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国会中継091106 [社会]

今日も快晴、しかも大変暖かい気候だった。庭でゴルフのアプローチ練習をした。
なかなか進歩しないが、少しは進歩しているか?最近は練習場通いも素振り回数も増して
本気でゴルフ上達を夢見ている。アプローチ練習も三日坊主にならない様に頑張りたい。
スロージョギングはいまの所、70日坊主になっている。いま少し様子を見ている。

今日は朝から参議院予算委員会のテレビ中継を見た。中座したところも随所にあったが、
与野党の攻防や如何にと、興味深く拝見させてもらった。舛添要一 川口順子 西田昌司
荒井広幸(自由民主党・改革クラブの諸氏) の質問であった。個々の質疑応答の細かな事は
正確には覚えていない。従って、大雑把な感想を書き留めておこうと思う。

舛添議員の‘民主主義は手続きである’という事を前提にした問題提起は、私が既に論じた
事と同じだ。補正予算の全面見直しを独裁政治になりかねない重大な問題ではないかと
首相に質したが、首相は一向に意に介さないようだった。
また川口議員の‘給油活動’中止に替わるテロ防止に直接貢献する対案は? との質問にも
民間活動による支援の一点張り。川口議員の話では、民間活動を現状以上に大きくする事は
不可能であり、テロ防止に直接貢献する対案になり得ないという話の方に説得力があった。
西田議員による鳩山、小沢の不正献金問題追及も、西田議員の言うごとく、法律的な責任に
限らず、政治的・道義的責任に関する認識が非常に問題であることが分かった。
質問に立った西田議員への民主党側の野次は、従来、民主党が問題としていた自民党の体質
に勝るとも劣らぬ低劣さだった。官僚の起用に関する件でもそうであるが、国民に向けては
派手なスタンドプレーをするが、やる事は、理念や理想とは程遠い事をしても厚顔破廉恥?

選挙に勝った結果、地方行政に迷惑をかけても平気、民主主義の原則も無視、民主党幹部の
行為においても法律的責任さえなければ良しとする。自分達が英雄になったかの様な幻想に
囚われて、自分達がやっていることの客観的な評価も出来なくなっているのではないか?
民主党が唱えるような“抽象的な政治目標”は、それに直接的、具体的な政策があって
初めて安心ができる。しかし、現在の様に、金食い虫のバラマキ子育て支援以外の政策は
五里霧中で本当に大丈夫か?政治的・道義的責任感のない低レベルの道徳観で、“理想”を
掲げての権力を行使するのは、幼児に刃物や火気を持たせるに等しい? 戦前の泥沼戦争は
「大東亜共栄圏」という“理想”が生み出した。 如何なものか。
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ご祝儀期待? [社会]

昨日夕方の散歩で冷え込んだし、曇天なので今日の散歩は今シーズン初めて上着を着た。
最初は丁度良かったが、結局脱いで歩く結果となった。考えてみればいつもこうだった。
秋から冬、冬から春にかけての散歩は、重ね着の調節で凌ぐ。冬もほぼそういう状態だ。
近所の小学生が遠足の観光バスから降りてリュックを背負って帰宅するのに出会った。
何処に行ったのかと聴いたら、岡山空港と半田山動物園とのこと。楽しかったようだ。

今朝の新聞で、「小沢氏団体・虚偽記載の疑い」、「憲法解釈も政治主導」等の記事が
一面に載っていたが、政府或いは与党に対する“疑惑追及”あるいは“批判”という様な
勢いはなく、お座成りにご紹介しますという書き方のように思えた。
子育て支援や、普天間基地問題、その他、政府の考え方に大枠賛成しているマスコミに
突っ込みを期待するのは無理かもしれない。また、世論もこの程度の批判では、政府与党
への風向きが変る事はない? 小沢の不正は精々、数億円規模、それに対し子育て支援は
何兆円の単位。バラマキ効果によって、世論も少々の事は目をつぶるかも知れないのだ。

一方、船橋洋一(本社主筆)の書いた「日本@世界」という記事では、普天間基地問題、
東アジア構想という外交政策に関して、その準備不足、根回し不足を批判していた。
この記事は、大変良く整理された筋の通った内容で、かなり本質を突いていると思われた。
昨日マスコミの体質が戦前と変らないと言ったのは、言い過ぎかも分からない。マスコミも
金儲けが必要で世論あってのこと、この記事がある意味では限界なのかも知れない。
そういう意味では、戦前と変わらない体質は、基本的に世論の側にあるのかも知れない。

普天間基地問題、東アジア構想に関してはいろいろ問題はあるにしても、日本国民の側から
天動説的に見れば、鳩山首相や、岡田外務大臣は、頼もしいハードネゴシエータと賞賛の目
で見られていることだろう。世論が後押ししているのであれば、マスコミも迂闊なことは
いえない?果たしてそうだろうか? たこ壷的世論を大海に通用する世論に育て上げるのも
マスコミの役割の一つではなかろうか? 
鳩山首相の普天間基地問題ハードネゴの背景は、日本の政権交代を実現した鳩山内閣への
ご祝儀を暗黙に請求している、という解釈しか私には理解できない。彼のいう緊密で対等な
日米関係いうのはこういう事か? 米国からのご祝儀が出たら喜ぶべきか?如何なものか。
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‘ぞめく’は方言? [方言]

