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「おひさま」四方山話 [思い出]

1つ目の話題は、主人・村上貞夫(斉木しげる)、お将・村上カヨ(渡辺えり)が経営する「村上堂」
の水飴屋。今日も陽子(井上真央)の祖母(渡辺美佐子)と白紙同盟三人組が話する場となった。
水飴とその味覚の記憶は今も鮮明に残っているのだが、具体的な入手方法や賞味場所等の記憶
が定かでない。昭和20年代に、紙芝居の見料として購入するものという記憶だけが鮮明にある。
恐らく、私の幼少時には、瓶詰めなどで広く流通していたのではないか?と思う。三人組が
水飴屋で、瓶に箸を差し入れて巻いて賞味した様に自宅で箸に巻いた飴をこね回して食べた
記憶がある。もしかすると、知人宅でご馳走になった記憶も混じっているかも?この水飴も、
昭和20年代からキャラメルなどに席を譲ったのではなかろうか?
Hudson Terraplane Custom.jpg
もう1つの話題はクラシックカー(写真はHudson Terraplane
Custom)。「おひさま」の第18・19回に出てきたクラシックカーと
同型?ではないかと思われる写真をネットから拝借してきた。その
根拠は、茂樹(永山絢斗)が口走った「ハドソン社のカスタメイド」。
ハドソン社は1909年に設立。最初から販売しているハドソン車に加えて、1919年にはエセックス
(Essex、廉価版)を登場させた。1932年にエセックスに代えてテラプレーン(Terraplane)という
ブランドネームを開始した。ドラマにおける時代設定は1938年(1922年生れの陽子が16歳の
女学生だから)。従ってドラマの自動車はテラプレーンのカスタムメイド(特注品:オプション付?)
ではないかと推察したわけである。

終戦後、私(昭和20年代・小学生)の同級生に戦後成金の息子がいて、この種のクラシックカーに
乗せてもらった事がある。親父さんの運転で神戸の街をぐるりと回った。ほとんど車など通って
いなかった。木目パネル、革張りのシートで、乗心地はフワフワした感じで落着かなかったことを
覚えている。今思えば、道路事情も悪いために、サスペンジョンが柔らかだったからだと思う。
当時、自動車の写真集のようなものがあって、私より35歳年上の父が大事そうに所持していた。
私などが勝手に触るといけないような雰囲気があって、こっそりと眺めて、美しさ感動した記憶が
ある。当時、自動車は夢のまた夢であった。その私が、約20年経った20歳代後半(昭和40年代
前半<1960年代後半>)には、中古車とはいえ自動車を所有する身になった。

こうして、「おひさま」の当時から現代までを通観してみると、1930年代後半から1950年代前半
までの10~15年は戦争のために停滞していたが、その後、余りにも急激な膨張をしてきたという
ことが伺える。今や水飴などという下賎なものを口にせず、高級車を乗り回す子爵令夫人と同様
の方々が、雲や霞のごとくに増加した。お目出度い限りでは無いか? 如何なものか
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