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‘子供手当’という愚策 [社会]

‘子供手当’が愚策であると私が考える理由を以下に整理しておきたいと思う。中学生迄の
子供1人当り年額:31.2万円(月額:2.6万円)、総額:年・約5.3兆円をかけるこの政策が、現在
進行中の‘事業仕分け’にかけたらどんな結果になるだろう?6人のノーベル賞受賞者が廃止に
反対した「スパコン開発費」は約0.27兆円。まずスパコン予算を例にして‘子供手当’の杜撰さを
数字の上から明らかにしたい。スパコン予算は‘子供手当’の約1/20、故に1人分の‘子供手当’
に相当する額は年間:1万5千6百円、月額:1300円。各家庭に支給された‘子供手当’1人分の
月額:1300円の使途が、無駄遣いか否かを判定する手段があるのだろうか?

次は‘子供手当’の目的である。政策目標は“子ども1人ひとりの育ちを社会全体で応援する”と
なっているが、曖昧模糊として要領を得ない。少子化対策と勝手に‘察しの文化’を発揮しても、
調べてみると、「少子化」は既に、1970年代から開始されている。昔から日本には、「貧乏人の
子沢山」という言葉もある。経済理由が「少子化」と直接的に関係ない事は明確である。しかも
‘1人ひとりの育ち’という事に関して何らの具体的な考え方も示されてない。経済的に余裕ある
家庭に育っても、凶悪犯も出るし、様々な問題児もいる。ただ単にお金を支給しただけで、現在
よりも、より良く未来を担う人間が育つという保証など何も無い。

こうして見て来ると、‘子供手当’は、戦前の2.26事件における「大御心を察して<大忠>を焦った
軍部の大愚挙」と構造的に酷似している。即ち‘子供手当’は、‘察しの文化’ による「民衆の心
を察して<大忠>を焦った民主党の大愚政策」といえないだろうか?私のいう‘日本的たこ壷型
社会’の“起承転結”サイクルにおける“結”の時期を示す明らかな兆候と言える。

なぜ“結”の時期には、このような大愚挙や大愚策が国民の目には見えず、‘事業仕分け’の様な
スタンドプレーしか目に入らないのか?その大きな根底には、現実を重要視しなくなった世間の
風潮というものがある。そしてマスコミは視聴率や販売部数を‘偶像’として崇拝し、幻想願望の
人々を対象に売れる情報を、虚実ない混ぜて報道する。時流という事に敏感な日本人は、「KY」
と思われたくないから、正常な現実感覚のある人でも、世間に遠慮する様になる。特に伝統や
貴種に弱い日本人は、鳩山首相の様に9億円を母親から借りているのも知らないお坊ちゃんに
弱い。自民党が、あ○う元首相で失敗した様に、鳩山首相の未来も明るいものではない。
しかしそれ以上に心配なのは、このような茶番劇を繰り返す政界に愛想をつかした国民が
ますますたこ壷に沈潜してしまうことである。今こそ、国民が「KY」と思われることを恐れず、
悲劇的な結末の防止に立ち上がってもらいたいものである。如何なものか。
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