SSブログ

普天間基地問題 [社会]

今日は気温も余りあがらず、強くて冷たい風が吹き、汗もかかぬ、はなすすり散歩だった。
今朝のスーパーモーニングを見ていたら、鳥越俊太郎が、盛んに‘普天間基地問題’を
‘ゼロベース見直し’すべしとの意見を主張していた。この件で鳩山内閣の弱腰を牽制する
かの勢いだった。この方は民主党というよりは更に、社民党寄りではないか?とも思われた。
世間には様々な意見があって当然だし、鳥越氏の意見は国民の比較多数の意見かも知れない。
そのような意見の意図は理解したいと願っているが、だからこそ敢えて言いたいことがある。

要点を先にまとめると、鳥越氏の意見に以下のごとき懸念があるということである。
1.政権交代を機に‘普天間基地問題’を‘ゼロベース見直し’すべしという意見は、世論を
  背景にしているとはいえ、従来の国家間交渉の積重ねを無視するものである。
2.政権交代は、日本の政治体制の転換ではないから、国家間の交渉は継続されている。
3.国家間のルールを無視して、政権交代と言う自国内の事情(党利党略)を楯に自国益のみ
  を主張するのは、子どものわがままと変らず、築き上げた日本の信用を台無しにする。
4.民主主義国家では民主党以前の政府も国民の負託を得ている。然るに、過去を無視する
  やり方は、民主主義政治ではなく、まさに独裁政治といわざるを得ない。
以上の私の言い分が間違っているだろうか?

米国が、どの程度、本気で‘普天間基地問題’を考えているか?試してみるということは
考えられないことではないだろう。オバマ大統領は並みの大統領ではないから、従来と異なる
答えが引出せないとも限らない、と思う向きもいる事と思う。先を読むことは難しい。
しかしそのような賭けに出るためには、鳩山政権が本気で日米安保条約の根本的見直原案等を
含め周到な準備を行い、慎重にことを運ぶ必要がある。そのような周到な準備もなく、
出たとこ勝負のような大人気ない事はすべきではないと思う。世界秩序の維持に於ける日本の
存在、日本国益維持における米軍の存在を簡単に過小評価してはいけないのではないか?

昨日は‘灯台記念日’。洋式灯台が日本で初めて建設され、明治元年(1868)11月1日に着工された事を記念して、海上保安庁が昭和24年(1949)に定めたという。日本に、「灯台もと暗し」
という諺がある。遠くばかり見て足元で躓くことを戒めている。しかし最近の日本では目先の
私利私欲に囚われて、将来を見据える視点が欠如していないか?100年先を考えても無駄!と
いう人もいた。だが使用期限 3~4年のマニフェストだけで良いのか? 如何なものか。 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。