早朝ゴルフ練習に行ってきた。先日の問題点を反芻し毎日の素振りでイメージトレーニング
して、完璧なスイングになっているはずなのだが、いま一というところだろうか?最近は
だいぶ腕を上げたから?自分に厳しく採点できるようになり、満足できないのかも知れない。
気温はやはり低めだが、風もあまりない快晴で、服を着れば過ごしやすい日和だった。

近頃、NHK連続テレビ小説「ウェルかめ」をちょくちょく見るようになった。
ドラマの切替り直後は見ていたのだが、波美が大人になってからは、物言いが大げさすぎて
ついて行けず見なくなっていた。なぜ「ウェルかめ」をまた偶に見るようになったのか?
第1の理由は、テレビのニュース・ショウが面白くなくなったこと。
マスコミは、民衆に迎合しているのか、与党にお追従しているのか知らないが、政治関連の
話題が実につまらなくなった。戦前、軍部の弾圧が怖いだけでなく軍部へ過度な期待をかけて
マスコミが過度なお追従をしたように、現代も、その体質は当時とほとんど変っていない。
戦前は全体主義、戦後はマルクス主義、そしてまたぞろ、「大東亜共栄圏」ときた。
テレビ鑑賞は朝昼夜の食事時。詰らないからチャンネルを回すと「ウェルかめ」に出会う。

第2の理由は、亀園由香(松尾れい子)という人物の劇中人物と俳優ご自身に興味をもった
こと、そして四国では最も縁の薄い徳島がドラマの舞台だということである。香川、高知や
愛媛には何度も行ったことがある。徳島も鳴門や大歩危・小歩危などの端の方は行ったこと
があるものの、徳島市内や、民宿「浜本」のある美波町など南海方面は行ったことがなく、
大変興味深く思っている。見続けるためには波美の演技が障害?何とかしてくれないかァ~

さて本題の‘ぞめく’であるが、手持ちの小国語辞典では、“浮かれて騒ぐ”とだけ。
どうも古くからある言葉のようだが、時代と共に、方言化した言葉のようだ。
日本国語大辞典によると新潟県佐渡、福井県大飯郡、岐阜県恵那郡、兵庫県淡路島、徳島県
和歌山県、香川県三豊郡などで“浮かれて騒ぐ”と同様の意味で使われているという。
吉野鷺知(室井滋)率いる徳島の出版社の名前が“ゾメキトキメキ”出版社というからには
‘ぞめく’は、単に“浮かれて騒ぐ”という意味だけではないだろう。‘ぞめく・ゾメキ’は
言葉で明確に表現できない‘あやしい気分’、阿波踊りのリズムを聴くと落ち着かなくなり
未来が輝きだす様な、昔を懐かしむ様な不思議な‘心の高鳴り’だろうか?如何なものか。
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普天間基地問題 [社会]

今日は気温も余りあがらず、強くて冷たい風が吹き、汗もかかぬ、はなすすり散歩だった。
今朝のスーパーモーニングを見ていたら、鳥越俊太郎が、盛んに‘普天間基地問題’を
‘ゼロベース見直し’すべしとの意見を主張していた。この件で鳩山内閣の弱腰を牽制する
かの勢いだった。この方は民主党というよりは更に、社民党寄りではないか?とも思われた。
世間には様々な意見があって当然だし、鳥越氏の意見は国民の比較多数の意見かも知れない。
そのような意見の意図は理解したいと願っているが、だからこそ敢えて言いたいことがある。

要点を先にまとめると、鳥越氏の意見に以下のごとき懸念があるということである。
1.政権交代を機に‘普天間基地問題’を‘ゼロベース見直し’すべしという意見は、世論を
  背景にしているとはいえ、従来の国家間交渉の積重ねを無視するものである。
2.政権交代は、日本の政治体制の転換ではないから、国家間の交渉は継続されている。
3.国家間のルールを無視して、政権交代と言う自国内の事情(党利党略)を楯に自国益のみ
  を主張するのは、子どものわがままと変らず、築き上げた日本の信用を台無しにする。
4.民主主義国家では民主党以前の政府も国民の負託を得ている。然るに、過去を無視する
  やり方は、民主主義政治ではなく、まさに独裁政治といわざるを得ない。
以上の私の言い分が間違っているだろうか?

米国が、どの程度、本気で‘普天間基地問題’を考えているか?試してみるということは
考えられないことではないだろう。オバマ大統領は並みの大統領ではないから、従来と異なる
答えが引出せないとも限らない、と思う向きもいる事と思う。先を読むことは難しい。
しかしそのような賭けに出るためには、鳩山政権が本気で日米安保条約の根本的見直原案等を
含め周到な準備を行い、慎重にことを運ぶ必要がある。そのような周到な準備もなく、
出たとこ勝負のような大人気ない事はすべきではないと思う。世界秩序の維持に於ける日本の
存在、日本国益維持における米軍の存在を簡単に過小評価してはいけないのではないか?

昨日は‘灯台記念日’。洋式灯台が日本で初めて建設され、明治元年(1868)11月1日に着工された事を記念して、海上保安庁が昭和24年(1949)に定めたという。日本に、「灯台もと暗し」
という諺がある。遠くばかり見て足元で躓くことを戒めている。しかし最近の日本では目先の
私利私欲に囚われて、将来を見据える視点が欠如していないか?100年先を考えても無駄!と
いう人もいた。だが使用期限 3~4年のマニフェストだけで良いのか? 如何なものか。 
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