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閑話・古今和歌集 [閑話]

今日は、書くこともないので、古今和歌集を紐解いて感じた事などを書きとめよう。
◎ 仮名序の最初には、やまとうた(和歌;漢詩などと対比)の本質を述べている。
 生きていれば、様々な出来事があり、また過ごし方、やり方があるので、心に浮かぶ
 事柄を、見たり聞いたりするにつけて、言い出したので、和歌も多くなったのである。
 従って、和歌は、人の心を種として葉が茂るように、和歌が生れたのである。
 鶯や蛙の鳴き声を聞くと、人のみならず、ずべての生き物が歌を読むことがわかる。

<感想> 前半の部分は、和歌に独特のものとは言い難いのではなかろうか?最後の行の
ほととぎすやかわずのうた(鳴き声)を、和歌と同じ目線で扱うところに、和歌を読む人の
心に関する日本人(平安時代前期)の独特の感覚があり、それを誇りにしていたと思われる。
人間と、生物を同一視しているのではないことは明らかである。現代ではその頃の先進文明と
考えられている中華思想に対して、当時(平安時代前期)は全面的に肯定していたのではない
ことが明らかだ。上記の文章だけでは自分達の誇りについて、論理的に十分、解き明かされて
いないが、現代の我々にも暗黙の内に了解できるところに、日本独特のものがあったのだ。

◎ 仮名序の次の段では、和歌の効用が書かれている。
 (和歌)は、力を入れないでも天地を動かし、目に見えぬ鬼や神を感動させる。
 また男女の関係を取持つことも、勇敢な武士の心も和ませる事も、できるのである。

<感想> 目に見えぬものを意識している点に注目したい。「ゲゲゲの女房」「てっぱん」の
ブログでも再三、取上げたが、目に見えないもの(未知のリアリティ)を想像する事は
決して迷信ではないのである。ゲゲゲの茂は戦争で死ぬ思いをし、片腕を失った経験による
トラウマを克服し、人間的に大きく成長したのである。ゲゲゲの女房も目に見えないもの
(茂の戦争体験)を想像して、過酷な生活環境に耐えて夫と共に大きく成長したのである。

もう一つ、男女の関係を豊かにするという効果。これは漢詩の本来のあり方とは異なる。
漢詩にも、艶っぽい詩はあるらしいが、漢詩本来の姿ではないだろう。それに比べて和歌は
例えば古今集では、恋歌は20巻中の5巻を占める。同一テーマで巻を重ねるのは、春歌、秋歌
雑歌が、それぞれ二巻に分かれているのみ。恋歌が主流というべきである。ここにも漢詩との
明らかな違いを読み解くことが出来る。
古代の日本の特徴は、庶民だけでなく、支配階層でも、優れた論理性や合理性を備えながら
豊かな自然に学び、未知のリアリティを想像する素晴らしい智慧があった。如何なものか
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