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「おひさま」第5回 [思い出]

民放TVは、日がな1日、ACのご親切なフレーズが垂れ流される。NHKも「東日本大震災」の
影響か、肝心な情報は余り流されない。随所に、素晴らしく深い慈善心を持った芸能人などの
お見舞いのお言葉などが挟まれているために、そんな場面に思いもかけずたびたび遭遇する。
従って私などが、拝聴するのも恐れ多く、どうも最近は、TV拝聴恐怖症になった。
「おひさま」は、ACフレーズもお見舞いのお言葉も出てこない数少ない番組であるために
継続して見る事に決めた。私の父母が生きた戦前の時代を感じる事が、当面の目的である。

既に昭和8年(1923)の春を過ぎ、陽子(八木優希)は小学校5年生になった。
昭和8年(1923)といえば、日本が、国際連盟を離脱した年である。 さて物語の陽子だが
母の様態が悪く、学校行事の常念岳登山をためらうが、母に勧められて予定通り参加した。
今日は、陽子が常念岳の頂上を極めたころに、母・紘子(原田知世)が亡くなった。
地平線から立ち昇る旭日は、母が天上の人になることを暗示している。日の出を眺めながら
陽子は、母親が、地上の命の灯火から、天上の光へと切替ったのを直感した。そして
雄々しく輝く旭日にならって、自らの力で輝き、世界を明るくすることを誓ったのだ。

さて今日の画面で気になったのが、常念岳登山の子ども達の装備だ。肩から背中にかけて
肩幅よりも少し大きめ、丈は腰の下までのハーフコート並みの「縁取りした茣蓙(ござ)」。
胴に巻いた荷物(弁当や水筒?)も、覆える様になっている。首の所は襟ぐりがあり、襟の
紐を体の前に下ろし、腰の部分で茣蓙に通して、最後は腰に巻きつけて固定する様だ。
どうみても、雨具?防寒具?どうもコート風「縁取り茣蓙」は「みの」の変形版のようだ。
「みの」は一般に藁(わら)で作られるが、コート風「縁取り茣蓙」はイグサで作られる。
「みの」は、羽織のご先祖のようだ。昭和10年代まで生き残っていたらしい。(島根の民具)

寺田寅彦(1878年(明治11年)- 1935年(昭和10年))の随筆「日本の自然観」で、
「みの」が「バーバリーコート」よりも優れているという話を紹介したことがある。
(ブログ「2009-03-11自然観」)。昭和10年は、随筆「日本の自然観」を発行し、大晦日に
寺田寅彦が亡くなった年だが、翌年は、226事件、日独伊防共協定成立とつながる。

もう1つ、陽子の母・紘子の年齢であるが、当時、30代後半のアラフォーではなかったか?
髪形が大正ロマン風?私の母は陽子より12歳くらい年長だと思われるが、私の記憶に残る
母の髪形は、ほとんど紘子と同じ。56歳で亡くなったが、終生、同じ髪形だったように思う。
母も大正ロマン風の髪形がよく似合う美人だった。あまりに早すぎる別れ?如何なものか
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