あかりも「ここまで言われたら引退できんね!」
翌朝、鼓岩の上に立った初音とあかり。
初音は「あんたと勝負が付くまでは、あの家壊すのお預けや!田中初音70歳!」と、
あかりに挑戦する如く胸を叩く。あかりも真似て「村上あかり20歳!」と胸を叩いた。


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